oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

最近見た映画

 ここのところ見た映画をまとめてみます。大分前だったけど、印象がつづいて、考えさせられたのが、「オマールの壁」です。パレスチナの抵抗運動をする若者をえがいた映画なんですけど、どこにでもある不良を抜けられないわかものの悲劇として普遍性があります。今も日本で現実にありそうな話です。やはり、貧困が背景にあるのですけど、それゆえに、パレスチナ特有のイスラムの習慣が時代にあってないこと、イスラエルの存在の理不尽さを考えさせられます。ひとが作った悲劇なんだから、なんとかできないか訴えてきます。

映画『オマールの壁』公式サイト

 逆に印象が薄くなったのは、「後妻業の女」かな。えげつないコメディなんですけど、みた後はさわやかなんですね。なんとなく、イギリスの「第三の男」で有名なキャロル・リードの遺作である「フォローミー」に似ています。主役の大竹しのぶが、ミア・ファローと似た、永遠の童女系であるからかもしれないですが。死の匂いがすごくする映画です。なんとなく、善悪とかもうどうでもいいやって感じかな。不器用な小悪党を演じる豊川悦司がはまり役です。

 

www.gosaigyo.com

 今度はアニメかよって感じですが、「レッドタートル ある島の物語」、内容は多神教的な説話をモチーフにしていて、なんだか無意識を揺さぶられる映画です。戦前のベルギーのバンドデシネの元祖のひとつ、「タンタン」を肉感的にしたような人物のキャラクターなのが面白かったです。 タンタンは結構好きで、テレビアニメも見たし、スピルバーグが3D化した映画も見に行きました。映像は単純化されているが、細密でアート感のあるため息のつくような美しさです。本来、単館系なんでしょうが、ジブリの力でシネコンで放映されているの、すごいなあと思います。脇で出てくる、カニさんたちが、鳥獣戯画みたいで、かわいくて残酷なのがジブリ的かな。

red-turtle.jp

最後に「怒り」。「悪人」でコンビを組んだ吉田修一原作、李相日監督作品です。代表作「悪人」は、妻夫木くんに興味がわかず見てないですが、渡辺謙主演「許されざる者」の光と影をこえた有様がグッときたので見に行きました。なんか、この監督の渡辺謙、しっくりきます。若手の主役級の俳優さんたちが熱演していますが、追い詰められた娘の恋をゆるす渡辺謙の男気のあるたのもしさと、脇ですが、原日出子の母性的な感じが、かなめになっている映画だと思いました。ゲイの男の子の母親役なんですが、本能的に息子の大切な存在を知っている感じが出ています。ふたりの親というものの生物的な部分の表現があって、このずず黒い映画が落ち着く感じといいますか。

メジャーな日本映画がさけていた、沖縄の基地の現実、新宿にいけば、遠目に目に入ってくるゲイのひとたちの姿を、くっきりと描いてもいて、野心的だなあと思いました。日本にある見ないふりをしている、現実への苛立ちをえがいた映画かなと思います。

www.ikari-movie.com 

今、「ゴジラ」と「君の名は。」がたくさんのお客さんを動員している映画館のようす、頼もしく見ています。

 

もやっとした気持ち「アヘン王国潜入記」

久しぶりに遠出して、ここらで唯一チェーン展開していない本屋さんに寄った。だんだんとスペースが先細っていき、本の内容が多彩でなくなっていくのが寂しい。そんななか、高野秀行の「アヘン王国潜入記」が紹介されていた。 こういうくせのある本の紹介、すきだな。まだ、個人の好みが店に反映されているのかと、うれしくなった。個人のお店のおすすめは失敗もあるけど楽しい。1995年のアヘン生産地潜入の話など、、読んでみてどうかなと思ったけど、こころざしにかんじて、読んでみました。たぶん、最近、同じ著者の「謎のアジア納豆:そして帰ってきた<日本納豆>」が発刊されて話題になってたからだろう。食べ物ばなしはすきなので、私もラジオで著者のはなしを聞いて印象に残ったが、単行本高いもんなあ。

