oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

ジャニーズってなんだっただろう。芸能のおわり

 

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 滝沢秀明が引退としって、なんだか終末観にとらわれている。体調が悪いせいかな。私は決してジャニーズのファンじゃない。でも、気にはなる。言動から見てるとホストクラブのリーダーみたいな感じだ。なんか、体育会系の流れが続いて縮小するんだなと感じた。偏見かもしれないが、まあ、ショーの現場監督としてはいいのかもしれないが、社長ではないな。

 SMAPTOKIOが売れ出したころから、ジャニー喜多川さんという人は仕事に違和感を感じていたような気がする。美青年としての魅力がある人を目一杯見せびらかして、二十五ぐらいでアイドル卒業。その後の人生はいい思いをした思い出で生きていけるみたいな。貧しい時代、花の十代のあと、子供をもって苦しくても、次代をはぐくむ。そして、寄る辺ない男は死に近づいていくような。

 今の世の中の一番変わったことは人はかんたんに死なないということだろう。そういう時代の生き方として、そういうやり方の継承をさせるっていうことはどうかなあと思う。そういったジャーニーさん世代の混乱が今の世界を混乱させているような気がするな。まあ、ジャニーズの会社に安く食べれる社食がはじめてできたそうですが、そういったことは滝沢さん周辺が思いついたんだろうな。今まで、平等に食事を配るという発想もなかったんだろうと思う。

「アンダーグラウンド」を再び読む

 

 

アンダーグラウンド (講談社文庫)

アンダーグラウンド (講談社文庫)

 

 

村上春樹すげえなあと思ったのは、「ねじ巻き鳥クロニクル」、「アンダーグラウンド」、翻訳「心臓を貫かれて」が書かれたころだ。読んで後悔もした。毒が強すぎる、ちょうど、赤ん坊を育ててるころだったから。

 今回、本を手に取ってみると、手ずれがひどく何度も読んだ跡がある。なぜなら、夫の親族のところにいったとき、修行の話とともに、麻原彰晃のポスターが堂々と飾られていたからだ。夫と両親はけげんな顔をしていた。そのとき感じたのは、この人たちはテレビも見ない、ワイドショーとかの下世話なはなしも必要なんだなというしょうもない感想だ。先日、映画をふたりでみにって、私たち夫婦頑張ったんだなと思った。

 そんな私もテレビでオウムの人たちがおもちゃになっている姿をみて、吐き気がして避けてしまってた。エッセイストの中野翠さんもそうだと後に読んで、そういう反応の人もいたのかと思った。それはそれで問題もあると今は思う。地下鉄サリン後、親族は某新興宗教に入信することで、教団をのがれた。それもすさまじい話だと思った。

 

 そんなことから、自分の身近に起こったことを、どう感じていいかわからなかったから、この本はささった。そして、その渦中に踏み込んだ村上春樹が、深くきざまれた。

 この八月、再読してみた。淡々と語られる話、こんなにもひどい話だったのか。特に井上嘉浩の同級生のインタビューは見方が変わった。高校時代、彼がバスで井上にあって少し話をしたとき、暗い、合わないって、すぐ避けたって語っているのが気になった。以前も引っかかっていた。もちろん、自分には危険な人物ということだと思うけれど、彼はすぐ東京に転校したんで、井上が高校でヨガなんかに凝っているのを聞き伝えたようだ。

 彼は能力があってチャラくて、おおらかな青年だなあと。しかし、彼が妻の親の会社に転職したのは、どこか、深く傷ついていたのだと、その後の人生はどうだったかと気になった。違う人とどう付き合うかってことを色々と考えさせられた。そのあたりもオウムのはなしのキモかなっと。

 あと、改めて印象に残ったのは、妊娠中に夫を亡くした女性のはなしと障碍者になった妹と彼女を支える兄一家のはなしだ。淡々と筆記されているが、村上春樹の感情がずしんと響く。被害にあわれたひとは沈黙している。自分の今までの人生をどう感じていたかもわからない。かろうじて生きている女性には、目に光が宿ってはいるらしいが。失われたものはわからないというむなしさを感じた。デビュー作「風の歌を聴け」で病院にいる不幸な女性のエピソードがラジオから聞こえてくる。言葉にならないことへのアクセス。

