oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

「ひらばのひと」物語を語るひと

久世番子「ひらばのひと」モーニング連載おめでとうってことで。

私が講談に興味をもったのは映画を見に行った新宿の武蔵野館で神田柏山こと、神田松之丞の公園ポスターにぽっーとなったことだ。内容が歴史ものだったのも新鮮だった。

まずい。田舎からやっとこさ高い交通費と片道2時間使ってきたんだから。

来週はまずい。

そうか、私の好きな歴史ものって講談でやるんだ。

聞けなかったことがずっと思いに残った。そのうち、神田柏山はあれよあれよとメジャーになって、襲名までしてしまった。スターを生み出すのって大事。

 

 その監修をもって連載が始まったのが「ひらばのひと」。ひらばと講談の歴史ものの合戦場面とかを表す言葉らしい。修羅場が語源とのこと。謎があるのいい。

どんな話かなって思って読んでみると主人公の新人講談師が先輩女性講談師との恋愛にならないのが新鮮だった。まあ、同僚と恋愛になる話がごまんとあるので陳腐だわな。ちょっとしたミステリー仕立てになって話がすすむ。

講談が女性を積極的に弟子を取っていたのは知らなんだ。たくさんおられるんですね。ときどき、テレビに露出してたので、いるんだなって思っていたが。そういう人がひとりおられると女性進出は進むんですな。

 

 私はどんどん先鋭的になっていくお笑いの世界についていけなくて、ときどき落語を聞くようになったくち。でも、歴史ものを語る講談は退屈かな。それが少しづつ変わっていったのは落語の中村仲蔵を聞いたり、三遊亭円朝の語り本を読んでからだ。

 そういった話の原点は講談だったということ。シリアスな物語を語る伝統を伝えるものだということをこの漫画で知った。北条時頼を主人公にした能楽「鉢の木」も講談になっているんですね。それだから、古い絵本「鉢の木」もあったんね。しかし、私、どんなもんでも活字なら読んでいたのね。病気だ。

 

 この漫画はそういった講談話を一話完結で描きながら、若手講談師たちのしごとと恋の話をからめている。恐る恐る読んでみると、歴史ファンタジー「パレスメイヂ」で語ったストーリーの力と「よちよち文藝部」の読者案内の力を複合した勝負作だったか。応援したい。

 うん、いつか講談を寄席で聞きたい。

 

ドラマを見て。「舞妓さんちのまかないさん」アジール(自由領域)としての京都



京都の舞妓さんは人気ものだ。日本的なイメージといえば彼女らだろう。でも、歴史的な経過でなんかなって思っている人も多いと思う。でも、可愛いんだもん。

 そういうイメージをズバッとエンタメにしたのが、少年サンデー連載の漫画「舞妓さんちのまかないさん」だ。ドラマ化が決まるまで、可愛いとグルメを組み合わせた、たわいもないもんだと思ってた。読んでみるとこれは一筋縄ではいかない。大人が考えつくしたエンタメだなって知った。

 まず、対照的に貧しい青森の農村が描かれる。主人公少女のキヨは祖母に育てられた孤児だ。高校進学もおぼつかない。そして、一緒に舞妓をめざす少女すみれの両親の話はてんで出てこない。うん、今頃、そうなのだ。こういった問題のある地方の社会は当たり前にある。京都の舞妓ちゃんはそういう階層のガッツのある子が目指す場所なのだ。

 また、先輩で芸者になった百子さんはパトロンを手玉に取る女性で、フルマラソンを走る自立した女性でもある。そこで、この仕事は水商売なんだってことがきちんと描かれる。そこはふれず、ドラマは俳優の特性を描いた宛書なので、演じている橋本愛にあわせた恋人のために祇園を去ることに悩む、祇園で生まれたホラー好きになってる。そこでしか生きられないから、頑張っているという芯は一緒だけど。

