oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

あらためて「東京物語」を見る

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 TOHOシネマズでやっている午前十時の映画祭で小津安二郎の「東京物語」をみた。大画面では初めてだ。是枝監督が鎌倉を舞台にした「海街dairy」のインタビューで、小津よりも成瀬が好きで映画を撮っていると語っていた。小津は家族を信じているが成瀬は信じてない、そこが共感すると語っていた。

 それを踏まえてみてみたいと思った。海外では、この映画はコメディに分類されると聞いたことがあるが、改めて見て、なるほど、辛辣で率直なセリフがとびかっている。東京に来た老夫婦は、うだつのあがらない東京のこどもたちへの失望をハッキリ口にするし、東京にきた両親をやっかいがる長女のセリフや行動はいじめそのものだ。そして帰宅した尾道で母は亡くなる。しかし、セリフの絶妙さで悲しみのなか、苦い苦笑がおきるのだ。父が東京の友達と酒を飲んで語り合うセリフには、彼らの家族への期待がそこにある愚痴なので、痛切なんだと気付いた。でも、孫の世代に近い私には、親の夢を背負って立身出世のため知らないひとだらけの東京に単身出され、不人情にさらされた子供はたまったもんではなかったろうとも思った。親の自己犠牲があるからハッキリは言えないが、なかば縁を切られ、別の世界でがんばる子供はいじわるにもなろう。酔いつぶれて、友達を連れて夜中に帰ってくる親に長女が「だからお酒飲みはきらいなんだ」っていいたくなるのはわかる。「東京は人が多すぎる」というセリフも重い。人が粗末にされ、ちょっとした努力や能力なんか見向きもしない東京での生活への苦しさがにじんでいる。しかし、監督の子供たちへの目は冷たい。からっぽな長男を山村聡が演じるが、晩年のバラエティとかで押し出しだけよい彼の空虚さを見たので、いい配役だったんだと感じたりした。最近、山田洋次でリメイクされてるが、ナンセンスかなとも思う。戦争を生きぬいた子供の目線での映画の方が新鮮かもしれない。確かに別の見方で見直す時期に来ているかもしれないと思った。

 この、実はドロドロを含んだ家族のなかで亡くなった次男の嫁を演じる原節子は別の空気をまとっている。配偶者を戦争で亡くし、多分、家族もうしなった彼女は彼らからはじき出されつつある存在だ。母親の死でますます夫一家と疎遠になろう。だから、葬式が終わった尾道からの列車でかたみの時計を見つめるのだ。それは戦争で亡くなったり、配偶者をなくしたり、得れなかった女性の世代の代表としての原節子の位置を示しているのだろう。戦前の小津の友人だった山中貞雄の「河内山宗俊」で十代でヒロインを演じていたのは印象的だ。山中は彼女をどう思ってたんだろう。黒沢映画といい、男たちの幻をまとっていたかのようだ。成瀬巳喜男の映画ぐらいが、生身の女を感じた。これは成瀬の女性観の個性を感じる。小津映画でも兄弟たちをかばい、両親に孝行する人として、彼女はひたすらに美しい。そして、それが苦い。

 葬式の後の会食で、父は追いやられて行った、夜中まで人が騒ぐような熱海で母が気分を悪くしたことをいい、娘の謝罪をうながしたが彼女はごまかした。ここでいいつのるとよくある葬式での修羅場ですね。だから、理想の父親像を託された笠智衆の父は家族が円満に、幸せに生きていくためにはと、ぐっと我慢する。それは自分たちの人生を必死で親に冷たいことへのあきらめだろうか、許しだろうか。あとで末娘は嫁にぐちるがそこで小津は彼女に託して人が変わることのしかたなさを語らせている。

 この話はイランでも、イギリスでもアメリカでも起こった戦争を含めての近代化した社会での疎外感をテーマにしていると思う。映画館では朝であり、年配の人が多かった。あまりに見るべき映画になり、テレビで見られているので、敬遠されているかなとも思う。大きな画面でみると人物がかなり大きな面積を占めて、紙芝居のようなシュールさがあること、ユーモアが強いことが改めてわかる、せっかくだから、映画館でお時間があれば見てください。次は遺作の「さんまの味」を上映するみたいだ。こちらはポップなカラー映画だ。まあ、最近やっと、すかしてると見なかったゴダールを見たわたしが言うのもなんですが、古い映画も面白いです。こっちも今でも面白かったです。

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