ここのところ、見た映画のなかで一番心にしみたのは西川美和監督の「すばらしき世界」だと思う。
役所広司のコメディセンスを基調にした殺人犯の刑務所帰りの男の敗残の晩年を描いたものだ。彼のための映画だと思うけど、細部の描写がすばらしく心に引っかかった。
「復讐するのは我にあり」が残った佐木隆三の絶版された原作「身分帳」を映画化した。読んでみると映画に描かれない部分で印象に残ったことを書いてみようと思う。
まず、この原作が男の俺の人生を描いてくれという、佐木へのリクエストから始まったことを知った。なぜなら、彼はえらい読書家でいろんな本を読んでいた。
自己主張のできる男は、いっしょに入獄していた連合赤軍の面々に入会をさそわれたりしたらしい。理不尽な監獄の仕組みにも果敢にいどみ、刑期がのびた。
ちなみに出所後、佐木が聞き書きしたところ、ビスコンティの「地獄に落ちた勇者ども」に感動したりしている。私は見たことないです。怖そうで。それがわかる複雑な知的な人物なのだ。
彼がついに殺人を犯したのは精神的な傷による衝動を抑えられないことで、そこを利用されて鉄砲玉としてヤクザ社会に生きた。というか、戦災孤児あがりで施設に育ち、脱走を繰り返し、進駐軍に犬のような可愛がられ方をし、少年院で性的な虐待をうけた彼を受け入れてくれたのは、同じような体験をした仲間だ。呉を舞台にした仁義なき戦いの世界の人々だ。
佐木隆三は広島で原爆を体験した人なので、さらっとそのあたりを聞き出している。やはり、あの映画の中の友情は性を介したものだったんだと思う。
佐木隆三はこの人の葬儀まで執り行った良心のひとなのだけど、彼が精神の治療に使った薬で体がボロボロなのにもかかわらず、働くことをしいた。まだ、50代前半だから当然だと思ったのだ。
しかし、まだ、20代のケースワーカーは気づいていた。彼が東京から故郷博多に帰ったとき、地元の係の人に申し送りをしていたらしい。専門職のすごみを感じる話だ。
あんなにも犯罪者と接していて、人生経験が深い佐木隆三でもわかんないことあるのだなあ。彼は深く後悔する。働くことはそんなに大切かと。
ケースワーカーは、映画では北村有起哉が演じている。映画の虚構の部分で、彼は最後に主人公に仕事を世話する。
それが切ない。現代ですら、人は主人公を救えない。
このラストは監督の西川美和が佐木隆三ににならって主人公のいた施設をたずねて思いついたらしい。この施設はさる寺が創設したものだ。その寺には戦国時代、大阪石山本願寺の戦いに巻き込まれて、博多に流れてきた若き娼婦の死の伝説がある。この話は背景に絶え間ない戦争がある。ひとの愚行がある。
西川美和も広島の人である。
映画はこの悲痛な人の人生の最後の輝きを描こうとしてる。掃除された部屋で食べる、卵かけごはん。愛した女性の幸せ。死の床を飾ったコスモス。
彼を支援する人を演じる梶芽衣子と六角精児の音楽のプレゼント。旧友夫婦を演じる白竜とキムラ緑子の友情。そして、佐木隆三を暗示した中野太賀が演じる未来あるライターの青年との交流。俳優さんの素が見える、あて書きがいい。
なんだかんだと言って娑婆はいい。生きることはいいって感じようとする映画に落とし込んでいる。彼女の父の世代への鎮魂を感じる。