 やかた、置屋を経営するおかあさんは百子と同世代だ。若くして新しい祇園を作ろうとしてる同志として描かれている。

 ドラマではキヨの母親世代で常盤貴子が演じてる。そして、同世代の娘をもっている。

 これは総合監督の是枝監督が尊敬している成瀬巳喜男幸田文原作の「流れる」を意識しているのだと思う。「流れる」は芸者置屋を舞台にして、それを批判する高峰秀子演じる男嫌いな主人の娘が出てくる。実際、高峰秀子は映画界のセクハラを憎み切った潔癖な人だったそうだ。

 この漫画は舞妓を挫折して周辺の料理係、まかないさんとして生きていこうとするキヨが主人公だ。これは幸田文原作の「流れる」の置屋に女中としてはいった主人公と同じ立ち位置だ。

 作者の小山愛子の前作には昭和初期のカフェという水商売を舞台にしているものがある。水商売を女の自立する手段として意識し、ひとつのアジールであってほしいとして描いていると思う。

 SNS若い女性の支援組織のライバルは水商売だって言っている人の話を最近に聞いた。

 昔から伝統的に女性が自立する場として、水商売がある。そこは闇と紙一重の場でもある。しかしながら、長い歴史のなかでそこに逃げ込まなければならない男性とそこで働かなければならない女性たちは、少しでもお互いに心地よい場所を作ろうとしていた。その成果がたぶん祇園甲部なんだと思う。

 「流れる」の時代のほの暗さを少しづつでも改善していこうとする人たちはいるよ。樹木希林に筋金入りの貧乏人出身であるとされた是枝監督は言いたいんだと思う。貧乏人にとって水商売のお姉さんは隣人なのである。彼女らは当たり前に職業としての選択として業界に入っていく。

 このドラマは祇園がおこなってきた改善の歴史もきちんと描いている。能楽を基本とする踊りの井上流の導入。伝統を守るものとしての歌舞伎との関係性。互いに差別された同僚としての歴史からの協調。ここの芸者さんを母とする歌舞伎関係者は江戸時代から多かった。今頃はあらかさまなパトロンはいないんだなって感じるし。

 もちろん、祇園周辺部の場所の問題とか、実は彼らを一番差別しているのは、あれはよそ者の世界っていってる京都の人だとかはあるんだな。

 トップの人たちだけが保護されてるんじゃん。でも、彼らが古い日本の美しい部分を支えているのは事実だ。そして、彼らがいるから支えられている京都の工芸だの観光だのがあるのである。そこには居場所を失くした人の場がある。まあ、きれいごとかもしれんけど、アジールとしての京都は確かにある。

 

 ドラマで描かなかった漫画は主人公たちと一緒だった野球少年の健太がけがをして高校を中退する話になる。男の子の話に広がる。

 私たちのころからもあったけど、まだ、甲子園をめざす中堅の野球が熱心な学校ではそういうことが、普通にまだある。彼は京都でコックをめざす。彼もまた、アジールを目指すんである。受け続ける漫画は、創作は社会と寄り添うってことなんだろうと思う。これも地方の現実だ。

  

 こんな風に理屈をこねてドラマや漫画見てるのは邪道かな。美しい映像と可愛い娘さんたちが演じる日常を見て、そしておいしい日常のご飯を堪能する。親子丼、おいしそうだったあ。

 日常。鴨川河岸を歩く普段着の主人公と舞妓役の娘さんたちの日常感たまらんですね。ロングでとっているので少女たちになってる。きっとメイクしたら、とびぬけて美しい人たちなんだと思うけど。

 それとわちゃわちゃしたジャージと日本髪の日常のどたばた、周りにいるだらしないおっさんたち。きりっとして趣味の良い着物を着こなす美少女が舞妓になっていく過程。映像を力を実感しますな。

 

 ああ、命ってそれだけで尊いなあ。未来があるって愛しいなって思う。

たぶん、この日常感は主人公を演じた森七菜の資質が大きいかなって思う。彼女は日常を細やかにうつす庶民性がある。

www.story-inc.co.jp

 