 95年は、私はいろいろとあった。多くの人がなにかしら関係があったのかもしれないが、ほとんどの人が沈黙を守っているのではないかな。その、なにかしらの間接性に深く切り込んでくれたのが村上春樹だと思っている。

 この記事を書いて公開するのに時間がかかった。もう九月だ。でも、あえて私の整理としてとどめたい。

あの頃何してた?「SUNNY 強い気持ち・強い愛」

sunny-movie.jp

 「SUNNY 強い気持ち・強い愛」、ダンスと音楽、カラフルな映像、楽しかったなあ。あの頃のコギャルたちの自己主張、姉さんは、頼もしく見ておりました。元コギャルの篠原涼子小室哲哉のもとで歌っていたのをいかしての熱演。バラエティに出てたときから、さっぱりして、安定してるのが好きだったなあ。ごひいきの渡辺直美も出てて、本格的なダンスを披露。やさぐれた、ともさかりえ、姉御な板谷由夏、そして、コメディセンス抜群の小池栄子。よくぞ生き抜いてくれたと思う面々。そして、今回はコメディ演技の千葉すず、そして、体育会系のさわやかな山本舞香、池田イライザの色っぽい暗さ、SUNNYのコギャルグループのお嬢様方、ルーズソックス可愛い。

 小沢健二の「強い気持ち・強い愛」がメインの曲になっているんだけど、知らないのは少し残念だった。コムロさんの曲はテレビとかの露出度高かったし、クラシックしか聞かない偏りの、うちの夫が渡辺美里のファンだった流れで全部聞いてて。そこが謎なんだけど、小室さんと同世代だから、ものすごくシンパシーを感じていたのだろう。この前の安室奈美恵の引退にも反応してた。あ、ちなみにオールナイトニッポン、そういえば、たけしのラジオは聞いていたらしい。ラストの方、池田イライザが抜群のモデル体型で、安室ちゃんの「sweet 19 blues」のMVの衣装と同じ感じの着てて、感激した。

 小沢健二の曲は95年の夏の曲だったのを調べて知った。阪神淡路の地震のとき、次男の臨月で一週間ほど予定日がずれてしまった。たまたま、仕事を休んでいた夫と涙してみていた。私の親族が淡路島にゆかりがある人たちで、洲本の母の実家は何ともなかったけど、父のひいじいさんの家は崩壊した。主人公は淡路島から東京に転校ということだけど、島はほんとに局地的な被害で、むしろ、その後の荒廃がじわじわとしてつらかった。東京へのすぐの転校はどうかな。まあ、ど田舎で口がものすごく悪いっていうのは、ほんとだけど。淡路のヒーロー的、きむら緑子さん、お母さん役、うれしかったな。まあ、子育て真っ最中、まだ、キラキラが残っていた渋谷センター街の賑わいをうたっていた、この歌を届かなかったのだろう。名曲だと思う。キャストのみんなが踊りまくるラストは泣かされてしまった。失われた健全さのような気がして。誰かのお父さんらしい同世代も泣かされていました。あの頃を生き抜いてきたひとに何かしら響く映画だと思うな。

 

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デビット・リンチの謎

 

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 池袋の文芸座で上演権がそろそろ切れるというデビット・リンチの特集がやっていたので行ってきた。放映時、映画館で見たのはその当時愛読していた「デューン 砂の惑星」ぐらいなのだ。その後、見たのは高倉健が絶賛していた「ストレイト・ストーリー」。なぜ、彼がって不思議で、素直できれいな映画だった。あれ、思ったより、共感できるって思った。

 ツインピークスは放映時テレビで、ビデオで、がっつり見ました。しかし、あれ、地上波だったのだなあ。信じられん。でも、最終巻は怖くて見れなかった。

 その後、怖いのも見ないと、初めてみたのが「マルホランド・ドライブ」、すごく前向きになった。謎だった。あんなひどい話なのに、ロスやハリウッドに行きたくなった。「ラ・ラ・ランド」でロスの夜景をみたとき、涙が出た。

 そうだ、「インランド・インパイア」映画館で見ました。女性賛歌として悪くないと思いました。ストーリーはさっぱりわからなかったけど。裕木奈江が出てたのかあとで知った。その後、彼のホームページを眺めたりしていた。英語がさっぱりなんで、珈琲は買えんかったけど。「ツイン・ピークス ratuin」もチェリーパイ作った。こういうとき、生き続けてよかったなあと思う。幅が広がったというか。楽しい。

