oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

映画「永い言い訳」はこたえる

永い言い訳 (文春文庫)

 この映画はこたえました。まず、話しは、交通事故からはじまります。じつは、私、夫が仕事に逃げて、子育てが煮詰まったとき、こどもふたりと車に乗っているとき、車線をはみだして、相手の車を大破させさせたことがあることを思い出しました。幸い、用心深い夫が保険を配慮してくれたおかげで、相手さんは、無事、新車に替えれたのですが、その場所で、真っ暗な夜、知らない道で、こっちが悪いので、泣きながら平謝りしたのを覚えています。今思うと、遠くを長時間運転して、疲れてふらふらだったし、子連れだったので、そんなにぺこぺこしなくても良かったのですが。自分の車も前が大破してたしね。だから、冒頭、主人公の妻とその友人が交通事故で亡くなり、そして、友人が思春期に入る前と、小学入学直前っていうこどもがいるっていうのはゾッとしましたね。難しい時期なんです。こどもが思春期になると親も精神的に不安定になります。子供が大人になるエネルギーって物凄くて、まわりの支えの弱い親だとおかしくなってしまうのです。ひとによったら中年クライシスと重なるひとも多い。本ですが、医学的にも42歳ごろは、本来の人間の寿命で死にやすいという研究を見たことあります。

 だから、この時期、病気したり、浮気したり、失踪したり、最悪亡くなっちゃう人もけっこう見ました。この話は、下の子は5歳ぐらいで、共稼ぎでもよくいう、小一の壁っていうも重なっているしね。逃避したくなるですよ。この設定だと。だから、危ない深夜スキーバスなんか乗っちゃう。西川美和さん、子育てしてる人、よく観察してるな。

 その奥さんのともだちの夫、書けなくなって妻に当たり散らしている、本木雅弘演じる作家さんが主人公です。彼の奥さんも、繊細でみえっぱりで、一人で生きていけない夫をぶん投げたかったようですね。そんな男が、生き残った友人の夫とこどもたちと関わることで、妻との愛を再確認するそんな物語です。

 時間をかけての撮影で、子役の子が思春期になって混乱している経過も見えるように撮っていて、身につまされました。妻に去られて自堕落な生活をしてる夫が、叱り倒すが、反抗されるシーンがあったけど、同じようなこと、うちにもありました。西川美和さんは、深夜の我が家見てたんじゃないか、ゾーッとしました。その後、主人公が反抗している息子をさとすのですが、親としてダメなのは、残された父本人が、いちばんわかっているってことばで、救われました。あのころ、こどもたちに、誰か何か言って欲しかったなあ。でも、私自身は、あの事故のとき、車の修理を頼んだディーラーさん、現場検証の警察のひとに優しいことばをかけてもらいました。この映画は、今の、社会の手がうすい世の中で、子育てしているひとは、なにかしら、共感ができるはなしではあります。親が全てでありすぎるってつらいです。生身ですから。そんな体験を共有することになった主人公は、少しづつ変わっていきます。他者の意味がわかってくるのですね。

 このなかで「子育ては免罪符」ということばで、親であるひとのずるさをきちんと描いていてすごいなって思いました。そして、遺伝子の運び手である子供とかかわることの義務をのがれている主人公を、きちんとさいなんでいるのも怖い。そんな、人の無意識を多重的に覗いているのが、この人の映画の面白さかなって思います。なんつうか、理系的なんですね。でも、救いはあるのです。主人公をささえるために、妻が友人一家と支えあっていたこと、そして、その支えを、死をもって彼に示したことが、ずっしりと伝わってきて泣けてきます。

nagai-iiwake.com

静かなでゆたかなほの暗さ 能町みね子

 私にとって、能町みね子タモリ周辺にいるちょっと不思議な人ぐらいの感じだった。オールナイトニッポンでラジオをやっているのは知っていたけど、夜更かしは苦手なので聞いたことがなかった。いいなっと思ったのはWEBのかたすみにあった「お家賃なんですけど」からだ。彼女が古ぼけた風呂なしのアパートに住んだ体験を小説としてまとめた本だ。しごとをやめたころに住んだ思い出の場所だった。性転換の途中、銭湯にかようのがだめで一度出たらしいが、大家の加寿子さんなるひとは、女性になったあとも、再び、こころよく間借りを許してくれたらしい。東京の都会の懐ぶかさを感じさせるはなしである。

お家賃ですけど (文春文庫)