 

 

ドラマ「エルピス」雑感

 渡辺あやのエルピスにはそんなに期待値が高くなかった。朝ドラ「カーネーション」は傑作だけど、あれは長い準備があっての作品だしなっていう感じだった。だから、配信でチラチラ見てた。ここはさすがに面白いなとか。演出の大根仁、抑えてて、でも、さすが手堅いなとか。

 眞栄田郷敦が岡部たかし演じる村井さんに心のとげを指摘されて冤罪事件にのめりこむあたりから、これ、いいなって思いだした。

 どんどん、表情がどす黒く変わっていくのにびっくり。年齢的に大人なる時期なんで、それを追って演出と役がはまるとびっくりするほど演技がいい人がいる時期なんだけど、それだけでない美貌と色気のある才能あったんだなって驚いた。

 演技の家に生まれた人だと感じた。彼は演じたいという何かがある。それを見ぬいたドラマ関係者。鶴瓶さんのAスタジオを見て感心したらしいんだけど。

 彼によって人の愚かさがどんどん暴かれていく。最後は放映時間を楽しみに待つようになった。見てる脇で、どうせ、冤罪ものはドキュメンタリーに勝てないよっと、やたら、声の大きかった息子が途中から最終回見てた。

 このドラマは冤罪を声高に訴えるドラマじゃない。人の持つ卑しさと共存して道を踏みは外さないように日々をすごそう。日常の人を信じ助けようというドラマだった。

 そのためか、犯人はほぼ出てこない。永山瑛太が演じている怖い背景が読み取れる顔の印象と周辺の人にその魅力を語らされているだけなのである。しかし、犯人なんて、それで充分なのだある。彼に彼女らはむごく殺されたのであるから。陰に取り込まれてはいけない。

 だからか、ラストのニュースを見る関係者はみんな人の親であることがさりげなく見せられる。そして、ヒロインが仲間ともりもりと牛丼を食べる姿。冤罪を助けられた人が支援者にふるまわれるカレーとケーキが輝く。

 第8回で被害者の少女の素行が暴かれ、被害者の痛切ないたみが理由も問われず娯楽として消費されていく。

 今も皆がいろんな理由で現実から目をそらして生きていく。しょうがないことでもある。でも、それが人生をむしばむ。それにささやかでも抵抗したい。そんなことが表現されていた。

www.ktv.jp

 

 

食べることの意味ドラマ「作りたい女食べたい女」

ドラマ「作りたい女食べたい女」を楽しんでいる。NHKの15分枠なんでほんとゲリラみたいなドラマだなって思っている。

原作は評判だったのでちらっと読んでいた。ドラマで見ると生々しい。特に第5回の主人公の野本さんの隣人である春日さんが長く実家に帰らない理由はあるあるだけど、今までみんなが口に出すことをためらった話だなって思う。

 

春日さんの語るある日の夕ご飯。父親と弟はご飯を食べたいだけ食べ、片付けもしない。なのに片付けもした体の大きい春日さんにはちょびっとしか出されない。そこでおなかがすいた春日さんが夜中にこそっとパンを焼き食べる。おいしさとみじめさ。

 

食べたい量は活動量と個人差で決まる。それなのに女性だと制限する家庭は結構ある。それがあたりまえになっているけど、実は理由はない。

実は貧しかった時代に外で肉体労働をする男性の稼ぎが大きかった時代の最善だったにすぎない。しかし、与えられた特権は当たり前になってしまって、そこにそれがあることは声をあげないと修正されない。私たちはそういう今を生きている。

食べ物を得る。兄弟が多い時代の争奪戦は真剣だった。食べないと体が小さくなって居場所を得ることがむずかしい。そんななか、考えなしに男性が優位を守るためには女性の食べ物を制限することで声を小さくする。そういう、家庭内のみもふたもない権利の戦いの上に女性の食事の制限がある。それは無意識に組み込まれて家族は考えもしない。その最初があるから、無償の介護や育児の押し付けができる。

