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日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

恋愛と生活「ボクたちのBL論」サンキュータツオ 春日太一

 よしながふみを読むようになってから、BLをちらっと読むようになった。今、マンガの世界では一番活気があるジャンルじゃないかな。ドラマチックな歴史解釈がある、よしながふみ、テレビ界のでたらめなお祭り気分を知った「東京心中」、ヤクザの情念に踏み込んだ、ヨネダコウ、すごく自由な分野になってる。で、キモは性愛まで踏み込んだ恋愛の情念の世界でしょう。

 そこを男性として面白がってる、ふたりのけっこう生真面目な討論本。この度、めでたく文庫になって、気になっていた、アニメ「リズと青い鳥」、ドラマ「おっさんずラブ」にまで語っているというので読んでみた。正直、こまかい男性の性への戸惑いとか恋愛感とかわからん、恋愛好きな方々なんだな。あらためて、私はめんどくさがりなんだなと思った。

 ただ、「響け!ユーフォニアム」、「聲の形」でアニメ史に残るなって確信した山田尚子監督の「リズと青い鳥」、ご縁があれば見たいなあと、改めて思ったし。面白かったのは、いま、はやっている「おっさんずラヴ」には乗れんかったっていう話ですね。そこは、二人と一緒かな。そうなんですよね。一度見ましたが、よくはできてる、田中圭はいい役者だなあ。がんばってほしいで終わってしまった。恋愛の楽しいところだけをエンターテイメントした、恋愛ドラマの高度なパロディーなわけで。そういえば、トレンディドラマあかんかったわと改めて思い出した。私は野暮天だ。これはゲイとかは関係ないらしい。その方々も好きか興味ないかに分かれたらしい。

 しかし、私は、情念の世界のドラマチックは大好きなわけで、おすすめされていた水城せとなのBLの傑作「窮鼠はチーズの夢を見る」は読みました。最近、彼女は石原さとみでドラマ化された「失恋ショコラティエ」の作者ですな。これは恐ろしい恋愛ものの狂気の漫画だった。

 この本のなかで水城せとな松本清張の対談が読みたいと春日太一さんが言っていたが納得だ。私も松本清張はけっこう読んだが、彼女もどうしてこんな執念深いストーカーみたいな話なのか、怖くて読んでしまう世界なんですね。

 私はこの漫画は、子供を持ち、家庭を持つという幸せより、情念のファンタジーの世界にとどまる芸術への誘惑、エロスにおぼれるということの覚悟の話にも読めたな。それは語り手のふたりの生き方にも通づることで、アートにたずさわるって、厄介なことだなあと思ったよ。

 

 

 

窮鼠はチーズの夢を見る (フラワーコミックスα)

窮鼠はチーズの夢を見る (フラワーコミックスα)

 

 

フランスは子育てが楽?「フランス人ママ記者、東京で子育てする」

 彼女の夫のじゃんぽーる西さんの子育て漫画はなかなか楽しい。じゃあ、奥さんはどう思ってるんだろう。この本は奥さんのジャーナリスト経験がいかされて、子育てを通して、両国の文化の良さと問題がわかって、色々とヒントがある。 

 まず、夫との出会いが、彼女が漫画の歴史を紹介した「Histoire du Manga」だったというのが面白い。なぜ、フランス人は日本の漫画が好きか。それはフランスに足りないものがあるからだ。かつて幼児番組の会社につとめていた彼女が、なぜ、子どもをもてなかったかということも、そこなんだろうなと思う。

 フランスは、日本では100万ちかくになる検診費、出産がほぼタダになるらしい。お金って大切ですね。だからこそ、出生率がたかい。日本のお産は、いまだ現金を安いところでも20万を先払いして、やっと補助金がおりる。

 法律で検診の回数は多く指定されているけど、まあ、10分間医療だ。フランスはきめ細かいカウンセリングがある。仕事もかなり配慮されていて、マタハラで失業って、ほぼないらしい。

