oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと、書いています。

理系の研究に国の支援をて、テレビで言ってたけど、なんだかな。

 土曜日の朝、NHKをぼんやり見ていたら、理系の一見ムダなような研究にお金を回さなければ、ノーベル賞をもらえるような役に立つ研究はできないと話題になっていた。例の青色発光ダイオードの研究の受賞にからめての話だ。これは定期的に出てくるネタだけど、必ずお金儲けの話とセットになっていて、私はちょっとざわざわするのだ。

 そういうことで考えると、文系の研究ってほんとムダだよなあと思う。おとぎ話化している竹取物語の現代語訳とかは、まだいいとして、平安時代のマイナーな歌人の歌集の研究とか、歴史の江戸時代の東京中野の犬屋敷の研究、昭和時代の前衛作家の作品研究、美大で室町時代禅宗のお坊さんの絵を研究してる人もいる。大学が山ほど増えたのもあって、こんな重箱の隅をつつくような研究必要かと思うものがたくさんある。そんなこと知って、お金に結びつくか、ありえない。ただの雑学で、阿呆な大学で偉そうに研究しても、就職の足しにもならないのである。せいぜいお金持ちの道楽の延長でしかないなと大声で言われても、すみませんって言うしかないなと、私も思っている。 

 理系は、まだ、言いやすいから、話題にのぼってくるのだろう。工業や建築やIT産業などに応用出来る。たとえば、普段、嫌われているゴキブリの研究は、殺虫剤が売れたりする。いや、ゴキブリの研究は、古代の虫の構造の研究の役にたつから医学的な応用が利くし、第一、衛生を保つことは、食品産業に重要に役に立っている。だから、もっと変な雑多な研究にお金を出してねってお話が定期的にあがってくるのだ。

 だけれども、学問って、なんだろう。歴史本を読んだ感じ、古代ギリシャの暇な市民やそして口減らしの男を掘りこんだ世界中の宗教施設等で学問は発達した。彼らは、食物の確保に寄生した人や子育てから外された人々だった。そこで、どうしたら、心穏やかに暮らせるかを考えた哲学、宗教学が始まった。そして、科学や文学研究に広がっていった。その中から、研究したことを人々に教えたことで、具体的に人の生活に役に立って嬉しく感じたり、教えることで人びとが心が穏やかになって、喜ばれたしたことから、大学的なものがはじまったのだろう。そう考えてみれば、役立たずが考えた、暇つぶしが、役に立ったんである。もちろん、それらの人々が、たいてい真剣で真面目な生活を送っていたのは、確かだ。でも、それは、養ってくれた人々への義務感もあったと思う。その役立たずが、考えていたことが、役に立つかで選ばれるって、過去の役立たずの人に失礼じゃないか。まして、工業に役立つってことだけが、大切にされるのだ。

 なんで、土曜の朝、そんなことを感じたというのは、私も役立たずだからだ。でも、私は自分をそこそこちゃんとしていると思っている。私だけでなく、大抵の人は、たいしたこと無い。ムダなことだらけしてる。今、私は役に立つってことを大きな声でいわないと、生きるのがしんどい世の中ってどうなのよって思う。今に始まったことではないのかもしれないけど。まあ、やぼったいことだなあと思うのだ。

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