oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

読むのが怖かった「岡崎に捧ぐ」

 今、ひそかに評判の漫画「岡崎に捧ぐ」の第一話をお試しで読んだとき、わーっとなった。子供のとき友達の家に行って、こういう経験をしたことはありませんか。家が散らかりすぎていたり、不思議なおじさんがいたり、実は、私の子供時代は岡崎さんの家のようだった。父は夜働いていたので昼間寝てたし、家はふてくされた母がどんよりと散らかしていた。そして、時々思いつめて叔母達に長々と愚痴を電話する。その隅っこで、私はお小遣いで買った本や貸し漫画屋で借りた本をコツコツと読んでいた。そんなだから、友達は少なかった。嘘つきという評判もあったし、下着は三日は着ていた。夏休み田舎の母の実家にいくと、ほっとした。朝、美味しい朝ごはんを食べ、畑仕事を手伝い、海に行った。そんな真っ当な生活の良さを知っていたから、今そこそこ快適な生活を過ごせている。

 でも、亡くなったから言えるのかもしれないけど、そんなに悪い親でもなかったと思う。父は映画館や美術館に連れて行ってくれたし、母は必ず朝お味噌汁と、暖かいご飯を出してくれた。 親になってみるとそれだけを毎日するのもどんなに大変だったか。

 むしろ、そういった夫婦を遠巻きにして、煮詰まった私がたまに泊まることを快く許してくれた親戚のひとたちこそ、たまらなかったなあと今は思う。叔母たちは、引きこもって死んだ母が残した嫁入り道具の着物を形見にくれっていまだにいう。亡くなったとき開けたタンスにはカビて溶けた大島紬があって、そのことが言えなかった。たまたま、先日会った友人にそのことを言ったら、風をとおしていない着物がかびることは多々あると言いい、そして、若いときに私を抱いて大嶋の着物を着て笑っている母の写真を覚えてること、やっとこさ救い出したソテツの模様の黒留袖を大切にしていることをよかったねって言ってくれた。言って見れば、みんなそういったことは経験してるのだ。

 子供時代の無力さをかかえる岡崎さんと共に成長できる友情のすばらしさを、ほろ苦さを含みながらがははと笑えるのがこの漫画だ。不完全な大人たちに育てられていく子供のすこやかさよ。ゲームの進化を追いながら語る子供の世界の自由さ、なつかしさは普遍的なものだ。そうか、たまごっち、うちの息子たちの幼稚園時代はやってたなと、思い出したりもした。漫画は中学生まで進んでいるが、大人の事情がわかってくる高校生時代がどう描かれるのか楽しみになってきた。

 

岡崎に捧ぐ(1) (コミックス単行本)