oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

食べることの意味ドラマ「作りたい女食べたい女」

ドラマ「作りたい女食べたい女」を楽しんでいる。NHKの15分枠なんでほんとゲリラみたいなドラマだなって思っている。

原作は評判だったのでちらっと読んでいた。ドラマで見ると生々しい。特に第5回の主人公の野本さんの隣人である春日さんが長く実家に帰らない理由はあるあるだけど、今までみんなが口に出すことをためらった話だなって思う。

 

春日さんの語るある日の夕ご飯。父親と弟はご飯を食べたいだけ食べ、片付けもしない。なのに片付けもした体の大きい春日さんにはちょびっとしか出されない。そこでおなかがすいた春日さんが夜中にこそっとパンを焼き食べる。おいしさとみじめさ。

 

食べたい量は活動量と個人差で決まる。それなのに女性だと制限する家庭は結構ある。それがあたりまえになっているけど、実は理由はない。

実は貧しかった時代に外で肉体労働をする男性の稼ぎが大きかった時代の最善だったにすぎない。しかし、与えられた特権は当たり前になってしまって、そこにそれがあることは声をあげないと修正されない。私たちはそういう今を生きている。

食べ物を得る。兄弟が多い時代の争奪戦は真剣だった。食べないと体が小さくなって居場所を得ることがむずかしい。そんななか、考えなしに男性が優位を守るためには女性の食べ物を制限することで声を小さくする。そういう、家庭内のみもふたもない権利の戦いの上に女性の食事の制限がある。それは無意識に組み込まれて家族は考えもしない。その最初があるから、無償の介護や育児の押し付けができる。

今、地方の女性が仕事のある都市が出てくるのは、そうでない世界があるからだ。自分でお金を得ることで食べたいだけ食べ、寝たいだけ寝れる。いくら家庭にお互いの我慢が必要だといっても、お互いを大切にしない関係はつらいだけなんで。

でも、都市にも派遣やら契約などの仕事の差別があるし、孤独と転落が転がっている。それゆえに妥協をし、不満をためて生きてる女性も多かろう。そういう怨念が地方の暴力的な支配を呼び、ますます地方を細らせてるように思う。

この漫画とドラマは食べることという本能に迫っていて面白い。生きるためにはご飯を食べなくてはいけない。でも、ひとりではご飯も喉を通らない。人間は群れの生き物だから。

 私はドラマで大学の部活帰りにご飯がなかった食卓を思い出してつらかった。対して評価もない遊びの帰りなんだから。でも、夕ご飯を食べないでコーラスで歌を歌ったあと帰ってきて、ご飯がなくて焼く卵焼きつらかったな。ああ、世の中に飼いならされていたんだな。

 お父さんお母さんが、ほめてもらえない稼ぎも少ない自営の仕事でふらふらなのは知ってたよ。ご飯を作るのもふらふらで私が結構作ってたし。

 ご飯は家で勉強だけしてる弟には出していた。女の私が将来稼げない存在で親戚に褒めてもらえない遊びをやっていると思っていても。

でも、あの時怒るべきだったんだ。こんなのひどいよってあなたたちのためにも。