 今回、「ロスト・ハイウェイ」と「マルホランド・ドライブ」を見た。まんなかにある「ストレイト・ストーリー」を見たので絶頂期の三部作見たことになるのかな。

ロスト・ハイウェイ」、なんで主役がビル・プルマンなんだと思った。下品なところがあるカイル・マクラクランだとわかるけど、珍しくハリウッドで私生活シッカリしてそうがにじみでてくる俳優さんなのに。

 最初は彼の和柄の部屋着いいなあ。おうち素敵だなあ、音楽かっこいいなあというところに目が行った。池袋文芸座の音響はすばらしいですな。しかし、あっという転換があって、なぜ彼が主役か、じわじわ、わかった。ロザンナ・アークエット、女優魂、炸裂ですな。前半はちょっと退屈だったけど、あの疾走感はたまらなかったです。

 どうしても大画面で見たくて、「マルホランド・ドライヴ」も。あんなに好きな映画なのにところどころ忘れてる。前半の怖くてロマンチックなところは覚えているけど、後半は純粋に見えたキーパーソンの監督が、あんなにやなやつだったのかという驚きと、劇場の場面ぐらいで、主人公のひどくすさんだ姿は覚えてなかった。まさに、記憶は改変される。つらくて、見てられなかったらしい。美しいロスの夜景がけっこうたっぷりとあるな。そして、女盛りの女優さんたちの美しさ。今回もすかっとした。なぜなんじゃろね。不幸、ひどい、てんこ盛りなのに。

 今回、これから、「エレフォント・マン」「デビット・リンチ アートライフ」も放映されるらしいです。後者は、本物の古くからのリンチと寄り添った方に見てほしい。彼が本来、現代アートの作家さんとして原点にもどっていること、そして、映画引退は本気かなと思われることがわかるドキュメンタリーです。さびしいけれど、時代は移っていく。

 

www.shin-bungeiza.com

 

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日本の女は悲しいか

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もやっとして言えないんだけど


 昔、「淋しいアメリカ人」という本を読んだとき、著者の桐島洋子が、アメリカの知的なキャリアウーマンが、使用人に育児や家事を丸投げしてバリバリ働いているのに、うっすらとした疑問を感じていると書かれていた。よく、アメリカとか女性の進出が進んでいるといわれるけど、どうなんかなと思っている。中国とか中東とかも女性の医師とか多いと思う。どちらかといえば、女性であっても、富と階級に恵まれるひとは知的な仕事に就けるってことだと思う。たぶん、いろんな雑用を丸投げして達成される貴族の働き方が基本なんじゃないかと思う。そういった人は能率がいいので、競争に勝てる、生き残れる。

 人間はバカでないので、人を踏みにじっての生活がいいとは思えない。そういったいろんな雑用を科学で省こうとしたのが、アメリカの郊外住宅的な生活なんじゃろう。しかし、それは生身の人間がわらわらしていた時代の温かみには欠ける。そこに映画でいうとデビット・リンチ的だったり、ロメロ的だったり、テレンス・マリック的な悲喜劇が生まれたのだろうと思う。過酷な自然にかこまれての「大草原のちいさなおうち」はどこまでいってもそうで、わずらわしい付き合いを省いたら、荒廃しかないのである。

 そうして、その生き方をまねした私たちといえば、古い母系を基本とした伝統社会のうえに混乱しているのだと思う。日本の男は孤独だ。つよいおっかちゃんが孫育てまでしてくれて、嫁がいばっている。家に帰ると居場所がない。でも、その助けがあるからこそ、職場でいい立場が維持できる。日本の女がつらいのはそこなんだろうなと思う。

 男の働き方が母系的な支えを基本としている限り、そこを肩代わりする人が必要になる。それを前提にして女も戦わないといけない。しかし、女性が支えるのが当たり前のやり方だと、今、男はつらい。今回の東京医大の入試の不正は、そういった居場所が職場だけになったおっさんのとんでもない陰湿な嫌がらせだと思う。性的なフォルターをかける差別が多い質問のもんだいとかね。