今、地方の女性が仕事のある都市が出てくるのは、そうでない世界があるからだ。自分でお金を得ることで食べたいだけ食べ、寝たいだけ寝れる。いくら家庭にお互いの我慢が必要だといっても、お互いを大切にしない関係はつらいだけなんで。

でも、都市にも派遣やら契約などの仕事の差別があるし、孤独と転落が転がっている。それゆえに妥協をし、不満をためて生きてる女性も多かろう。そういう怨念が地方の暴力的な支配を呼び、ますます地方を細らせてるように思う。

この漫画とドラマは食べることという本能に迫っていて面白い。生きるためにはご飯を食べなくてはいけない。でも、ひとりではご飯も喉を通らない。人間は群れの生き物だから。

 私はドラマで大学の部活帰りにご飯がなかった食卓を思い出してつらかった。対して評価もない遊びの帰りなんだから。でも、夕ご飯を食べないでコーラスで歌を歌ったあと帰ってきて、ご飯がなくて焼く卵焼きつらかったな。ああ、世の中に飼いならされていたんだな。

 お父さんお母さんが、ほめてもらえない稼ぎも少ない自営の仕事でふらふらなのは知ってたよ。ご飯を作るのもふらふらで私が結構作ってたし。

 ご飯は家で勉強だけしてる弟には出していた。女の私が将来稼げない存在で親戚に褒めてもらえない遊びをやっていると思っていても。

でも、あの時怒るべきだったんだ。こんなのひどいよってあなたたちのためにも。

 

 

 

「波多野氏と波多野荘」地方と都


この本にある画期的な事は波多野氏は最初は佐伯氏だったという研究らしい。

佐伯氏とは何か。彼らは元々は帰属した蝦夷をたばめて軍団とした長が名乗った苗字だ。古代の軍事貴族だった大伴氏のうち、その役目を負った人たちが名乗った。

奈良時代聖武天皇に仕えた人に佐伯今毛人という人が出た。彼は東大寺の建設の責任者だった。軍人たちは土木作業員に転任されていたのだろう。

彼は長屋王の乱や藤原仲麻呂の暗殺未遂などの政治にも深くかかわった人らしい。そして、佐伯院という屋敷に佐伯真魚をいう天才少年を養った。のちの空海だ。

彼は名前は消えているけど、奈良時代の重要人物だ。角田文衛は吉川弘文館で彼の評伝を残している。

 空海は海運業の一族の出だ。どうやら、佐伯氏は蝦夷だけでなく、鉱山、林業、海運など、米作以前の産業の人を子分にとりこみ、血族を送り、苗字を与えたらしい。

 その一つが秦野盆地にいた人々だった。秦野市平沢に古代のわりに大きい円墳がいくつかあるがその人たちかもしれない。古代、東海道はここを通っていた。金銀も少しでたらしいから、縄文のころから米作が盛んになる前までは栄えた土地なのだろう。

 彼らは東大寺の建設作業にかかわったのかもしれない。なんでも、僧侶側の責任者が良弁という伊勢原市の人だったから。良弁は漆部氏という寒川神社を中心にした一族の人だそうだ。名前を見ればわかるが漆加工を主にした人々だ。うるしは建材の防水、そして、矢じりの接着なんかに使われた大切な素材だったらしい。

 その一族に秦野の漆窪に生まれた漆部伊波という人がいる。話はずれるが、秦野には窪という地名が残っている。どうやら、火口跡みたいなんだけど。そこにうるしの木の畑があったのだろうか。

奈良時代の地名が新興住宅のてっぺんの公園に残っていました。残ってるもんです

細い川の集落。ここが本来の漆窪だと思います。北矢名という地名から弓矢用の竹畑があったようです。和田義盛が岡崎氏の遺族のために武器を作らせていたという伝承が鶴巻温泉にのこっています。