 しかしですね。こどもにやさしいかというとどうかな。バスにのれば、じゃまっていわれるし、町におむつを替えるところはほぼ、ないそうだ。保育園はたらない。半分以上が保育ママが手伝っている。その質はといえば。働くのが当たり前だから、親子の関係もうすい。親族で子育てを助け合うことが薄れているので、夫婦の負担が重い。それで関係が破綻ってめずらしくないらしい。婚姻関係がゆるくなっていて、パートナーが変わるなんていうことも当たり前で、こどもにはきつい。自分は自分、ひとはひとの個人主義がわるく働いていることも多いためだ。子供を持たないからっていわれないけど、めんどくさいから子供に冷たいっていうのもかんたんなのだ。

 まあ、カリンさんは、都内の恵まれた地区で子育てしているので、だいぶ、日本では得はしていると思うが。たくさんの子供が生まれているが、格差があたりまえで、年に15万人が16歳までの義務教育を中学中退で放棄するってめまいがする。そういうことをふせぐために公教育がすすんだろうに。そういった社会不安は、敏感なひとにはたまらないだろうな。恵まれた地域はとてもせまいようだ。はずれると、子供のいじめとか、きつそうだ。もちろん、日本の少子化の原因、同調性の過剰さだが、それがよい部分で反映した犯罪率の低さ、また、ミックスの子供への差別へのひどさにも言及していて、さすが観察力が鋭いって思う。

 さて、なぜ、フランス人は日本の漫画が好きか。そこにはフランスにたりなくて、日本に過剰なものがある。そこがこの本の面白いとこだ。 

フランス人ママ記者、東京で子育てする

フランス人ママ記者、東京で子育てする

 

 

遠藤周作「留学」

 

遠藤周作文学全集〈第2巻〉長篇小説(2)

遠藤周作文学全集〈第2巻〉長篇小説(2)

だなと思った。 

 

 遠藤周作は、かつてネスカフェゴールドブレンドのCMから読むようになったから、狐狸庵先生のイメージがつよい。面白いエッセイをさかんに読んだけど、真面目な人が無理している感じが独特だなっと思っていた。だから、今回、全集で180㎝の立派な体格な人と知って、ちょっと驚いている。ふつうはいじめられっ子ではないはずだ。横浜の近代文学館の展示で、公に書くきれいな字とプライベートの手紙のくずれた字の格差に、抑圧がひどい人なんだなってうっすらと感じたが。

 この小説で、大学講師時代の彼がマルキ・ド・サドの研究をしていたの知って、びっくりした。きっかけは、中で描いてるように、だれもやっていないことを求めてなんだろうけど。私が、彼の小説を読むようになったわけもそんなもんだしな。しかし、なぜにそれに執着するか、そう、それが問題ですね。そこには何かしら強く響くものがあるからだ。遠藤は、留学でその研究に熱中して、わずらっていた結核が悪化して、命にかかわる長期入院をしいられた。

 その体験を複合的にまとめたのが、この小説「留学」だ。そこには、カトリック信仰の狂信性とつよい人種差別が描かれている。そして、その他の地域の人々のルネッサンス以降の欧米の化学的な成功による豊かな生活への渇望を。そして、カトリックの抑圧に伴う、変態性への誘惑も。

 拷問をえがいた「沈黙」が、マーティン・スコセッシにあんなにもにひかれたわけだ。考えてみれば、前作は乱痴気騒ぎをえがいた「ウルフ・オヴ・ストリート」ですよね。こちらの映画はヘタレな私は見てないけど、評価の高い作品でお客さんもたくさんはいった。彼は善良な映画オタクだが、ひどい麻薬中毒だったことでも有名だ。

 「沈黙」の前作である「留学」は、構成が複雑だ。遠藤が分裂したらしい登場人物たち、キリシタン時代の初めての留学生の記述、そして、サド研究の体験、いろんな要素が混とんとしている。けっして、成功した作品とはいえない。けれど、描かなければいけない小説なんだなと思った。

 しかし、作家は小説のなかでは、そう、うそはいえないんだな。彼に洗礼をうながした、上智大学の教授でもあった宣教師は、秘書とできて信仰を捨てたらしい。それまでには、遠藤一家とのめんどくさい葛藤もあったようだ。「沈黙」はその事件をふまえ、歴史的な西洋と日本とのかかわりの原点にもどって、人間のややこしさを描いた小説だったんだなあと思う。それを作品に昇華するのに、命の危険と長い年月が必要だったのだ。そして、島国である日本の私たち、遠藤も悩んだ、常に新しいことはは海のむこうからやってくるが、それを同化して生きていくという、私たちの生き方の精神の課題があるのだなと思った。