 日本と関係ないっというのは、発行当時もそうだったみたいで、英訳本でまず発刊され、世界の麻薬関係のひとから、講演の依頼がたくさんあったらしい。こういう広がり方あるのね。しかし、一気に読んでしまったのは、今も解決できない普遍的なもんだいを示してるからだと思う。私が言うのもおこがましいが、地方のオリジナルの文化が、お金のちからで壊されているはなしだからだと思う。実際、今、ミャンマーの中国に隣接するこの地方は、公用語が中国語になるような状態らしい。他の地方から文化が押し寄せてきて、搾取され、固有のアイデンティティーが破壊される、今、せかいのあっちこっち、もちろん、日本でも起こっていることだ。

 ところで、この黄金のトライアングルでアヘンが盛んに生産されるようになったのは、中国がアヘン戦争を経て、お金が流失するのを恐れてからだそうだ。それはじりじりと、この地方の中国化を 進めていっているようだ。そんなぎりぎりのとき、著者は伝統的な農村に潜入してその生活を体験する。かつての日本の農村とかわらない、勤勉でそぼくな人々がけしを栽培している。アヘン中毒になる人も日本のアル中人口ぐらいのものらしい。年配の人が多い。それは、今、日本の田舎で、年配のアル中の人が多いのと変わらんね。人生、体力がなくなると、できることが少なくなり、ついということだと思う。それは田舎に共通することだろう。著書のさいごで、今の急激な時代の変化のなか、自治政府軍がそそのかされて、覚せい剤の生産が始まっているというところで終わる。農業から工業へということなのだろうが、嫌なはなしだ。村の移転のはなしもあって、村人はどうなったのだろう。

 著者の青春をえがいた「ワセダ三畳青春記」でもそうだけれど、登場人物たちの行く末がすごく心配だ。彼の周りには、常に死のかげがある。この本でも結婚前の村人、そして、彼をかの地に潜入させてくれた自治政府軍の男が亡くなっている。そういったぎりぎりのひとびとと、共に生きることを、いっときでも受けいれるということが、高野秀行の資質の面白さかもしれない。いやあ、楽しく、刺激的な、知の冒険をさせていただきました。感謝です。

 

アヘン王国潜入記 (集英社文庫)

アヘン王国潜入記 (集英社文庫)

 

 

謎のアジア納豆: そして帰ってきた〈日本納豆〉

謎のアジア納豆: そして帰ってきた〈日本納豆〉

 

 

子供が持てる、ミッフィちゃんの絵本

今週のお題「プレゼントしたい本」

 

1才からのうさこちゃんの絵本セット 1 (全4冊)

1才からのうさこちゃんの絵本セット 1 (全4冊)

 

 

  実際に最近、親戚の赤ちゃんにプレゼントした本です。うちの子が子ども時代すごく重宝しました。なにかというとこどもが軽くもてるサイズであることと、とてもじょうぶな装丁なんですね。だから、車なんかにもちこんで読める。そして、何度も読めるシンプルな内容であること、そして、言葉が少ないので、親もらくであることです。実際、デック・ブルーナは、幼児教育の専門家になんども聞いてつくったそうで、行き届いています。大人からみるとものたりないかもしれません。このボックスは第1作の「ちいさなうさこちゃん」がはいっているし、いしいももこさん訳の「うさこちゃん」っていうのが私はすきです。ほんの短いあいだのお供かもしれませんが、それだからあげたかったです。

 ほかに児童書だとトトロのさんぽの歌詞で有名な中川李枝子の「ぐりとぐら」シリーズ、かこさとしの「だるまちゃんとてんぐちゃん」とかもよろこびました。古典的ですけどね。ちまちまといろんなものが書かれているのがいいのかな。今のまんが「よつばと」に通ずるせかいです。こちらはもう、複雑な感情が描かれています。

 

 

寺山修司がわからない

  深夜、テレビをつけると増田セバスチャンと平井堅の対談をやっていた。寺山修司が好きでアートのせかいに入ったと知ってから、気になる存在だ。だから、大体そうだろうなと思いつつも、自伝の「家系図カッター」も読んだ。親と問題があるひとは、総括すべきっていうのはこたえるのですよ。女の人は産みたい本能にふりまわされて、あいまいな形で家庭をつくることが多い。私もその一人だったからだ。

