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日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

岡本綺堂 人の心に潜むもの 展開

私が子供の時大好きだったアニメ「九尾の狐と飛び丸」の原作が岡本綺堂と知ったのは、波津彬子さんの漫画「玉藻の前」だ。それについてはブログ書いてるんで貼っておきます。その後、色々知って見方も変わったのでそれも書いてみます。

 

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まず、九尾の狐の話が日本オリジナルになったのは室町のおとぎ草子が初めらしいです。中国の九尾の狐の話と保元の乱の原因とされる鳥羽上皇中宮である美福門院の話と那須殺生石を結びつけた物語です。

美福門院は前の中宮である待賢門院から、夫をうばった悪女とされています。

高野山に行ったとき、評判を本人もすごく悩んでいたらしく、晩年は高野山で仏門の修業し、御陵もそこにあることを知りました。あの当時の貴族の多くは仏門に入っても京都ちかくの比叡山あたりでお茶を濁していました。和歌山くんだりまでくるのは本気の修行だったということらしいです。

 

しかし、歴史を読むと問題があるのは鳥羽院と待賢門院であることがわかります。待賢門院は鳥羽院の祖父である白河院の養女で、長男である崇徳院白河院の息子であるという噂が立っていました。

というのは、貴族の日記にあるのですが、白河院が着物の中に幼い待賢門院を抱いていたという性的虐待の記録があります。また、結婚する前にいろんな若い男をつまみ食いして、その人たちが追放され、息子の嫁はいやだと断ったという記録もあります。

 

祖父が亡くなった後、鳥羽院は待賢門院を追い出しました。そして、長男を苛めぬきます。それが保元の乱の遠因のひとつです。

庶民はそんなことはわからない。

でもまがまがしいと歴史を感じたので、九尾の狐と保元の乱が結びついたんだと思います。

 

このお伽草子の中では、後の保元の乱平治の乱のころ活躍した、三浦義明上総介広常が、九尾の狐を退治します。室町のころは軍記物の英雄として認識されていたようです。「鎌倉殿の13人」を見なければ、どんな人たちかわからなかったです。三浦義明は義村の祖父で広常よりずっと年上です。年齢はむちゃくちゃです。

 

この古い話を岡本綺堂はフランスの文豪ゴーティエの短編「クラリモント」をヒントに恋愛小説として再構築します。「クラリモント」は岡本綺堂自身の翻訳があります。青空文庫にあるのでただで読めます。芥川龍之介の翻訳もあったみたいです。

 

クラリモントという吸血鬼が修道士の男性を誘惑する話です。クラリモントがお城に住んでるみだらな行いをしている娼婦であるという噂が師匠から語られたり、誘惑後、主人公は昼は敬虔な修道士で夢の夜の中でベネチアで放蕩の限りを尽くしたり、なかなか生々しい話です。

 

キリスト教の信仰と放蕩の話なんだと思います。この小説は吸血鬼ものの原点のひとつみたいです。

だから、向こうでも何度もリメイクされているようです。原作は女性が誘惑の象徴で感情が描かれず、いささか古いです。ただただ、幻想的でロマンチックな話だと思います。

 

この修道士の話と九尾の狐のはなしを結び付けて恋愛小説として再構築したのが「玉藻の前」です。

まず、違うのは、玉藻の前は、かつて宮中に仕える武士の娘で父が宮中に現れた九尾の狐を討ち損じたため貧困にあえぎ、当時の大貴族である藤原忠通に美貌をもって仕えるという話であることです。

主人公はその娘である藻(みくず)を慕う幼馴染の少年です。貧困を背景にした青春の恋愛の話です。狐の呪いを基にしたホラーとしてもすぐれていると思います。

彼女は狐にのろわれ、色と呪術をもって関白家の兄弟である藤原忠通と頼長にいさかいを起こします。

陰陽師である安倍家の弟子になった少年は、必死に彼女を助けようとしますがという話です。

主人公は妖艶な彼女に愛をせまられ、純情な彼女にすがられます。純情な彼女は、そっくりな三浦義明の娘である衣笠とのちに知れます。歴史を知ると三浦義明が討ち死にした衣笠城にちなんだ名前だとわかりますね。だんだん、彼は衣笠に心を移していきます。

玉藻の前になった藻は雨ごいの力でついに宮中に入り込もうとします。

この小説の好きなところは玉藻の前は主人公を愛しているところですね。衣笠にしっとしたりしている。その執着ゆえやぶれる。

ただ、たぶん、東京人としての歌舞伎や戯作の教養を前提にしている小説なんで、今よむとわかんないとこ多いです。それでも心を打つのは、かつてあった貧困ゆえにさかれた愛の記憶だと思います。

 

