oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

「その島のひとたちは、ひとの話をきかない」工夫というささやかな試み

 前から気になっていた本です。精神科の医師が、自殺が少ない地域をたびして、その体験した風土をルポをまとめた本です。特別ないろんなケアとかあるところなんだろうか。結論から言うと、ひとを追い詰めないけど、ごくふつうの悪口も陰口もある町だそうです。 土地ごとに色々とやり方もちがうけど、強いていえば、自然が強くて工夫しなければ生きていけない地域であること、そして、対話が多いところであるということみたい。たとえばですね、この本を私が進めたら、しっかり話は聞くけど、本を読まない。一緒の行動をしないことが許されている場所なのです。だけど、何年後、その人が必要だと思えば読むこともある。なぜならば、しっかり会話して、印象にのこっているからでしょう。無理やりひとに合わさないことが普通になっている。なんだ、当たり前のことだと思いますが、たとえば、映画の番宣をなんども流す。まず、きちんと利益を出すことは善なので良いこととされています。しかし、相手をあおって、受け手に無理をさせてしまう。それが資本主義なのですが、まいどまいどだと、疲れてしまいます。そんなことが意外と大切なんだなって感じる本です。

 ほかにベンチがたくさんあると、ちょっとした会話が増えて、煮詰まらなくなるとか、実践してる地域も結構あるのではないでしょうか。私は、結構、挨拶をするのですが、そのぐらいの軽い交流のほうが楽だと書かれていて、ちょっと嬉しくなりました。これって、司馬遼太郎の「アメリカ素描」に移民の知恵だと書かれていて実践してみたことなんです。あなたは「こんにちは」しか言わなくて会話が成立しないって、そしられたこともあるんですけどね。私は心の傷がきつくて、向こうに用事がないと会話できないってところがあって、じゃせめて、挨拶をしようと実践しています。深く関わりたいひとはバリアを感じるようですが、概ねうまくいっています。個人的にそんなに方向は間違っていなかったと嬉しかったです。具体的な工夫こそが大事だと感じ、励まされる本です。読んでよかったです。このブログも、いつか誰かの役に立てば良いなと思っています。

 

 父性のひととしての秀吉 真田丸

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 真田丸小日向文世演じる秀吉、面白い。前回の「黄昏」は、医事監修のひとも参加して、ボケ老人を事細かに演じていて良かったです。その中で感じていたのは、かつての三成や清正たちにとっては、秀吉夫妻は親同然だったということです。

 秀吉は多くの優秀で貧しいわかものに、愛情と知識と知恵を与えて家来にした。それはかつて、秀吉が親を軽侮した不良少年で、世間さまに育てられて、教えられた知恵を使ったからでしょう。しかし、その世界はろくでもないものでもあって。原型は、よくある不良のたまり場のひとつだったんだろうな。今回の大河は、そこのところがよくわかって面白いです。

 本なんかで読むと実感がわかんなかったですが、今回は劇団出身の三谷幸喜が描いているのが大きいかな。演劇のせかいは機能不全の家庭の出身の人が多いような気がします。条件の悪いけど、才覚のあるひとがのし上がれる世界ではあるなと思っています。しかし、ふつうのひとをつくる教育システムではないので、大変でもあるなっと思います。だから、秀次の女狂いもリーダーであった秀吉をまねしたんだろうな。しかし、秀吉は苦労人で、天才であったので、あわゆいバランスのなかで許されていたのだろうと思います。

 こういった不良の集団は、実はまわりにいる子分たちは決して取って代われない、実は父の立場のひとが、主役を降りない集団なんだと思います。決してリーダーになれないタイプのひとをあつめているので、主役が衰えたら自然消滅してしまう。そして、主役が好き勝手するためにあるので、生き抜くタイプのひとが育ちにくいのも欠点かな。時代が戦国だったので、この集団が大きくなったのでしょう。でも、きっと、あの時代の秀吉のそばは、目まぐるしいけど、楽しかったと思います。大阪城に色々な才能のひとがいて、うるさかったと思うよ。千利休のとりまきがいて、東北の大名までいて、美人もたくさんいて、徳川家康でも楽しかったじゃないかな。でも疲れて、いつまでも続かないなって、みんなうっすら感じていたのではないかな。