この人は漆をはじめ東大寺の物資を調達して大富豪になったらしい。聖武天皇東大寺建設の寄進をして従5位右衛門助の官位まで得た。そして、難波津に倉庫も許された。

伊勢原の大山の大山寺は東大寺で稼いだお金で良弁と伊波が創建したそうだ。寒川神社とセットに信仰された古代信仰の場所らしい。

大山寺縁起では伊波は鎌倉に住んでたことになってるそうだが、それは漆部氏の人たちの一部が鎌倉に入って鎌倉氏になっていったからかもしれない。

実際は子孫は河内の人になったみたいだ。佐伯氏もそうだが、藤原冬嗣のころから古代豪族は没落し地下の人たちになった。にわか成金の伊波など吹き飛んでしまったらしい。

 佐伯氏は米作以前の産業を担うありふれた苗字になってしまった。それで秦野の佐伯経範という人が鎌倉氏の母を持つ源義家に従って、後三年の役で手柄をたて、藤原秀郷の子孫で相模の国守になった人の婿になった。なんでも有名な歌人を出した教養のある家だった。その時、摂関家に領地を寄進し波多野荘が成立し、波多野氏となったらしい。

そして、京都の人との婚姻が始まる。波多野義通が文字が書けて、主君である義朝に疑問を生じたのはそのあたりなんだろう。うん、この本はその成立とご子孫の動向を描いたものなのだな。

 佐伯経範と一緒に戦った人には三浦氏の祖先もいる。そのころから源氏は相模を根拠にしているのである。

 

 

 

始まりの保元の乱「波多野氏と波多野荘」を読んで

この本の冒頭、慈円愚管抄の「保元以後ノコトハミナ乱世 日本国ノ乱逆ト

云うコトハヲコリテ後、ムサノ世ニナリニケルナリ」と引用されている。

 この本は私の住んでる秦野市で1993年に全国に散らばる波多野さんたちに取材した記念35年の「波多野氏を語る会」の言うのがあって、その記念に発刊されたらしい。

 波多野氏がなぜ秦野の地を捨てたか。その遠因は保元の乱のとき、彼らの先祖である波多野義通が敗者である源為義の処刑に立ち会わされるはめになったからだ。なんでも、平安初期から絶えてなかった公式の死刑が復活したらしい。

 でも、その実態は、僧侶にすると言ってのだまし討ちで、その時、のちに義朝と命をおとす鎌田正清と共に実行者になった。正清は殺人を義通に実行するように促すが、強く彼が疑問を述べたので、正清が実行しようとしたができず、郎党に殺させた。

 でも、その後、父を殺した恐怖からだろう、信西に命令されているわけでないのに、義朝は青墓の遊女だったと伝わる女性に産ませた末の四人の幼子の殺害を義通に実行させる。その仔細な描写で、これは義重の手記があったことは間違いなかったとされる。そして、「保元物語」そのものも波多野氏の誰かによって書かれたのだろうという説がある。

 それから始まる源氏三代への波多野氏の情念が秦野市田原という鎌倉から遠く離れた田舎に実朝首塚とされる供養塔と金剛寺の仏を作らせたのだろうと、この本を引用した歴史学者の角田文衛は「平安の春」で語る。先日、金沢文庫の運慶展でその観音二体を見て、その素晴らしさに感動したのだった。普段は秘仏扱いで地元の人もめったに見られないので、ご縁があったのだと思った。

 私はたまたま学生時代に国文で「保元物語」の授業取っていて、その部分に赤を引いてただけなんだけど、のちに橋本治の「双調平家物語」でこのくだりを読んでびっくりした。こんな悲しい話はあるだろうか。そして、小説のなかで、波多野義通に恐怖にかられて幼子まで殺させる義朝といると碌なことはないと語らしている。義通が、すぐ、故郷に逃げ帰ったは事実だ。