 むかしは家というものがあったのだろう。しかし、男が母親に支えられて、仕切りっていうことは、娘というものが犠牲になるわけで。しかし、その疑似的な存在になった職場の制度もしんどくなったわけで。

 

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 今読むと、ほんとつたない文章なんだけど、平安時代後期には今のもんだいの基本的な部分は出そろっていると思う。紫式部は日本の元祖働く女性だ。

 

 

「夕凪の街 桜の国」幸せになることへの戸惑いから

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www.nhk.or.jp

 ドラマになった「夕凪の街 桜の国」の川栄李奈さんの熱演をみて、この漫画が原爆の日の地上波で放映されているのをしみじみよかったなと思う。切望してみた、がらんがらんの映画館の映画は、いろんな意味でつらかった。まず、予算が俳優が、集まらなかったらしい。堺正章のおとうさんは原作の軽みのある名演だったけど。

 原作の原爆症でなくなるヒロイン皆実の「嬉しい。十年経ったけど原爆を落とした人は私を見て、やった。またひとり殺せたとちゃんと思うてくれとる」のモノローグ、初めてよんだときびっくりしたけど、きちんと映像化されてましたね。川栄ちゃんは「男の操」で恋愛ですり切れた年増役に挑戦したり只者ではないと思ってたけど、うまいねえ。原爆のトラウマのシーンもよかった。まんべんなくどろだらけになっていた。京花ちゃんを演じた小芝風花も力強かった。キムラ緑子さんのおかあさんも悲しみがあふれていた。このお母さんはこの話のキモだと思う。無念さゆえに孫たちに呪いをかけるのだ。

 モノローグは原爆を落としたアメリカを非難したととられていいと思うけど、トラウマ場面でほのめかされた原爆にあってモラルを踏み外していく、生き残った自分に対しての怒り、自らに刃を向けていると思う。その刃は生き残った人々に共通するものなんだろうな。なかったことにはできない。いなかった人にはできない。過去の上に自分がある。

 これが私にはこたえたな。たぶん、この漫画を読んだ多くのひとに届いたと思う。過去に起こったことはなかったことにできないことを。それは誰にでもあることだからだ。しっかりと見据えないと幸せになることへの戸惑いは消えないのだなあ この原作はそういった意味で原爆の悲劇を単純に描いたのでない。ドラマ化でまんがのモノローグの美しさがきわだったので、舞台でも見てみたいなあとせつに思った。

 

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「戦慄の記憶 インパール」初めて見えた記憶

 

 昔は戦場ものを避けてたのだが、映画「野火」を見てから、これは私の人生でいつか見た記憶だなあと感じられるようになった。そして、このドキュメンタリーをぼんやりと見始めた。まず、インパール作戦についてまるで知らなかった。そのなかで、二十代前半の将校さんが記録した、軍部幹部の愚行の数々、そして、食人がおこなわれた悲惨な戦場のありさまが語られる。戦記や生き残った兵士の証言や幹部の息子さんが頑張って残した父の書類が、その記録を裏付けていく。

 マラリアに倒れた若き将校は戦場に打ち捨てられて、俺も喰われるかと書き記した手記をポケットに入れた。それが、イギリス軍にわたって公開されたらしい。最後に、老人介護施設でぼけぼけになった車いすの老人をスタッフが訪ねる。その話をすると、老人はかっと目を見開いて、命がよみがえる。「見つけてくれたか」と語る。彼は一度も、家族にも周りの人にも過去を語らなかったらしい。

 それを見て、思い出したのは村上春樹の最新作「騎士団長殺し」の隠された絵を描いた老画家が、その絵を問われたときのシーンだ。この小説は、作者の戦争について沈黙を守った父の最後を描いていると思っている。隠された、打ち捨てられた言語化しできない思いを発見する。戦場に父なるものを送った人々の共通の願いなんだろうと思う。そして、夫なるものを。老人と同世代の橋田寿賀子さんがこのドキュメンタリーにいたく感銘を受けたらしい。父なるものとは何か。それは社会のシステムに通づるものかもしれない。村上春樹のスピーチで語られた「卵と壁」。みんなを自然の脅威や戦いから守ってくれる壁。それは何かしらの等価交換を欲しているような気がする。そんなことを感じながら、見ていた。その等価交換は今でも常に行われていて、卵でしかない生身の私たちをそこなっている。そんなことをこの夏感じている。

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