 今回、新しい資料を駆使して、ほんと色々考えさせる大河になっています。まず、真田幸村は大谷刑部の婿として、かつての大阪城で大切なひとだったことも初めて視野に入ってきました。刑部もらい病ではなかったっていうのが、今の歴史学のせかいではふつうになっているみたいだしね。考えてみたら、昔は、帯状発疹でも、傷がうんで死んだりするんじゃないか。

 考えてみれば、秀吉は、肺病やみの竹中半兵衛やら、平和な時代だった活躍できない多くのひとたちに、生きがいを与えた稀有なひとでもあるのだな。やさしくて、可愛くて、残酷なひとなのだな。そんなことを考えながら、大河を見ています。

 

なんで、あんなに小説を読んでいたんだろう

 二十代は山本周五郎からはじまり、司馬遼太郎とか、池波正太郎とかをほぼ全巻よんでいた。星新一とかのSF、そしてアガサ・クリスティなんかもを読んでいた。みんな文庫であるし、図書館で借りやすかったのもある。司馬遼太郎はある世代には日本の知性みたいだけど、私は初期の「俄」とか、「国取物語」とかを覚えてる。なぜか、「龍馬が行く」は読んでない。たぶん、その後の国士的な生き方の匂いがして、やだったんだと思う。初期の小説の大阪のどうしようもないオッチャンが、自分のために書いた小説の匂いがよかった。けっこうえぐいエロもあって、その頃は、同世代の池波正太郎とライバル扱いだったのがわかるなあ。お堅い中央公論から出された「豊臣家の人々」あたりから、ジャーナリステックな資質が強まって、そういった小説は書かなくなったような。

 「豊臣家の人々」は好きだ。大阪への愛が感じられて。あの小説で秀吉を支えた、朝日姫、豊臣秀長を知った。一人の英雄の影が感じられて、いい感じだった。池波正太郎も初期の梅安ものが好きかな。本当に暗くて、特に女性への憎悪が感じられて、池波が、アウトローの世界に、かつて居たんだなってと察しられる小説だった。話がそれるが、渡辺謙主演の梅安もので、余貴美子が出てたのって、その味わいが出てて、よかったな。どちらも、まだ、小説がうまくなく、というか、司馬遼太郎は小説家としてはずっと下手だったような気がするが、このころの未完成さに、物語ること、自分のために書いた小説の良さがあると思う。もちろん、のちに書かれた本が残っていくのだとおもう。司馬遼太郎だと、「坂の上の雲」、そして、池波正太郎だと「真田太平記」「鬼平犯科帳」だと思う。山本周五郎も色々と読んだけど、結局、現代小説の「青べか物語」が一番好きだ。山本周五郎は記憶というものの、改変にすごく興味があるのだと感じられた一冊だった。民俗学の教養、昔の感情を記録しておきたいという部分に共鳴したのだろうと思う。

 これらの小説を読んでいたのは、おっさんになりたいという変な願望がだったのかなとも思う。就職に失敗し、家族に押さえつけられ、学校に軽んじられ、女としてたたきつけられていた。今思うと、まあ、社会ってそんなもんで、というか、人間ってネガティブから入る本能があり、そんなに大げさに絶望しなくてもって思うけど。そのなかで、物語世界にどっぷり浸かって、逃避してたってことだろうなと思う。

 一昨年、奈良美智の展覧会を見て感じたけど、全然違う次元の本をよんでいる教養人がたくさんいると思った。たまに、ほんと自分にがっかりする。こんな本、存在すら知らなかったよ。だから、吉本隆明も、ハンナ・アーレントも最近知った。岡崎京子なんか読んで、現実と戦っていた同世代の様子を知ると、私なんか、甘ちゃんだったなと思う。

  若くてバリバリ本を読めるとき、海音寺潮五郎の「天と地」とか読んでたな。今思うとおっさん向けのとんでも小説だと思う。変なエロもあるし、どうかなって思うけど、だからこそ、新潟の庶民がいだく、純な、多分理想化された謙信が良かったと思う。そういえば、大河ドラマの謙信、石坂浩二さんだったのではないだろうか。純だったなあ。

 今思うとあの読書はムダでもなかったなっと思う。なにかしら、私を作ったから。そして、ものがたりとは何かを本能的に探っていた気がする。おっさん研究にもなったし。

 

天と地と 上 (文春文庫)

天と地と 上 (文春文庫)

 

映画でははしょってるけど、 藤紫という悪女が活躍します。韓流ドラマのようで面白い。

 

悪人列伝 古代篇 (文春文庫)

悪人列伝 古代篇 (文春文庫)