 そんな、実は過酷な体験をまじえながら、アパートでの暮らしを淡々とえがいていく。とても詩的で、あきらめがたちこめる文章で、唸ってしまった。今、よみおわった、北国への想いを綴った「逃北」によると忘れ去られた詩人、尾形亀之助の文章に影響をうけているそうです。尾形は宮沢賢治の「オッペルと象」を載せた「月曜」という冊子をだしてたらしい。そういった詩を感じさせる文章は好みなのだ。他の旅行記でもそうだけど、私と行っているところが、けっこう重なっているのも、なんか嬉しくて読んでいる。知らない住宅地あるくのって好きなんだな。普通のカッコしてると、普通に道を聞かれるのが楽しい。じつは寄る辺ない気分を秘めてるひとって結構いて、そういうひとに、この人の文章は受けてるのであろう。そのあと、「オカマだけどOLやっています」を読んだ。そういえば、そのころ、オカマのひともふつうの会社に勤められるらしいとうっすらと聞いたことがあったなあ。世の中も進んだなあとか、じつは結構そういうひといるのかなって思った。その体験を、この本は、いかにして自分を肯定して、そして戦かったかを描いていて読み応えあります。なんというか、静かなで湿っとした文章で、好きであります。

 

 

 

生者と死者と「君の名は」新海誠

【映画パンフレット】 君の名は。

 とうとう新海誠の「君の名は」見に行ってしまいました。彼は私とおなじ国文科出身だそうで、古今和歌集小野小町の「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを 」と院政期の「とりかえばや」ヒントにしたと、町山智浩さんの「映画ムダ話」で聞き、ついつい好奇心に負けて見に行ってきました。冒頭、高校の授業の「他は誰」他者と自分の境が曖昧になる時間、それを古語で「たそがれ」といい、死者とも出逢う時間との説明があり、懐かしかった。私もこのはなし好きで、オカルトにつうじるところがあって、古典を勉強したいというきっかけのひとつだったように思います。これがわかるかどうか、うまく説明されていたかが、古典が面白いと感じる境目のひとつかなと思います。私はすすんで国文科にいったのですが、同級生はつまんなかったという人多いです。まあ、偏差値の低い大学で、行くこと以外に興味なかったから。だからこそ、自分なりに選んで少しでも好きなことが勉強できる学部に入ったんですが。どうせ、ばかな女の子なら英文でしょって、まわりに笑われたりしました。

 私は義太夫とかをふんだんに聞く年寄りに囲まれて育ったので、授業が楽しめた方だと思います。古典って車の運転を習うのに似てて、脳の使わないところを訓練しなくてはわからないところがあります。歌舞伎は最後まで観れるようになったけど、文楽からは文意がわかっても必ず眠ってしまいます。感覚的に楽しめないです。黒澤明の世代のひとまでは少し頑張れば、能も楽しめたみたいですが。やっと、最近、年をとって和歌やら俳句がわかってきました。経験者によると、死者に近づくとわかる、そういうもんらしいです。まあ、わかってどうなんだって思うけど、へんな欲があるんです。亡くなったひとたちに褒めて欲しいんです。先祖供養というか、松尾芭蕉にもそれがあって、旅をしていたみたいですね。古典の基礎の和歌のせかいは宗教と深い関係があって、それは生者と死者、夢とうつつ、自然と人間、男と女っていうことが底にあって、私はなぜ自分がここに存在してるか知りたいという欲求を求めるのにいいツールだと思います。日本を知る、先祖を知る道標になるような。

 新海誠はどうやら、自然に囲まれ、先祖供養や多神教が日常に残っている田舎で育って、和歌やなんかが感覚的に分かり、自然と一体感をかんじる力があるようですね。そして、それを表現できて共感をよぶ稀有な才能があるのかな。むかし、ジブリの番組でアニメーターが、絵やまんがから学んで、自然を体感して絵が描けるひとが少なくなって困っているということを、鈴木プロデューサーが嘆いてました。アニメの背景にリアルさがかけ、深さが出ないそうです。特に男がだめで、女性ばっかり採用しているそうでした。

