oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

折口信夫「死者の書」「山越しの阿弥陀像の書因」を読む。

 折口信夫の本はいつか読みたいと思っていました。いろんな本を読んでると、日本文化を知るには読むべき著者として、ぜひにという紹介が多かったからです。このところ、随分落ち込んでました。その時、手に取ったのが「五色の船」を読んで、気になっていた漫画家近藤ようこさんの、折口信夫の小説の漫画化「死者の書」です。心を揺さぶられました。

 では、なぜ、今まで折口信夫が読めなかったか。それは彼が私の故郷おおさかの、根っからの大阪人であったからです。四天王寺の抹香のにおい、夏の水路からあがってくる泥の匂い、それを含めた大阪の古い文化を背負った人だったからです。大阪のややこしさを取り込みたくない、認めたくないと感じて逃げていました。私が通っていた高校でも、かつて、折口信夫の弟子だった人が教師としていて、みなにその学問を伝えていいました。国語教師たちの崇拝の言葉とともに彼の気配が、密やかに感じられました。大阪を考えるとき、避けてとおれない存在をしめす、道標のようなものです。しかし、私にとって、いつか読むべき人でした。若いときに折口信夫と出会って、ことばのリズムまで、絵にかえるぐらい、がっつり読み込んで来た近藤ようこさんの漫画に感動して、読んでみようと後押しされました。

 もうひとつの理由は、おととし、当麻寺に行ったことです。「あんこの本」という本の表紙にあった、当麻寺そばにある中将餅がどうしても食べたくて、帰郷した帰りによったのです。中将餅は、若い近隣の女性たちがつくり売っていて、味もさることながら、若い命を分けていただくような、独特な雰囲気があるお店でした。当麻寺二上山のふもとにあること、そして、駅の線路が太子道という道をなぞって、まっすぐ、生駒、四天王寺につながっているのもわかりました。そして、相撲の祖である当麻蹴速を記念したりっぱな土俵がある相撲館けはや座もあります。当麻の古い信仰の雰囲気に酔うような気分になりました。

 「死者の書」は、奈良時代以前の二上山の太陽信仰と仏教の阿弥陀信仰の混合された仏教の普及の初期の世界を背景に、忘れてはならないものを大切にいだいた小説だと思います。この小説を書けたきっかけを描いた、随筆「山越しの阿弥陀像」によると、当麻では、古代、女たちが、二上山を中心に日の出から、日没まで、野遊びをする祭りがあったようです。やはり、草餅である中将餅は、お供物のなごりだったんです。この前、記録映画でみた沖縄の「イザイホウ」という祭りも、やはり、女性を中心にした祭りでした。古来、このような祭りは各地にあったのでしょう。

 「死者の書」は、大倉集古館にある「山越しの阿弥陀像図」をモチーフにしています。そして、その春分の日に、二上山に祀られた朝廷を中心にした世に導くために謀反人とされた霊に導かれて、藤原氏の娘が当麻に現れた、そのことから物語は始まります。姫が当麻に行ったのは、仏教に深く帰依した姫が、太陽の化身である二上山に現れた阿弥陀仏に出会いたいがためでした。そんな、萌え出る生命と死の物語、深く感銘しました。

 ところで、「山越しの阿弥陀仏」の最後に、阿弥陀仏と結ばれた、太陽信仰の聖地の場所は他にもあったことが記されています。そこでは、そのことばを名字にした、それを司る一族もいたようです。どうも、私は現在、そのふもとに住んでいるらしいんです。その場所を車で通ったこともあり、そして、その珍しい名字の人とかつて知り合いで、ご飯も一緒に食べたりしました。ちょっと、びっくりしましたが、やはり、この土地に住み、人生経験を積んだ今が、「死者の書」を読み解くときだったんだと感じています。

 

死者の書(上) (ビームコミックス)
 

 

  

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