 

  歴史の勉強になった。作者ともに勉強しているようでよかった。これで藤原薬子、初めて知ったよ。

 

 

 

 

 

 

日本の結婚がおかしい「中国嫁日記」

 「中国嫁日記」のことを知ったのは、コミケをめざす長男さんからだった。ジンさん「かっこいい、憧れる」って言っていて、変だなあと思っていた。私がイメージする中国嫁は、どうにも女性に相手にされなくなった年配の男性が、貧乏な中国人女性と結婚するパータンだ。もしくはエリート同士の国際結婚。概ね他人事と思っていた。しかし、twitterで紹介され読んでみたら、全然ちがった。これは日本の結婚がおかしいんだな。そこのはざまで起こったことなんだなって思った。もちろん、漫画家としてのジンさんは優れていて、自分を客観視し、面白おかしく描いていてたのしい。

 だいたい、みんなはコミケのことを勘違いしている。昔はともかく、コミケに参加できる一般人は、お盆と正月に休みが取れるひとだ。あと、かなりお給料をもらっている。コミケに漫画を提供するのも、買うのも結構お金がいります。地方から来てるひとは宿泊費もかなりかかる。そして、予約をとる気持ちの余裕も必要だ。かれらは日本を支えている中核のひとなのだ。描き手になるひとも、ある程度絵をかける教育をうけたひとで、かつ本や漫画をある程度読み込んでいるひとだ。だいたい、あの漫画の入っているリックを担いで、56万人に参加できるひとだぞ。体力もある。しかし、そのなかで頑張っている男性は引っ込み思案で、漫画関係というだけで恋愛市場からはじかれるのである。コミケの女の子には、可愛い子もかなりいるが、概ねマスコミにちかいアニメ関係者をめざすようだ。作者のジンさんは、そんなオタクな男の子の理想のひとつらしい。

 まあ、だいたいバブルのころから始まった合コンが悪い。はやらなくなっているのでなんだが、あれは見た目、本能的にもてるやつが総取りするイベントだ。モテる男女が相手をえらぶことです。だから、ほとんどなひとがあぶれる。あと、初めての合コンはもてる。うぶだから、騙しやすいからだ。この私でもそうだった。でも、すぐややこしいひとだとわかって、飲み要員でありました。そういったように日本の恋愛は選ばれたひとがするものになってしまった。だいたい、付き合うということは、日本においては結婚が、一応前提という堅苦しさがある。映画で知っただけだが、アメリカなんかだと、デートは数をするもので、特定のあいてにめぐり合うのは結構時間がかかるものらしい。というか、日本では、結婚はできあがったひととする失敗できないイベントと思いこんでいるとしか思えない。世界の多くのひとは結婚は失敗もあるし、お互いが育てるものだとわかっているような気がする。

 日本は離婚がすごくしにくいし、片親のこどもにとても冷たいのもある。あるべき男女像も、世間様のなんとなく枠からはずれるとぼこぼこだ。むしろ、日本人が結婚できないのは、普通というものが、すごく狭いためだと感じる。まあ、歴史好きな私からみると、江戸時代までは結婚がぜいたくで、男があまるのが当たり前だってことに戻ったってことかなっと思う。まあ、世界をみると、今もそれがふつうの国も多いし。インドとか、アラブとか。でも、ですね。

 そういったなかでジンさんは仕事で成功し、お金もあり、人柄もいいし、常識もある。まあ、引っ込み思案でオタクですが。だからといって、結婚相手として、日本の女の子が相手しないっていうのは、なんだかせせこましいよなっと思う。そんな世の中に、彼らが風穴をあけたってことで痛快であります。ユエさんはたくましさがあるのだ。

 二人を通じて、中産階級がおこり、劇的に社会が変わっている中国のダイナミックさがわかり面白い。もちろん日中関係も日々変わるのだ。興味のあるひとは、是非、このまんがを読んでみてほしい。

 

中国嫁日記 一

中国嫁日記 一

 

日中関係が可笑しい」でしたっけ、帯がすきだったです。

 

月とにほんご 中国嫁日本語学校日記

月とにほんご 中国嫁日本語学校日記

 

 

 