 そういった自然を凝視した表現を武器に、ポケモンとかの多神教的な価値観を背景にしたアニメやゲームの伝統をフルにつかうって鉄板かなと思います。意外に西洋のひとの奥にもストーンヘイジとか、そんなオカルトな気分が残ってますもんね。出てくる山の上の巨石を拝むって意外にあって、私のばあちゃんたち、身内が死ぬと山に登っておにぎりを転がしに行ってました。今でもやってるのかな。でも、東京なんかでも、実はそういった場所が残っていて、ラストはそういった場所で終わるのは、私にはリアルでした。町山さんが、新海誠は、電車ですれ違うことが多いと語っていましたけど、電車って運命を運ぶ場所だと、私は思っています。受け身で、閉鎖されてて、自分で選べない。でも、それを楽しむっていうのが鉄道好きではないでしょうか。でも、そこからはずれた場所でこそ、ありえないことと廻り逢えると、なんとなく、みんな思っているのではないだろうか。電車を止める自殺がはやっているのも、なんか関係ありそうですね。たぶん、街でそういった場が見えなくなっているのでしょう。そういった場を求めるひと、江ノ島神社に、カギの絵馬を奉納するタイプのカップルとかが、この映画を見に行っている気もします。

 今まで、新海誠は都会のせいかつへの強烈なあこがれや、とっぴびょうしもない宇宙とかでてきてたんですけど、閉塞感と偏見の多い田舎にかつてあった日常とが、同じように扱われるようになって、すごくわかりやすいなって思いました。だいたい、みんなそんな感じで生きてるんじゃないかな。

 

 
 

福山雅治ってどうよ。映画「SCOOP!」を見る

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  福山雅治のドラマや映画は見たことがなかった。私の見る種類じゃないかったからだ。キラキラした男前を愛でるのは苦手だ、私はやぼなのだ。しかし、日本の芸能界でも、特別なひとだと思う。大河ドラマは見た。幕末のモテ男龍馬に似合っていたから、楽しかったな。福山雅治を崩した是枝監督の「そして父になる」で、はじめて映画で見る気になってしまった。男前が崩れるのが見たいなって、いじわるですよね。そして、今回のパパラッチを演じた「SCOOP」も見に行っちゃいました。

 話を福山雅治リリーフランキーとのふだんの関係性を使って、それで構成してるのをみてると、大根監督は、是枝監督を意識しちゃてるなった思った。福山雅治は女にもてるし、男にももてる。男同志でわちゃわちゃして、下ネタだらけのラジオを放送していた。どちらかというと、恋愛から結婚という女の人との密室を好むひとではない。ほぼお見合いで結婚したのはわかるな。例えるなって言われそうだけど、元ソフトバンクの川崎選手なんかそうだ。チームプレイのひとなのだ。

 そんな福山雅治の持ってる色っぽさを、全面的に押し出したのが映画「SCOOP!」だと思う。話はそれるが、写真家志望の女性が主人公の「キャロル」をパクったんじゃないと思うストーリーもでてきますな。そういうしゃれのめすところを見てると、大根仁は、東京の坩堝にそだった江戸っ子だなあと思う。

 福山雅治もかっこいいけど、今回、二階堂ふみ、すごく可愛くて綺麗だった。おきゃんで色っぽかった。彼女、健康的な逞しさがあるんだよな。東京の風景として出てくる女性たちが、みんな色っぽくとられて、艶っぽい画面だった。だいたい、パパラッチされる女の人の下着、あんなにエッチだと訴えられるんじゃないか。そんな風景のなか、報道の意味が問われて、人に伝えることのたいせつさを、福山雅治演じるパパラッチから、新人記者、二階堂ふみがが学んでいくバディムービーでもあった。

scoop-movie.jp

ドラマ「夏目漱石の妻」明治の新しい夫婦

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 長谷川博己尾野真千子漱石夫妻を演じる、ドラマ「夏目漱石の妻」を楽しみにしている。ご子孫も遠くなったし、世の中の感じ方も変わったしで、夏目漱石の生い立ちとその精神的苦悩、そして家族へのDV描写までも描かれていて、色々と考えさせられる。池端俊策の脚本は、その背景のふかい部分まで迫っていてみごたえがある。でも、しっかりユーモアがあって、おしゃれなドラマに仕上がっている。池端さんは尾野真千子がご贔屓らしく、足尾銅山がらみのドラマも力作だった。