信じる中野翠「あのころ、早稲田で」

 図書館で 中野翠さんの書下ろしあるなって、でも、学生運動盛んなときの早稲田の青春なんて、私にかけ離れているなと思っていた。とのぞいてみたら、原民喜と友人の丸岡明一家が住んでいたアパートにいた子供が学生運動に参加するような青年に育ったが、若くして命を絶ったとあり驚いた。けれど、もともと、あの運動の思想的背景は彼がおおく執筆していた「近代文学」が関係しているらしい。

 「近代文学」は原の義弟、佐々木基一、中野さんがあこがれた早稲田教授の平野謙、そして、思想的リーダー埴谷雄高によってつくられていた。彼らは共産党の活動に挫折し、文学上に居場所をもとめたのだ。原民喜は佐々木の姉と結婚することで作家になり、そして、発掘された作家さんなんだと知った。

 ふーんと思った。私は関西で封建的な家に育ったので、学生運動は、ぐれた親不孝と聞かされた。親のすねかじりの頭でっかちやろうという悪口だ。じっさい、京大の運動は徹底的に弾圧されていた。それほどに関西は古い秩序が強かったように思う。戦後、もう、他者をいれる余裕がなかったのだな。今、京大が思想的に弱っているのって、そんなこともあるなっと思っている。

 どちらにしても、下町育ちのわたしにとっては遠いことだ。だから、吉本隆明埴谷雄高の名前を知ったのは大人になって、ずっとあとだ。昔、河合隼雄さんの講演会に行ったとき、見たこともない難しい本が並んでいて、盛んに手に取っていた人たちをみて、私は教養の種類がちがうんやなと、がっかりしたことがある。いい大学もでてないし。そんなこともあって、この本は手にとっていなかった。

 しかし、読んでみて、そんな大多数に知られていなかった運動の実際が、あの連合赤軍につながったんだろうとも思った。彼女が影響を受けた、埴谷雄高吉本隆明の比較があり、面白かったですね。妻に四度も堕胎させた埴谷、仕事を犠牲にしても二人の娘を育て、生活者として生きた吉本、人間的に尊敬できるのは吉本だけど、彼と対談したとき、わざわざ、着ていったコムデギャルソンが似合うののは埴谷だというのは、芸術とか思想とかの美しさと胡散臭さを表していて、的確だなと思った。

 学生運動は世界的におこった大掛かりな親子喧嘩だったと感じる中野さんには同感だし、それは父なる人たちが参加した第二次世界大戦の後遺症なんだなと私は思っている。だから、学生運動がさかんな早稲田にいた村上春樹は、ノモンハン事件を小説にしたんだなと思った。私は戦争の後遺症はたっぷり味わったな。だいたい、父の兄弟たちは左派の政治運動に参加していた。ものすごく、お金が好きな人たちだったんだけどね。うちの父はそれを斜めに見ていた。にもかかわらず、大学職員をしていたころで、学生さんにいじめられる体験があっても、がんばれと語っていた。

 この本は時代を象徴する佐々木マキのイラストで表紙を飾り、ユーモアあふれる語り口で書かれているけど、けっして、軽いものではない。編集者という伴走者をえたからだろうか、彼女の恋愛についても、初めて、さらりと語られている。なぜ、結婚しなかったか、「くわえたばこで皿洗い」をするような人生が送りたかったと。なにかしら、人生のまとめのような本だ。