まんが「とりかえばや」ふつふつとわく母系のちから

 さいとうちほのまんが「とりかえばや」を読んで、リボンの騎士、ベルばら、彼女自身の「少女革命ウテナ」をへて、平安末の院政期にかかれた原作「とりかえばや物語」に至ったのは必然だなと思った。日本はかつて、妻どいなんかをする母系社会だったけれど、中国の文化をとりいれ、少しづつ男性中心の社会になった。それが意識化されて、女は損って思うようになったころ、この原作は書かれた。紫式部清少納言が大活躍した時代のあとだ。武士という暴力集団が台頭し、あらかさまに女すっこんでろという時代になった。しかし、古代の尻尾が残ってるのが日本だ。ふつふつと古代からの女の力は動いていて、あっというところで噴き出すのである。

 でも、その女のちからの伝統は、甘えたおとこやら、母が支配しやすい無責任おとこを許しているのである。かくして今の日本のおんなは仕事ができて、家事がばりばりでという社会に悩まされようになった。保育園がないのに、子ども育てて、仕事しろとかね。実はかつて女流作家が認めらたりする社会であったことは、もろ刃の剣なんだろうと思う。

 男中心の社会がはやくにできた社会では、エリートであれば、家事なんかの男にとっての雑用をしないですむ女性が多いようだ。だから、メルケルさんとか、クリントンさんがたくさんいる。だからといって、生活のキモである家事のたいせつさがおろそかにされていいわけでもない。そして、おんなのひとが腕力でいじめられないわけではない。 守ってくれるおとこはちょっとずれると暴力おとこでもありますので、はい。日本のように古代的な母系がちらちらみえる社会ってめずらしく、そこに少女まんががあり、そして男装女子の伝統があり、魔法少女が肯定されていたりする。で、日本のBLがアメリカでひそかに受けてたりする。あれは男女が対等でありたいという、ひそかな願望のパロディだと私は思っている。

 「とりかえばや物語」は女だって政治を変えて世の中をよくしたい、男の同性愛が権力をえる手段になってるのは許せないとか、いろんな男と付き合いたいとかといった、いろいろな当時の女の欲望や夢や批判がごっちゃになった話だ。それをさいとうちほは、今のモラルに合わない部分を整理し、少女まんがの王道の純愛をまぶし、心地よく描きなおしていて読みやすい。SNSをするようになって、同世代かちょっと上の世代のまんがをよく読むようになった。近藤ようこ波津彬子、読んでなかったなあ。いや、SNSのせいではないな。子育てが思い通りにならないのにあがいていたのをあきらめて、身軽になったからだと思う。やっと、お互い背中を向けて戦っていた、同じ時代を生きてきたひとに気づいたんだと思う。うん、悔しいけど、読んでて頼もしい。

 

 

 

とりかえばや物語 (文春文庫 た 3-51)

とりかえばや物語 (文春文庫 た 3-51)

 

 

 

いまさら小林秀雄をよんでみた

 吉本隆明の「西行論」をよんでいると、小林秀雄の「無常ということ」で西行について書かれたことで、本を書いていることがわかった。なかで紹介されている地獄絵をみてという連作で仏教者としての西行を知ったことがきっかけだそうだ。歌詠みとして知られ、仏教をもとめた、その一面はほとんど忘れ去られていた。それを戦争中、再評価したのが小林秀雄らしい。

 こんな歌だ。

 なべてなき 黒きほむらの 苦しみは 夜の思ひの 報いなるべし

 火に焼かれる男女みて、性愛の業を歌っていて、すごく近代的というか普遍的だ。いろいろな性的放埓の快楽のうらの苦しみを、率直に歌っている。吉本によると、不倫、同性愛まで歌ったんじゃないかと推測している。若き日の西行がそういった性的放埓を行ったか、はたで見ていたかはわからないがあの時代そこまで感じて歌にした。つぎに紹介されたのはこんなだ。

 あはれみし 乳房のことも 忘れけり 我悲しみの 苦のみおぼえて

 これは地獄絵の母子のくるしみをみて、おっかさんにあんなにすがっていたのに、母が苦しんでても、いまは自分のことしか考えられないということらしい。

 白洲正子の「西行」にも、この小林秀雄のこの部分の文章に感動して、全国の西行の足跡を訪ねたことが書かれていた。白洲正子は、直接、小林秀雄に師事し、ついには子供同士が夫婦になったほど入り込んでいる。小林秀雄中原中也との関係もそうだが、過剰なひとようだ。中原中也との関係は「親なるもの 断崖」の曽根冨美子がマンガ化してるようです。はい、読んでません。苦手なはなしです。

