oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

「昨日何食べた?」ホームドラマの行き着いた先

 

きのう何食べた?(15) (モーニング KC)

きのう何食べた?(15) (モーニング KC)

 

 

 12年間の連載でついに実写化されたよしながふみの「昨日何食べた?」、長年の読者である私も大興奮の日々なんですけど、今回、SNSをみてると驚くほどファンがいて、ゲイのカップルということより、今、東京で一番多いだろう共稼ぎ子供なしの隣人のホームドラマとして受け入れられているのを強く実感しました。

 これって男女でもありうる話で、親との確執も家庭というものが子孫をつなぐための機能なんだとしたら、ゲイでなくてもある話というか、カップルの普遍的な悩みです。昔だったら、子供ができないからと離婚を迫る親ですよね。どんな女だったらいいんだっていうシロウさんのお父さんのセリフ、かつてのドラマでよく聞きました。いい女かもしれんけど、子供ができないと俺たちは孤独だ、だったら、もっといい女を世話してやるという。

 最新刊15巻で遠くの介護付きの施設入りを決心した両親が、シロウさんにドラマでも描かれた、お正月楽しく遊びに来ていた子供たちのことが聞かれ、施設に入ってまでの付き合いでないからって言います。つまり、息子がゲイであることといった立ち入ったことまで言えるほどの親しさになれなかったということで、これが今の東京の郊外住宅の限界なんですね。つまりは伝統的な家意識を小型にしたもので血縁関係しか信じられないという。世間という狭いものがあり、その範囲でお付き合いするけど、問題は血縁を主にした家で。しかし、一人っ子だったりしたら血縁自体が詰む。

 今回のドラマが戦前の郊外住宅の勤め人の生活を新しいと描いた松竹映画の制作で食品のCM出身の監督であるのって象徴的です。私は小津安二郎のファンでそのころの映画をいくつか見ているのですけど、新興住宅地の蒲田といった多摩川河川敷あたりでどう生きていくかを提供した娯楽なんだと思っています。しかし、もともとがそういった階級の出身の人がはじめということもありますが、それはどう見ても全員が地主といった大家の生活になろうとした無理があります。仕事や血縁関係でむすばれた村ではないので、隣人とは無関係です。そこに新参者いじめの話、小津の傑作「生まれてはきたけれど」といった子供同士の確執までできてしまう。その子供たちが仲良くなると村が復活してしまうからです。

 その反省もあって戦後、他者どうしが助け合って生きていかざる得ない狭い家がならぶ下町の生活「寅さん」の話になってしまう。そして、厄介者の寅さんの存在で家庭のきづなが強くなる、今じゃ、しつこいです。

 そういったホームドラマも今や多数派になったカップルだけの関係ではあまりにも深刻で、そういった話と社会への抗議をふくめた「獣になれない私たち」では視聴率はとれませんでした。ゲイという、一見、他者のなやみを借りて普遍的な家庭の問題を共感するという、ややこしいことを私たちはやっているんでしょう。そこに今があると思います。

久しぶりのブログなんで、うまく表現できたかわかんないですけど、やはり、文章をかくのは楽しいです。