 大好きな山田太一が、寺山修司と早稲田で同級生で、濃密な人間関係をむすんだ時期があると知った。代表作の「早春スケッチブック」はその関係が色濃く反映されていると思うのだ。そして、愛読している田口ランディ星野博美が、わかいとき、寺山修司にわざわざ会いに行ったことも知った。彼に会って、彼女らは自分なりの目的を無意識から引き寄せたようだった。私にとって、寺山修司は謎になった。思えば、寺山修司の周辺にいたひとの作品が、気になっていたからだ。

 私が寺山修司にふれたとしたら、学生時代の部活のイベントで彼の元妻、九條今日子をちらっとみたときだ。先輩があの方が九條今日子さんよって、ささやいた。なんてことない、平凡な後ろ姿だった。彼のことは、前衛演劇をしている不可解なひとってかんじで、名前だけは知っていた。奥さんのことなんか、知らなかった。あれは誰だったんだろうか。あの頃の私はずいぶんと子供で、心閉ざしていて、恋愛や人生になやんでいる彼女たちにたいして、鈍感だったんだろうと思う。ときどき、部活の同窓会のお誘いがあるが、行けてない。どうふるまっていいかわからないからだ。

 あそびの集合の時間は守らない、すっぽかす、そして、交通費の小銭を借りて返さない、嫌われていたのは当たり前だった。そんなこともわからなかった。自分の環境が社会からずれていたのに、気がつかなかったのだ。幸い、卒業してすぐ、そこのところは気づいたので、助かった。よく寛容に付き合ってくれたと思うし、無視されていたとも思う。どうしたら私に届くか、かれらはわからなかったのだろう。そんな悔しさといっしょに思い出すのが、あのささやきだ。かつて、青森県立美術館にいったとき、ギフトショップのおみやげに、寺山修司の著書「書を捨てよ、町に出よう」選んだ。青森に行ったのは、寺山修司の故郷であったこともあったのだと思った。

 増田セバスチャンの世界は、なぜかなつかしい。かつてあった幼児のきもちをブックマークしたような感じだ。本を読んでいて、かつて篠原ともえが、彼の店に出入りしていたことも知った。あのころ、彼女は礼儀正しいのに、芸能界のおっさん社会に徹底的に嫌われていたなあ。テレビを見ながら、そんな混沌としたきもちが湧いた。

 

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

 

 

 

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父たちと宮沢賢治と「春と修羅」

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 ここのところ、毎年、盛岡を旅している。去年、行きたかった花巻に行ってきた。父に買ってもらった本のなかに宮沢賢治の「風の又三郎」があったからだ。父が選んだと思い込んでいたが、私がねだったんだと、改めて思い出した。5年のときの担任は、今でいうカリスマ教師で、毎年、生徒に「雨ニモマケズ」を暗記させていた。それで、どんな話か読んでみたかった。美しい青を基調にした挿絵があり、ふかしげな物語に夢中になった。最初の「どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんも吹きばせ」このせりふぐっときました。物語は二百十日で終わる。なぞに夢中になった。父や先生の世代は宮沢賢治がブームになったころのひとだ。特に映画「風の又三郎」にグッときたらしい。のちにさわりをちらっとみたが、今でも、ハーフだった大泉滉の美貌とちゃっちだけどアートな特撮で見れなくもない。のちに変なおじさんでバラエティで茶化されていた彼は子役スターだったんだと、なんだかなと思った。青年期、小津安二郎の「お早よう」にもちらっと出てた。

 それから図書館でたいていの童話を読みふけり、「春と修羅」も読んでみた。「小岩井農場」は気に入ったが、死にゆく妹をうたった「永訣の朝」は正直こわかった。のちに賢治と妹のことを下世話に評論した新書をチラ見して、怖いほど美しいきもちって落したくなるんだなあと思って、いやだった。

 担任の先生と何年か前お会いしたけれど、私より少し上の息子さんを車の事故で亡くされていた。尾崎豊ではないけれど、親子の相克があったのだろうか。先生はルソーの「エミール」を愛読されていた。話術のために落語を聴く会をするほど熱心な方で、救われた人も多く、教員になった教え子もいた。そんな父世代に影響を与えた宮沢賢治を、私世代で読んでたひとって結構いたんだと、ゴジラの「春と修羅」でわかった。岡本喜八が残した本だったろうか。