この小説は傑作なんでアニメの原作として採用されます。それが私が見た「九尾の狐と飛丸」です。元々、大映増村保造若尾文子のために建てた企画が元だったようです。

だから、アニメ関係者と映画関係者が混じっている珍品です。テレビではね。かつて何度もやってたんですけど。原版が失われたみたいです。

このアニメが印象に残ったのは悪をなす人はある一線を超えると戻れない。人と理解しあえないということです。

なんでも、この作品は「太陽の子 ホルスの大冒険」のあとの映画だそうです。びっくりするね。ホルスの悪女で改心するヒロインのヒルダは画期的だったのです。それを進める形のヒロインですね。実写で若尾文子の演じたようなヒロインをアニメでやってみたんだと思う。

「映画の國」というサイトで詳しい解説があります。鈴木英夫という大映の監督が深くかかわっていて、そのコラムにあります。「横溝正史シリーズ」や「傷だらけの天使」にかかわった人みたいです。「九尾の狐と飛丸」で検索してみてください。そこで漫画化作品も紹介されていました。わたなべまさこ版もあるみたいですね。

 

岡本綺堂は大衆作家ですが、幕臣の子孫で中国の文学に詳しく、新しい西洋の文学と江戸文学や歌舞伎とをつなぐ大事な作家さんなんだなってつくづく思います。彼は西洋的な恋愛を伝統的な文学につなげようとした人だと思います。

 

中公文庫で2019年に出てます。読んでる人増えてますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岡本綺堂 人の心に潜むもの 発端

本屋さんをぐるぐる回っていると、とても美しい表紙だけど千円ほどで売っている本があった。ちらっと立ち見してみると有名作家の短編集で面白い。値段も安い、思い切って買ってみた。

 

この本は東雅夫というホラー作家のアンソロジー山と渓谷社という登山や旅行専門の出版社から発売されている。「山と渓谷」という雑誌を出版しているのだけど、その中にあった山小屋の人たちなんかに聞いた怖い話シリーズの流れみたいですね。

 

値段が安いのは版権が切れている作家さんたちだかららしい。評判が良かったらしく、文庫になっているけど、文庫では買わなかったと思う。たぶん、装丁が美しくなかったら買わなかったと思う。リアルの本屋のいいとこだ。

 

その中で私が気に入って集中的に読んだのが岡本綺堂だ。ただで読める青空文庫にほぼ全作品がはいっていたのも大きい。

実は銭形平次なんかの捕り物帖のはじめと知って半七捕り物帖の読んだりしたんだけど、二巻ぐらいで飽きてしまった。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で源頼家を重く扱っていて、修善寺物語を思い出した人もいたみたいだけど、あれも岡本綺堂だったと思い出したけど、退屈な戯曲だなって感じだった。新歌舞伎としては画期的だったらしいけど。

でもですよ。この人の一番面白いのはホラーなんである。大衆作家なんで、作品はすごく多い。でも、はまったときのホラーは絶品なんですよ。

大衆作家なんでほとんど研究者なんかはいないけど、残るべき作家だと思う。山本周五郎山田風太郎もそうで独創的で、この人たちから日本の文学やファンタジーは発展してきたんだなって思う。

 

青空文庫で、彼が昔大好きだった「九尾の狐と飛び丸」というアニメの原作なのも知った。傑作なんで波津彬子さんの漫画にもなってる。この映画の子細な研究をしてる人がいて成立の過程もわかった。次、岡本綺堂の廃れたとこ、素晴らしいとこも、この作品でわかるので知ったことと感想を書いてみます。

 

 

この本、名作ぞろいなので気に入る話がきっとあると思う

 

「鎌倉殿の13人」32回 不確かな親族の愛情

 


「鎌倉殿の13人」で頼朝の息子頼家が妻子を殺されたうえに将軍の座からおっぱわれる場面で号泣して泣き伏す場面を見ていた。

大河ファンはしらけるかもしれないけど、北朝鮮金正恩が浮かんできた。うわさに聞く彼は人としてとんでもないらしいけど、頭が良いため暴力的な権力者の家庭の宿命を感じさせるんである。

 

歴史ものを見てると彼のような名門の長男の悲劇は多い。権力者の長男なので家臣が寄ってたかって囲い込む。そうすると親子の縁が薄くなる。

たぶん、頼朝でさえも息子にへだてを感じていたんだろうと思う。彼も嫡男として親に隔てをおかれたんでわかっていたとは思うけど。素朴な田舎の人だった母親の政子はもっとだろう。

 

取り巻きは愛情があるとは限らない。へたすると利害だけということもある。

そこで起こる悲劇の一つなんだろうなって思う。

 