 改めで押し入れに突っ込んでいた「保元物語」も読んで、そこを学んでほしいという先生の思いを知った。私がここにいるのはなんか意味があったかなって思った。

 

 さて、波多野義通と義朝の縁は京都で御所女房のはしくれだった彼の妹とされる女性が朝長という子を産んだことだ。

 秦野の地は今は矢倉沢往還といわれる東海道本道がかよっていて、交通の要地だった。材木やら、弓矢加工と建築に有用な漆やら、馬やらで現金収入がある波多野氏はそこそこ裕福だったので入り込んだらしい。波多野氏は秦野盆地の外にある米が豊かな松田の地を朝長に渡した。彼らは小田原平野にも出ていて、小田原にも砦があり、本拠の田原の名をとって小田原としたらしい。

 のちに、義朝は、熱田神宮管理という裕福でもっとおいしい出身の、身分の高い御所女房だった頼朝の母を娶った。そのあたりから関係がこじれだした。

 のちの平治の乱にも朝長の乳母父だった義通は参加はしたが、「平治物語」には退去の時しか描写がない。その後、彼は平家に寝返った。

 

 ところがである、妻の実家である北条氏を後ろ盾に源頼朝が石橋山の合戦を起こした。

なんでも2年前に頼朝は秦野に狩りで来ているらしい。歴史家ってすごいね。そこまで調べてる。うわべは感じよくしてたらしい。田舎の人たちらしいなあ。彼の幼馴染で平家に命を狙われた中原親能は秦野育ちらしいし、色々あったんだろう。中原家は代々、波多野氏と婚姻を重ねたそうだ。

 そこで頼朝は合戦への参加を申し込んだが、義通の息子で当主である義常は断った。乳母子である山内須藤俊通は裏切った。断りの罵倒が残っているけど、彼は父をむごく義朝に裏切られ殺されたらしい。暴力の家である源氏にかかわると碌なことはない。

 波多野氏は石橋山合戦に参加していない。忠義に悩んでといいたいところだが、大庭家の人を妻に娶っていた彼には大庭兄弟の不仲の影響があり、また、三浦の氏族である隣の岡崎氏とつながっている人もいて、一族はどっちつかずだった。

 敗戦から反転して頼朝は鎌倉に入った。そのとき、母方の人である下河辺行平を差し向けられたが、彼は自殺した。そして、力の衰えていた波多野氏は秦野の地を北条氏にとられた。その後、辛うじて残った田原の波多野氏の中心は義常より、八田知家寒河尼の姉妹を母にする弟の仲綱に移った。

 彼は伊勢神宮宮司との縁戚があった伊勢の波多野領を相続し、伊勢の平氏の討伐から始まり、平家討伐から始まった戦いに参加した歴戦の勇士だ。でも、吾妻鏡に重く出てくるのは和田合戦以降だ。神奈川県の豪族が三浦と波多野ぐらいだけになったからだろうと思う。

 実朝は次世代の波多野氏の人たちを頼りにした。朝定という人に朝廷への仲介を頼み、学問所という勉強会に何人かを参加させた。元々、下級貴族の中原家と婚姻を重ね、関西と縁が深い波多野氏に親しみを感じたのだろう。しかし、実朝の横死により、波多野氏は北条氏の家来として京都で生きていく。

 承久の乱で波多野氏は何人もの命を捧げ活躍した。そして、多くの関西の領地も得た。片目を失くした英雄、波多野義重はのちに六波羅探題の長となった北条義時の息子である重時の婿になった。

 そして、実朝の七回忌に供養塔と金剛寺を建てた。金剛寺栄西の弟子である行勇の創建だ。高野山の金剛院と双子の関係らしい。実朝の法要は正式には高野山で行われたのだが、相模にいた有縁の人は寂しかったんだろうと思う。しかし、鎌倉で弔うべき政子もいないし、将軍も家が変わって形ばかりの供養しかできない。源氏に情念を持つ波多野氏を中心にということになったのだろう。それゆえに美しい御仏と塚が残った。