 苦手だったけど、それならば小林秀雄の文読んでみようと「無常ということ」が入っている「栗の樹」をよんでみました。入試でよく出てて、むずかしくていやだったので、彼をがっつり読むことになるとはうそみたいだ。読むのにすごく時間がかかった。こういった本をサクサク読める人がいて、世の中ってなんて広いんだろうとときどき思う。

 最後まで読んでみると、ラストの昭和二十四年、なぜ戦争になったかをからめ、それまでの自分を整理した、「私の人生観」が圧巻だった。恵心僧都明恵西行といった名前が思想史としてでていて、白洲正子がその後を追って本を書いていったのがわかった。私が中学時代よんだ河合隼雄明恵のはなしも小林がヒントなんだな。そして、若き日のドフトエスキー論。日本人がドストエフスキーを読み続けてきたのも彼の批評によるところが多いようだ。彼によると西行ドストエフスキー的人生を送ったひとだそうだ。そうですか、いつか「カラマーゾフの兄弟」読んでみます。彼はアレクセイなんだろうか。日本の封建制が戦争の原因だということその当時の風潮に、それは軍人をはじめ人々の、西洋のいいかげんな付け焼き刃な文化の学習が原因だと、鋭く迫っていて面白い。

 そのほかちょっと面白いと思ったのは、戦後すぐ、鎌倉駅前で虐殺写真の展覧会があって、あかちゃんづれの主婦なんかも含めてたくさん見に行ってたことをさりげなくエッセイにした文章だ。なんと残酷にすなおな、そういうふうに死がみじかで他人事なことに鈍感な時代ってあったんだとおもう。

栗の樹 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

栗の樹 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

 

 

 

 

映画「牡蠣工場」日常にこそ、力がある。

 映画を見ていると、ときどき、なぜ、わざわざそれを選んでみているかとはっと気がつくことがある。冒頭の牡蠣の水揚げの作業から牡蠣むきと港の風景を見ているとなんだかもやっとした。行ったことがある。港の寺をみて思い出した。安国寺恵瓊の寺だ。当時見ていた大河ドラマ関ヶ原の戦いで、出てきたひとだ。父がその地で絵をかいた梅原龍三郎なんかにあこがれて、弟と連れて行ってくれた。そして、下町の落ち目な自営業をしていた父の最期を支えてくれたのが、中国の人たちだったのも思い出した。そうだ、あのバブルの末期、切り捨てられそうな人たちはすでにいて、中国のひとなどが支えることが始まっていたのだ。フィリピンパブなんかもあのころだ。映画のなかで、なぜ日本人を雇わないかと尋ねられた工場のひとが、理由のひとつに中国のひとは労働が体に入り込んでいるようなことを言ったけれど、うなづける。わたしなんかもダメだ。労働が体に入り込んでいない。牡蠣むけないなあ。というか、レジ打ちなんかも実は高度な労働で、誰でもできるわけではない。労働の訓練がひつようなのだ。レジ打ちがなかなかできなかった私が書くのだからほんとうだ。私は自営の家でそだったので、通勤もにがてだったなあ。中国のひとたちは人口が多く、まずしかったゆえに、できないひとは淘汰されているんじゃないかと思う。

 そんな中国のひとに支えられているのが、牡蠣工場だ。中国のひとへの偏見と愛情が入り混じった感情をまじえながら、牡蠣工場の現実が、日常が進んでいく。みんながほしがる食べものなのに、工場がかろうじて維持されている。採算もあわないようだし、衛生面も人々の努力でやっとこさにみえる。後を継ぐのも大変そうだ。過疎地に居残ったご老人たちを、地震で来た南三陸の一家が支えている。ああ、海のみちだな。わたしも瀬戸内がルーツなので、海づたいに縁があるのがわかる。そんな現実が淡々とえがかれる。そのなかで安価なものが遠くからくるグローバル化の恐ろしさと人々の適応がえがかれる。

 この映画は、相田和弘監督が奥さんとふたりで撮っていて、プライベートフィルムの延長のようだ。ときどき、住んでいる家となついてる白猫がでてきて色っぽい。三陸の夫婦ととなりの跡取りの若夫婦が出てくるが、夫婦の親密な感じが滲み出てくるのはそのせいかなっと思う。その彼らのたくましい健康さが、変化する世の中に対峙するちからの、そこはかない希望を感じさせるのだ。

映画『牡蠣工場』公式サイト|想田和弘監督作品観察映画第6弾

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