 子供だった私にとっての60年代は新しい豊かさで、ベルボトムをかっこよくはいた、少し上のいとこが夢中になっていたフォーク、そして、加藤和彦がヒーローだった。中野翠がそういった文化的な方面にながれていったのは自然な流れだったと思う。だいたい、政経学部をめざした中野さんのしらけた気分ってわかる。前時代の親の内面の反映である、大学生の特権意識、女性差別観を引きづっていた運動はたまんないものがあったよ。しかし、彼ら学生たちが支えたあたらしい文化は、とても、かっこよかった。そういった時代の美しい若者の横顔を紹介したこの本は、貴重な証言だと思う。さいごに中野さんは50年ぶりに早稲田を訪れるのだけど、最後に「彼らを信じる」ということばで終わるのがしみてくる。どんな時代も未来をたくす、わかものに幸あれと思いたい。

 

あのころ、早稲田で

あのころ、早稲田で

 

 

 

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詩集を読んでみる「原民喜詩集」

  図書館で読んだ原民喜の「夏の花」を読み返したいと探していたら、2015年に岩波から詩集が出ているのに気がついた。梯久美子さんの本で紹介されていた詩がきちんと読めるのがうれしかったです。遠藤とのいきさつを描いた、小説「永遠のみどり」の木々の緑をモチーフにした詩、 「永遠のみどり」改めて、刺さりました。そして、遺書にかかれた「悲歌」こんなもん贈られたら、作家になるしかないでしょ。遠藤周作

 詩に独自性があり、戦前の作品でも何らかの形で残ったと思われる作家さんですが、原爆小景という一連の詩から死に至るころの詩はとびぬけていて、一へんを読むのが怖い詩もあり、「永遠のみどり」は原爆をうたって詩というだけでない、普遍性があるように思います。この詩集についている、研究者の竹原陽子さんの年譜は、梯さんの本の年譜と違うまとめられ方をしているのはにくいですね。本に省かれていた義弟との関係や、梶山季之ら、広島の文学青年とのかかわり、死後、どう読まれていたかもわかります。1975年に三省堂の教科書に「夏の花」はのせられているのですね。2010年に漫画にもなったみたいで、原民喜は低く底流のように読まれ続けていたのだな。この詩集を読んで、また、詩を読むことについて、考えてさせられました。

 話はそれますが、この頃、詩につよい本やさんに巡り合ったのもあるのですけど、詩集をよく読んでいます。そこで能町みね子さんも関わった、尾形亀之助の詩集を見つけました。私は親族とまずいのですけど、どうしても、会わないければならないとき、ずっと読んでました。

 私が詩の形式につよい作家さんにひかれるのは、東日本震災以後、世の中が不幸を美談で流し込もうとしているからではないかな。今、詩は音楽の歌詞として生き残っているのですが、ことばがダイレクトに入ってくる音がない詩というかたちは、けっしてすたれるものではないと思います。言葉にしたくない思い、できないとき、まだるっこいみたいですど、詩というものはきっと寄り添ってくれると思います。原民喜はそうしたなかで、必要な人に寄り添うために、ひっそりと復活したのだなと感じます。繁栄していようが、不幸であろうが、生きるかなしみというのはつきまとうように思うのです。

原民喜全詩集 (岩波文庫)

原民喜全詩集 (岩波文庫)

 

 

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原民喜を発見する「原民喜 死と愛と孤独の肖像」

 「この世界の片隅に」関連作品を見てみたら、原民喜について語ったこの本が紹介されていた。作者の梯久美子さんは、映画「硫黄島からの手紙」の原案のひとつになった「散るぞ悲しきー硫黄島総指揮官・栗林忠道」で世に出た人だ。

 私にとって原民喜は気が弱くて奥さん頼みの、原爆について書いた人だったという感じだ。私は神奈川近代文学館遠藤周作展も長崎の記念館も行ったのだけど、彼と友人だった原民喜についての展示は素通りだった。彼は戦前から「三田文学」、「近代文学」という慶応卒業生の同人誌を主に寄稿していた人だ。同人誌といえば、マンガだけど、文学に才能が集まった時代、メジャーになれない作家がたくさん作品を発表していたようだ。  

 そのなかで彼が残した「夏の花」は原爆の翌日に書かれたメモをもとに、その時の感情と情景をなまに残そうとした稀有な作品だ。それに至る人生、そして、その後の人生をたどり、なぜ彼がこの小説をかけたか、そして、未来に何をたくしたかを知るいい機会になった。