吾妻鏡はありがたいなって思うのは、ほとんど心情がわからない彼の気持ちがほの見えるとこですね。京都の落ちぶれた中級貴族だった文官たちが理想として、ありのままをと記録していたことが有難いなって思う。

 

彼が泰時の諫言に腹を立てたのも、泰時が親や政子の愛情を背景に偉そうにしてるからで、唐突に実朝の乳母父である阿野全成を討ったのも、多分、陰口いいの実朝の乳母である叔母への怒りだろう。

 

そして、今回の大河では省かれているけど、仁田忠常の富士の風穴探検と朝比奈義秀の豪胆。頼家時代の数少ない楽しい記憶として記録されているのはつらいな。

多分、豪傑に憧れる青年だったのだろう。弓の名人だったし、蹴鞠が好きな体を動かすことが好きな青年だったように思う。若いあんちゃんだったんだと思うと涙します。

 

 何よりもかばってくれるはずの父親が早く亡くなってのはきつい。そして、親族の愛情は濃淡があるから、まして、祖父母なんかは自分で育てないから、たくさんいる孫に対してはよほど縁がないと冷たいよなって思う。

 

 話は修善寺の悲劇に進む。昔、新歌舞伎の代表として岡本綺堂修善寺物語、結構上演してたよなって思う。うん、岡本綺堂好みの残酷秘話だと感じる。ほんと救いのない話だ。

www.nhk.or.jp

 

 

「初恋の悪魔」が面白い


坂元裕二脚本で仲野太賀が主演を取って、松岡茉優が久しぶりっていうので見だした。

私はいわゆるトレンディドラマや恋愛ものが苦手で坂元裕二のドラマはほとんど見ていないのだけど、「Mother」は見た。再放送だけど。人気子役だった芦田愛菜が主役ということで、あざといかなって敬遠していたのだ。

不幸な生い立ちである主人公がシングルマザーに虐待されている少女を救うという話にうなった。現代的な視点というか。子が持てない女性がどう生きるか。そして、どのように社会とかかわるか。

近代化が進むと家庭で傷ついた女性が無理に家庭を持たないことが許されるようになる。そういう人がどう社会とかかわっていくか。そして、どう、その傷をいやしていくか。

トルコでリメイクされてヒットしたのがわかる。

女性がなんとか働けるようになった反作用のようなもんだから。無理に家庭にとりこまれることはないで済むけど支援がない。

 

そういった現実を踏まえた作話がすごく面白い。彼のドラマをちょくちょく見るようになった。

 

松岡茉優と仲野太賀は映画「桐島、部活やめったてよ」で初めて意識した。

松岡茉優は学校で美人で素敵な彼を持っていて威張っているいやなやつの役なんだけど、彼女の不安まで映していてほんとうまかった。仲野太賀はいなくなったスーパーな桐島のかわりにレギュラーになる平凡を悩む少年役で印象に残っている。

 

仲野太賀は映画「すばらしき世界」で主人公を助ける青年役がすごくよかった。

彼の代表作だと思う。

ただ、この映画は犯罪者をどう救うかを主題にしてたのもあって、お客が入らなかった。でも、すごくわかりやすく、そういう人の心情に寄り添っていて私は好きだ。

原作は戦争孤児の問題を扱っていて、仁義なき戦いの裏ばなしみたいだった。その悲劇は今現在も起こっていて、その現象を現代に落とし込んでいて泣きたくなる。

 

今、邦画って信用なくって、ほんと良作って見られてないなって思う。

 

仲野太賀、実力あるのにな。脇で輝く人なのかもしれないけどって、もやっとしていた。

 

その彼が主役で松岡茉優が相手役。そして、実績を着々とあげている林遣都と江本佑。芸能界を生き残ってきた同期感がうれしい。

 

林遣都は社会になじめない変な人な役が多い。

どうも便利に使われがちだけど、「おっさんずラブ」以来の当たり役ではないかな。

松岡茉優と「銀二貫」という時代劇で恋人役を演じていて、すごくよかった。

坂元裕二、ちゃんと見ていたんだと嬉しくなった。

 

松岡茉優がドラマは人生を変えることはできないけど、ちょっと気を取り直すことができたらいいよねって感じのことを語ってたそうだけど、私は今、とても励まされている。

二重人格になってしまったヒロインを仲野太賀の幅広い背中が抱きしめてる。

変な人、困った人でも生きてていいのかな。そんな、なぐさめがある。

www.ntv.co.jp

 

 

「ゴールデンカムイ」と失われた少女

 「ゴールデンカムイ」が完結した。読んでいた感じたのはえらく成熟した人が描いた娯楽漫画だってこと。不思議な変態さんたちや動物やアイヌのグルメなんかが楽しく描かれているけど、常に子供たちのことを念頭に描かれている視線を感じるからだ。