 実朝の塚が首塚といわれてのは江戸時代で波多野氏の縁戚である武氏が帰農したころらしい。首が見つからなかったという吾妻鏡の記述が原因だ。どうやら、その時の記録が残されていなくて、正確なところがあいまいにされていて伝聞を記述したらしい。冒頭の慈円がいなかったら歴史のすみっこに正確な記録はなかった。

慈円さんはほんとに概ね客観的で冷静な人だと思う。これからの世を憂い、人に対しても平等だ。頼朝と和歌の応答もしたらしい。愚管抄承久の乱の直前に終わっている。年も取ったし、あほらしくなったんだと思う。

 では、この本の本題である波多野氏の出自を知っての感想。続きます。

 

 

 

 

いたい。。「古オタクの恋わずらい」

 

 

 ニコ・ニコルソンの「古オタクの恋わずらい」がいたくて面白い。古風すぎる題名をみてぴんときたのだがこれはホラー漫画家の伊藤潤二の最高傑作のひとつ「死人の恋わずらい」をヒントにしたんだなって思っている。「死人の恋わずらい」はたぶん不幸だった作者が渾身の丁寧さで絵を描き、人を恋し求める暗黒を描いたもんだと思う。

 

 「古オタクの恋わずらい」作者のかつてのオタク高校生時代を恋愛ものとして描いたものだ。この漫画が最近書かれているあまたのオタクの恋愛ものと違うのは、今のオタクが勝ち取った喜びとオタクの暗黒面をも描いていることだと思う。

 

 私がニコ・ニコルソンを知ったのは東日本大震災を描いたエッセイまんが「ナガサレールイエタテール」だ。人の暗黒面をふくめて震災の被害を笑いを含めて描いたもので面白かった。

いわゆるエッセイ系の漫画家さんで行く人と思っていたが、少女漫画の流れが強いかたちで創作の連載を始めたときは驚いた。彼女の美術専門学校の青春をえがいた「でんぶばんぐ」面白かったですよ。

 そして、満を期してメジャーなKissで連載したのが「古オタクの恋わずらい」だと思う。

登場人物がとても魅力的だ。ヒロインがふたりの男の子に恋されるが当然の魅力的なキャラになっている。

 そして、一見オタク嫌いの主人公の思い人のキャラがいい。かれはどういう人生を歩むのだろうと気になって気になって。

 そして、つっぱってるときとプラーベートの時が描き分けられているけど、どっちも好きなんだっていうヒロインの気持ちが伝わってくる。

 オタクの嫌な部分、これは深刻すぎるんだけど、不幸からオタクにのめりこんで、周りを不幸にする姿もきちんと描かれているのがいい。いますな。借金背負っていたりね。お金せびったりね。

 今回のコロナ禍で女性の自殺が増えた原因にイベントが中止になったからっていう説があって、それはあるかもって思う。

それぐらいぎりぎりの生を何かしらのオタ活で支えている人多いと思う。きっちり結婚して子供産んでっていうけど、それに導いてくれる何かはどれぐらいあるんだろう。

そして、そういったメジャーらしい道が喜びばかりでないと見えているのに。

オタクというのは必要だから発生したのだ。

 この漫画のいいとこはそれだけでなく、オタクの地道な活動が多様性を認める方向に進み、みんなが楽になっていることを描いていることですね。

私も旅行したとき、路面バスで鬼滅の刃のビニールバックをかっこよく持ってるおばあちゃんを見たとき泣きそうになったもん。未来はよくなってほしい。そういう作者の冒険が心地よい漫画なのだ。

 青春時代、主人公と思い人の関係が破綻し、もう一人の不幸な男の子が現れる三巻は傑作だと思う。ほんとつらいけど、わかる。

 

こっちも見てほしい。切実な不幸が迫ってくる。伊藤潤二先生が素晴らしい人と結婚して今は幸せだけど、面白い漫画を描き続けているのも励まされる。