 生活能力にかける原は、早くに庇護者である父を亡くしたうえ、学生時代、いじめにあう。そして、やっとこ、文学の才能にひかれた友人にみいだされた。文学は当時のめぐまれた青年のぐれかただったようだ。戦前の文学者の特別な立場がみてとれる。

 しかし、仕送りで生きていた彼は戦争を背景にした家業に反発するも、情けない青春を送る。縁あって文学好きの奥さんにめぐりあい、まともな文学が書けるようになるが、有力者の佐藤春夫に会いに行くのも奥さんと一緒という感じなので、奥さんは疲れ果てて、終戦の前年に結核で死んでしまう。原は人の気を吸い取ってしまうのだろう。そういう、強い我を持つ人なのだ。そののち、戦争の破滅を感じながら、故郷広島に逼塞する。そうして、彼は原爆に会うのだ。

 皮肉なことに戦争でもうけた父が建てた頑丈な家のおかげで、彼は無傷で助かる。そして、原爆の地獄絵を中年の静かな目で目撃することになる。生きづらく、死に常に呼びつけられていた彼は、それを残すことを天命感じた。この本を読むと、メモが細かく紹介されているが、避難場所で被爆者の悲鳴を聞きながら描く原の業を感じると、恐ろしくなってくる。そして、作家としての潜在能力の高さに驚く。それに少し加筆したり、省いたりをしたのが、小説「夏の花」なのだ。

 岩波文庫版の解説を、小説集の出版に力をつくした妻の弟さんが書かれているが、「夏の花」は「死者の眼で外界を眺めるのを常としていた作者が逆に生に甦った」小説だと語られている。それは、まるで地中にいたセミが脱皮する過程を目撃しているのような感じである。そういう強い命の力を感じる作品だ。

 そして、書き上げて、死の準備をしつつあった彼が出会ったのが、遠藤周作だったらしい。彼は陽気なふるまいの裏に、虚無をかかえた文学青年だった。ふたりは家族をやしなっていた若い女性と三角関係にも似た友情をはぐくむ。しかし、原はその闇を察して、デートに誘った女性を映画館に置き去りにしようとした遠藤を止めようとしたりした。

 長崎の記念館にある、遠藤の全集に入っていない二人の手紙のやり取りが紹介されている。なにしらの過ちを犯した遠藤を原が励ました手紙だった。遠藤がはためには、ぐずな彼を支えたように見えたが、実はどうしようもない虚無を抱えた遠藤を支えたの原だったようだ。「沈黙」のキチジロー、「私が捨てた女」の男は遠藤のありえた姿だったのだなあと初めて実感した。それは父性にも似た愛だったようだ。しかし、彼らが成長し、遠藤がフランス留学を決意し、女性が貧困から脱して、一人になると、原はいよいよ死を決意していったようだ。

 そして、親族、友人に何通もの遺書を書き、遺品を整理して、JR中央線に身をなげた。愛を強く感じ、そして、それを人に強く残そうとする男だった。学生時代、影が薄くて、親しい友人以外誰も覚えていなかったらしいけれど、そのなかにこんなにも強いものがあるのかと解き明かされると驚いた。

 私が行きづりにあった何人ものひとのなかにも、このような背景があるのかもしれないなあと思った。人とはなんと面白いものか。作者はさらっと描写しているが、当時、三田文学の代表的な立場のひとだった柴田錬三郎、そして、遺書を送った友人のひとりに梶山季之があるのに驚く。そういった、原とは異質なひとたちはどう彼を思っていたのだろう。

 柴田錬三郎は、戦争中、原の葬儀の言動などから、俗なひととして、作者は切り捨てているが、映画スターの市川雷蔵が育てたイメージとはいえ、転びバテレンの息子、眠狂四郎を思いついた人だ。大衆作家である梶山季之は、広島の文学青年で「夏の花」の熱烈なファンだったらしい。広島の平和公園の原の墓碑を立てる運動をしたそうだ。そのあたりも知りたいと思う。

 原民喜の「夏の花」を図書館で読んだ。1986年版が大切に読まれていて傷も少ないのに胸をつかれた。これからもひっそりと読みづづけていかれる作品だと思う。そして、震災といったわざわいが前向きにという名で消費されつつある今こそ、よみがえるべき作品だと思う。