なんでも、主人公たちの殺戮の場面では子供であるアシㇼパさんが常に登場しない形で配慮されているとも聞く。

 

作中でヒロインであるアイヌの少女アシㇼパのおばあさんフチが、主人公で彼女の相棒である杉元佐一にアイヌ語でヒロインを託す言葉を発する。しかし、その言葉がわからない杉元はアシㇼパさんは皆に愛されていて大切にされているから頼むと解釈する。

解説書である「アイヌ文化で読み解くゴールデンカムイ」でアイヌ文化研究家である中川裕さんが指摘していた。

 

このずれはゴールデンカムイのラストをすでに予言していたのだなって思う。

この漫画のなかでは父性の話が何度か出てくる。

まず、アシㇼパさんとアイヌポーランド人の混血で革命家である父ウィルク。

そして、疑似父性で兵士たちを動かし、理想の国家を願う鶴見中尉。

彼らの父性とは相手を子ども扱いして指導し同化することなんかな。違うよね。それがより良い未来を目指している形をしていても。

 

ところでフチはアイヌ語で杉元にアシㇼパを嫁にもらってほしいと言っていたのだ。それが彼女を保護することと信じていたから。

しかし、彼は大きな意味で彼女に寄り添うことに翻案したのだ。アシㇼパの背景にあるのは未来で、それは支配できない。

新しいアイヌの女を目指す彼女には似合わないのだ。

 

 

 

 

 

「笛吹川」戦争ということ

  

 先日、HNKBSで木下恵介の「笛吹川」を再見した。改めて見てみると強烈な反戦映画なんだなって思った。絵巻ものを意識した部分パートのカラーがうまくいっているとは思わないけど、役者たちが汚れもあって遠景で描かれ一庶民として描かれた。

そして、主君というのはその人をも巻き込んだ共同幻想なんだってことが突き放されて描かれていた。

 しかし、今日、ウクライナの現実を見てみると抵抗というものの意義が身に染みるので、日本はアメリカという道徳的であろうとした国に占領され、朝鮮戦争が直後に起こってはやく経済的な立ち直りと国家的な位置が変わったという運があったからこそ、こういう戦争がばかばかしいという映画が描かれたと感じた。そのしらけた思いも感じた。

 原作は山梨のローカルな伝説をもとに小説をかいた深沢七郎だ。今回、主人公の一人として今の松本白鴎、市川染五郎が二十代で土屋惣藏という名前で登場する。

 どうやら、彼は武田勝頼に最後まで付き添って、片手千人切りという伝説の奮闘をしたローカルなヒーローだったらしい。

その伝説をばかばかしいと感じで書かれたのが「笛吹川」だった。

 

  物語の中と同じで惣藏は名門である武家である土屋家の分家である金丸家の分家の五男でど庶民の青年だったらしい。多くの人が戦死するなか、どんどん地位があがって土屋本家をつぎ、今川家の名門である岡部家から妻をめとる。

 そのあたりの領主に取り込まれるあたりが残酷に描かれている。

なぜなら、先代の武田家にちょっとした落ち度で曾祖父やいとこが殺されているからである。

 

 しかし、勝頼一家の不幸や盲目の勝頼の兄の虐殺、菩提寺久遠寺での僧侶虐殺も描かれて、加害者側も哀れな人々であることが描かれている。また、侵略者である上杉謙信と信玄との戦いといった合戦画面の爽快感も描かれていて、この映画は一筋縄でいかない。

 水無川の河川敷を破滅の地である天目山にむかう惣藏たち一家をふくむ長い隊列を惣藏の母を演じる高峰秀子が追っていく。その画面は、かつて見た戦前の代表作「陸軍」のリメイクなんだなってはっとする。同じく圧巻の長回し

 そして、今回は母は追いつくが、女中になった岩下志麻演じる妹の奥方さまが可愛そうという言葉で母は一緒に行くことを決意する。そして、孫と一緒に亡くなる。

 そして、最後に一人生き残った父は水無川に浮かんだ武田の旗指物を辱める。

 この映画の惣藏はのちに染五郎の代表作になる大河ドラマ「黄金の日々」のルソン助左衛門につながる役なんだなって感じた。決してヒットした映画ではないがちゃんと伝わっているのである。

 

 歴史を調べてみると、実際の惣藏の息子は生き残り、今川の縁で徳川に仕え譜代大名として生き残る。そのあたりの話は「寄生獣」の岩明明の原作の「レイリ」という漫画になっているらしい。

 27歳で亡くなった惣藏の忠義も哀れもほんものである。しかし、したたかに土屋本家を乗っ取ったのである。

人間は物語も超える。