oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

原民喜を発見する「原民喜 死と愛と孤独の肖像」

 「この世界の片隅に」関連作品を見てみたら、原民喜について語ったこの本が紹介されていた。作者の梯久美子さんは、映画「硫黄島からの手紙」の原案のひとつになった「散るぞ悲しきー硫黄島総指揮官・栗林忠道」で世に出た人だ。

 私にとって原民喜は気が弱くて奥さん頼みの、原爆について書いた人だったという感じだ。私は神奈川近代文学館遠藤周作展も長崎の記念館も行ったのだけど、彼と友人だった原民喜についての展示は素通りだった。彼は戦前から「三田文学」、「近代文学」という慶応卒業生の同人誌を主に寄稿していた人だ。同人誌といえば、マンガだけど、文学に才能が集まった時代、メジャーになれない作家がたくさん作品を発表していたようだ。  

 そのなかで彼が残した「夏の花」は原爆の翌日に書かれたメモをもとに、その時の感情と情景をなまに残そうとした稀有な作品だ。それに至る人生、そして、その後の人生をたどり、なぜ彼がこの小説をかけたか、そして、未来に何をたくしたかを知るいい機会になった。

 生活能力にかける原は、早くに庇護者である父を亡くしたうえ、学生時代、いじめにあう。そして、やっとこ、文学の才能にひかれた友人にみいだされた。文学は当時のめぐまれた青年のぐれかただったようだ。戦前の文学者の特別な立場がみてとれる。

 しかし、仕送りで生きていた彼は戦争を背景にした家業に反発するも、情けない青春を送る。縁あって文学好きの奥さんにめぐりあい、まともな文学が書けるようになるが、有力者の佐藤春夫に会いに行くのも奥さんと一緒という感じなので、奥さんは疲れ果てて、終戦の前年に結核で死んでしまう。原は人の気を吸い取ってしまうのだろう。そういう、強い我を持つ人なのだ。そののち、戦争の破滅を感じながら、故郷広島に逼塞する。そうして、彼は原爆に会うのだ。

 皮肉なことに戦争でもうけた父が建てた頑丈な家のおかげで、彼は無傷で助かる。そして、原爆の地獄絵を中年の静かな目で目撃することになる。生きづらく、死に常に呼びつけられていた彼は、それを残すことを天命感じた。この本を読むと、メモが細かく紹介されているが、避難場所で被爆者の悲鳴を聞きながら描く原の業を感じると、恐ろしくなってくる。そして、作家としての潜在能力の高さに驚く。それに少し加筆したり、省いたりをしたのが、小説「夏の花」なのだ。

 岩波文庫版の解説を、小説集の出版に力をつくした妻の弟さんが書かれているが、「夏の花」は「死者の眼で外界を眺めるのを常としていた作者が逆に生に甦った」小説だと語られている。それは、まるで地中にいたセミが脱皮する過程を目撃しているのような感じである。そういう強い命の力を感じる作品だ。

 そして、書き上げて、死の準備をしつつあった彼が出会ったのが、遠藤周作だったらしい。彼は陽気なふるまいの裏に、虚無をかかえた文学青年だった。ふたりは家族をやしなっていた若い女性と三角関係にも似た友情をはぐくむ。しかし、原はその闇を察して、デートに誘った女性を映画館に置き去りにしようとした遠藤を止めようとしたりした。

 長崎の記念館にある、遠藤の全集に入っていない二人の手紙のやり取りが紹介されている。なにしらの過ちを犯した遠藤を原が励ました手紙だった。遠藤がはためには、ぐずな彼を支えたように見えたが、実はどうしようもない虚無を抱えた遠藤を支えたの原だったようだ。「沈黙」のキチジロー、「私が捨てた女」の男は遠藤のありえた姿だったのだなあと初めて実感した。それは父性にも似た愛だったようだ。しかし、彼らが成長し、遠藤がフランス留学を決意し、女性が貧困から脱して、一人になると、原はいよいよ死を決意していったようだ。

 そして、親族、友人に何通もの遺書を書き、遺品を整理して、JR中央線に身をなげた。愛を強く感じ、そして、それを人に強く残そうとする男だった。学生時代、影が薄くて、親しい友人以外誰も覚えていなかったらしいけれど、そのなかにこんなにも強いものがあるのかと解き明かされると驚いた。

 私が行きづりにあった何人ものひとのなかにも、このような背景があるのかもしれないなあと思った。人とはなんと面白いものか。作者はさらっと描写しているが、当時、三田文学の代表的な立場のひとだった柴田錬三郎、そして、遺書を送った友人のひとりに梶山季之があるのに驚く。そういった、原とは異質なひとたちはどう彼を思っていたのだろう。

 柴田錬三郎は、戦争中、原の葬儀の言動などから、俗なひととして、作者は切り捨てているが、映画スターの市川雷蔵が育てたイメージとはいえ、転びバテレンの息子、眠狂四郎を思いついた人だ。大衆作家である梶山季之は、広島の文学青年で「夏の花」の熱烈なファンだったらしい。広島の平和公園の原の墓碑を立てる運動をしたそうだ。そのあたりも知りたいと思う。

 原民喜の「夏の花」を図書館で読んだ。1986年版が大切に読まれていて傷も少ないのに胸をつかれた。これからもひっそりと読みづづけていかれる作品だと思う。そして、震災といったわざわいが前向きにという名で消費されつつある今こそ、よみがえるべき作品だと思う。

 マンガ「この世界の片隅」での最後、広島を訪れた主人公がつぶやくモノローグは、「夏の花」の続編である「廃墟から」の最後の光景を引用したものから生まれたと知った。この一連の作品は詩人でもあった原民喜の静かな文章と詳細な悲劇のリアリズムの現実性から、そこで何があったを強くかんじさせてくれる。

 そして、原は遠藤と女性に、ある詩を託した。それは何を意味するかを考えると切実なきもちになるのだ。

 

 

原民喜 死と愛と孤独の肖像 (岩波新書)
 

 

 

小説集 夏の花 (岩波文庫)

小説集 夏の花 (岩波文庫)