 花巻に行ってみて、宮沢賢治を知らなかったなと思った。まず、記念館でみた膨大で多彩な仕事量にびっくりした。体が弱かったんではなく、過労死だったのだと思った。ものすごく欲望の強いひとだ。あと、大富豪の息子だったんだなと気づいた。路線バスに乗ると、花巻にはほぼ廃墟の大きな商店街があり、田舎に凄まじい富の集積があったのが見て取れる。

 鉄道が鉄の街、釜石に行く中継地であるのも知らなかった。「銀河鉄道の夜」はあきらかに花巻の繁栄と鉄道の関係を背景にしていたのだな。そのなかで、文化的贅沢三昧をした男であったのだ。そして人当たりも良く、金持ちなかまのなかでのほほんと商売をしたりできなくもなかったと思う。しかし、圧倒的な自然や貧困から、自分自身から、目を背けられないひとでもあったのだな。色々と面白く、怖いひとである。

 なぜか、記念館では行きたかったサハリン旅行を主催していた。賢治のせかいの信奉者たちらしい企画だ。行こうかなと一瞬思った。宮沢賢治の背景は、いろんなものを岩手にもたらしている。小沢一郎なんかも、あるかもしれない。もっと知りたいような気もする。今年も秋田に行ったとき、盛岡、どこがいいと言われ、小岩井農場と「注文の多い料理店」を出販した光原社に夫を案内した。なんだろう、私たちが背負っている、近代ってもののあわいを考えされられるひとなんだよな。

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記念館にむかう階段。

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記念館からみた花巻

 

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そして、 今の東北本線のありさま、活気があった町は静かにまどろんでました。

 

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岡本喜八と同世代で日大映画科卒のひとで、宮沢賢治の信奉者です。 

9月に展覧会へ行こう

 かつて、子供たちが学校に行く9月になると、親も子もほっとしたものでした。そんなとき、ふらっと美術館にでかけました。わりに疲れていても楽しめる気晴らしだと思う。なので、9月にやっている展覧会を紹介します。不便なところもちょっとした旅気分にもなります。

 まず、箱根のPOLA美術館。印象派のコレクションで有名です。企画展もわりかた充実してるのがいいです。9月10日から藤田嗣治やルソーの展覧会です。ラインナップでわかるように、疲れない、人に突っ込まない絵が中心で、日帰り温泉がてら、お友達といくのもいいでしょう。

www.polamuseum.or.jp

 夏、頑張ってみてきたのは、こちら。群馬の高崎でやっていた時も見たかったですけど、遠すぎて、川崎でやってくれて助かりました。9月25日までやっています。京都精華大学の美術科が全面協力していて、そこで教えてる、イタコ漫画家田中圭一の監修がしぶいです。漫画を描く人にすごく参考になるようです。目録も教科書代わりになる。漫画の展示はむずかしく、いくつかいっても、もう一つなものが多いけど、技法を中心に解説しているし、きちんと一枚絵としてみせられる原稿を中心に展示していて、グッときます。

 私は二十四年組の漫画で育って、どちらかというと萩尾望都派なんだけれど、精華大学長でもある竹宮惠子のすごさがわかりました。すごく細密だし、Gペンを交えた力強さのメリハリがある。「風と木の歌」の下書きは圧巻です。めったにみれない諸星大二郎の原画もあったし、庵野さん絡みで今のってる、島本和彦先生のもあります。個人的に懐かしかったのは、さいとうたかおプロダクションの「無用の介」。プロ発足直後の作品で勢いがあります。集団で描く漫画の立体的細密さに驚きます。最初の少年誌連載のとき、たち読みしてたのを思い出しました。