 マンガ「この世界の片隅」での最後、広島を訪れた主人公がつぶやくモノローグは、「夏の花」の続編である「廃墟から」の最後の光景を引用したものから生まれたと知った。この一連の作品は詩人でもあった原民喜の静かな文章と詳細な悲劇のリアリズムの現実性から、そこで何があったを強くかんじさせてくれる。

 そして、原は遠藤と女性に、ある詩を託した。それは何を意味するかを考えると切実なきもちになるのだ。

 

 

原民喜 死と愛と孤独の肖像 (岩波新書)
 

 

 

小説集 夏の花 (岩波文庫)

小説集 夏の花 (岩波文庫)

 

 

水木しげる 魂の漫画展 漫画についてつらつらと

 

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特別展・企画展|展示案内|龍谷大学 龍谷ミュージアム

 お彼岸のお寺の法要の帰りに「水木しげる 魂の漫画展」を見てきました。幼少期の絵画から代表作の原画。なかなかに充実した展示でした。最初にお弟子さんだった池上遼一さん出演の13分の映像。「クライングフリーマン」好きだったなあ。

 どう水木マンガが描かれたか、実演つきです。話されるエピソードも面白かった。鬼太郎の週刊少年マガジンの執筆は三日の期限だったので、当時チーフアシスタント的立場のつげ義春とふたりで必死で落ちを考えていたとかも、言ってましたね。まんがの細密な背景も展示されていました。数々の背景がコピーされて使いまわされていたんですね。美大を落ちたり、中退した水木先生が、バイトの美大生をこき使って書かせたという怨念都市伝説は聞いていたのですが、どうでしょうか。

 見てた当時、背景とのほほんとしたキャラの違和感はすごく感じたのですが、これは水木プロのしごとだよってことがきちんと展示されていて潔いなっと感じました。ほぼ、池上先生が書かれたとされる絵もしっかり展示されてました。悪魔くんの雑誌連載のころは、つげ義春タッチがすごく色濃くて、改めて読んでみたいと思いました。つげ義春さんは白土三平さんを手伝っていた時は白土タッチで、いろんな人を吸収していったんだなと感心してましたが、改めて水木マンガを通しても、マンガ史上の影響があったんだなと感じました。

 じゃあ、なにをもって水木まんがというのか。幼いころの絵画作品が絵本がほとんどだったことからわかるように、何よりも物語を語りたい人だったんだな。そして、それは晩年のえほん作品からも感じました。では、何がすごいか。それはキャラクターの造形なんだろうなって。この前、「中国嫁日記」の井上純一さんがtwitterでいっていたことがヒントになりました。奥さんのユエさんというキャラクターが案内してくれることで物語にはいりこめると。なるほど。

 鬼太郎といい、ねずみ男といい、あんなことをしそうだ、あんなことを言いそうだってことのような気がします。それがものがたりを転がしていく。悪魔くん河童の三平というかわいらしい人たち、そして、おどろおどろしい妖怪たちを形作る力、それが水木まんがのキモなんよって教えてもらいました。

 戦記マンガの代表作「総員、玉砕せよ」もみっちり展示されています。そして、水木少年が、のんのんばあとみた境港の正福寺の地獄極楽図のレプリカもありました。すばらしい絵画で、どんな田舎でもしっかりした絵があることは、大切なことだなあと。水木先生はこういうのが書きたいと強くゆさぶられたのだろうな。

 ビデオが終わるとスクリーンの裏はガラス窓になっていて、向かいにある西本願寺の伽藍が幻想的に見えました。あっと思ったので、御覧の方に失礼かもと思いながら、写真を撮ってしまいました。大谷探検隊仏教美術中心の美術館ですけど、京都駅から20分ほどで近く、ならびに元祖クッキーの松風を売る亀屋陸奥があり、京都水族館京都鉄道博物館もそばなのでいい感じです。ちらほら来てる外国人観光客が、どん欲にショップの漫画本を求めてたりします。このあたりは意外に行くところがあります。

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www.kyotorailwaymuseum.jp

www.kyoto-aquarium.com