 好評につき、来年の三月から京都で展示することが決まったようで、いっしょに精華大が絡んだ、京都マンガミュージアムによるのもいいかもです。「まんだら屋の良太」の畑中純、没後直後に、あそこではじめて読んだなあ。好きだった少女漫画家さんの最終作読んで、宗教にハマったマンガで悲しかったのも、いい思い出です。最近のマンガは予算の関係とかもあって少くないけど、えっという、うまいマンガに出会えるところだとも思う。

www.kawasaki-museum.jp

 最後は京都つながりで、世田谷美術館で染色家の志村ふくみの展覧会が、9月10日から始まるようです。民芸運動の流れを汲み、日本の伝統美をモダンに再現したかたで、普遍的な新しさがある。今も現役というのがすごいです。圧巻は最澄の着た母衣に触発された、新作「母衣曼荼羅」です。母衣とは袈裟、もしくはぼろのことでもあって、最澄は平安初期の貧しい人たちの遺体の着物の切れ端を集めた作った、母衣を着ていたらしいです。比叡山行ってみたくなったなあ。行ったことないんです。そんな日本の服飾文化を学び、消化した彼女の作品は見るべきものです。巡回も最後です。全作品の回顧展でもあるので、おもな全貌がわかります。

shimuranoiro.com

 まだまだ暑くて、9月は展覧会はどうかなって思いますが、秋の展覧会シーズンの前なので空いていて、じっくり見れます。



「鬼才 五社英雄の生涯」大衆的って何だろう。

 

 

 私は五社英雄のファンでないので、いくつかしか見てないけど、そのなかで、「陽暉楼 」が一番好きだと思う。普段テレビであいまいな演技をしていた女優さんたちから、演技を絞りだした華麗な映画だ。特に浅野温子をテレビだけで知ってる人は、びっくりすると思う。この映画は、辛口な淀川長治さんがめずらしくほめていて共感した。最初の、池上季実子演じる芸者の桃若が、初めて敵役の彼女に会うシーンがすきなんだな。桃若が粋な着物に身を包んだ芸者衆をひきつれて、陽暉楼の広い廊下から大階段を上っていく。そこを彼女が呼び止める。映画の大画面にはえる映画的なシーンだ。それから、なんだか、大袈裟でゲスな映画になってと、芸者やの子で、モダンな贅沢を知り尽くした淀川さんは流してしまう。しかし、この映画は、そんな芸者の世界を背景にした映像と演技で情念をえがいた映画だ。多くの人にアピールするのは、そんな誰の底にもある情念を映像にしたからだと思う。普段、映画とかみないひとにもわかりやすい、大人の世の中をよく知ったひとが作る、エンターテイメントだ。

 五社英雄芸者置屋の出身だという話を聞いたことがあるが、この本によると、本人自称のまるっきりなうそだそうだ。淀川さんははったりを見抜いていたな。話はそれるが、彼は、幼いブルック・シールズを主演にした、ルイ・マルの「プリティベイビー」をほめていた。「私も商売できたよ」と本人がロリコンを肯定し、娼婦たちがほめそやす遊女屋こそ、リアルだと言っていた。渦中のひとたちは、カタギの世界と対立しない。ふあふわと夢をみながら滅んでいく。淀川好みの芸術作品だ。しかし、尖ったアートは、人を突き放すのだ。

 ほとんどのひとはそういった悲しい肯定感を、人ごとで痛ましいとみる。多くのひとが好奇心をもって、安心して見られるのは、ドラマテックな対立だ。女性の私からも女性のなかの男性性で生き抜く女性たちは共感できる。五社監督はヤクザや芸者といった人々の周辺に育ったひとのようなので、知っていて、それも踏まえているから、淀川さんも「陽暉楼 」は気に入ったのではないかな。どの映画も彼の人生を反映し、切実なエンターテイメントを志していたと感じた。

 この本は私が見ていない、黒澤映画の暴力性を意識した、初期のテレビの時代劇の革新的なこころみについても丁寧に書かれている。大好きな丹波さんのとぼけた姿もいい。映画好きなひとに評価が低いのは、晩年の欠点が浮き出た多作が原因であることもよくわかった。馬力のあるひとの欠点でもあるな。

 春日太一は、映画のはなしをお仕事話として語るのが新鮮だ。昔、NHKでやっていたアクターズ・スタジオの講師が、役者さんの仕事の話を聞く番組があった。ちょっと難しい人でも、仕事の話だと語れる人は多い。仕事のはなしはどう生き抜いたかの話なので、参考にもなる。どうして、日本のマスコミは、こういったスタンスがないんだろうと思っていた。

鬼才 五社英雄の生涯 (文春新書)

鬼才 五社英雄の生涯 (文春新書)

 

 

 

 

 

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