 今回は、漱石の狂気をマンガチックに怪演している長谷川博己の受けだからか、抑えめの感情表現なのが心地いい。ここんとこ、力の入りすぎる演技が浮くのが気になっていた。最近のオノマチのなかで一番好きかな。しかし、漱石の不安定さは、ひどかったのだな。幼児期にいろいろあったひとは恐怖と共にいるので苦しかっただろう。江戸時代だったら粗末にされる、名家の次男三男が、明治になって学問をすることによって、一家を持てて、お金や地位を得ることができた。そのがんばりの反動で、精神的に不安定になるひとは多かっただろう。漱石夫妻は、そういった家族に縁がうすい男性が、西洋の影響を受けて作る家庭の、ひとつのサンプルだと思う。悪妻って、漱石の周りのひとは言ってたそうだけど、きちんとものをいって戦っていたからだ。なんとなく泣き寝入りをして、めそめそしたり、母親きどりだったりで、男に都合のいい女の人にされたのが大半だったんじゃないか。だからこそ、漱石の苦悩もきつくなったかもしれないけど、あれだけの小説も書けたんじゃないかな。

 池端脚本で、鏡子夫人のお父さんが、困ったひとだったのがわかった。ロンドン留学は、お父さんが熊本にいる夫婦を心配して、無理やり根回しして行かせたのだな。人間関係が悪く嫌われて、熊本にずるずるいそうな漱石をなんとかしたかったのだろうけど、大きなお世話だ。夫婦を引き離して、本格的におかしくしてしまった。娘が心配だからだろうけど、むすめにそばにいてほしい、婿に出世してほしいという甘えがあったのだろう。なんとも自分の都合しか考えないひとだ。たぶん、彼らは、平凡だったろうけど、熊本にいたら、それなりに夫婦の問題を解決したんだろうなと思う。

 それにしても、長谷川博己はへんな俳優さんになった。園子温の「地獄でなぜ悪い」、「ラブ&ピース」見たけど、特に「ラブ&ピース」は無茶苦茶で、どこか狂気を演じるのに吹っ切れた感じがある。西田敏行の気持ち悪さとともにすごかった。背がでかいだけで平凡なこの人には、演じることへの強い欲求がある。

 第3話では、「道草」に描かれている漱石の養父、「坑夫」のモデルになった青年が出てくるらしい。このふたつは、初期のいろんな試みで、漱石らしさを作っていくみちゆきが見えて、面白い小説だ。その背景が描かれるのたのしみだな。確か本木雅弘漱石、鏡子夫人が宮沢りえの、TBSのドラマ「夏目家の食卓」もあった。漱石夫妻は核家族の夫婦の始まりだから、描いてみたい題材のようだ。それを、生命力の強い尾野真千子と怪演も楽しんで演技しちゃう長谷川博己で見れるのって、これからも楽しみだ。

www.nhk.or.jp 再放送もあります。

 


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最近見た映画

 ここのところ見た映画をまとめてみます。大分前だったけど、印象がつづいて、考えさせられたのが、「オマールの壁」です。パレスチナの抵抗運動をする若者をえがいた映画なんですけど、どこにでもある不良を抜けられないわかものの悲劇として普遍性があります。今も日本で現実にありそうな話です。やはり、貧困が背景にあるのですけど、それゆえに、パレスチナ特有のイスラムの習慣が時代にあってないこと、イスラエルの存在の理不尽さを考えさせられます。ひとが作った悲劇なんだから、なんとかできないか訴えてきます。

映画『オマールの壁』公式サイト

 逆に印象が薄くなったのは、「後妻業の女」かな。えげつないコメディなんですけど、みた後はさわやかなんですね。なんとなく、イギリスの「第三の男」で有名なキャロル・リードの遺作である「フォローミー」に似ています。主役の大竹しのぶが、ミア・ファローと似た、永遠の童女系であるからかもしれないですが。死の匂いがすごくする映画です。なんとなく、善悪とかもうどうでもいいやって感じかな。不器用な小悪党を演じる豊川悦司がはまり役です。

 

www.gosaigyo.com

 今度はアニメかよって感じですが、「レッドタートル ある島の物語」、内容は多神教的な説話をモチーフにしていて、なんだか無意識を揺さぶられる映画です。戦前のベルギーのバンドデシネの元祖のひとつ、「タンタン」を肉感的にしたような人物のキャラクターなのが面白かったです。 タンタンは結構好きで、テレビアニメも見たし、スピルバーグが3D化した映画も見に行きました。映像は単純化されているが、細密でアート感のあるため息のつくような美しさです。本来、単館系なんでしょうが、ジブリの力でシネコンで放映されているの、すごいなあと思います。脇で出てくる、カニさんたちが、鳥獣戯画みたいで、かわいくて残酷なのがジブリ的かな。

red-turtle.jp

最後に「怒り」。「悪人」でコンビを組んだ吉田修一原作、李相日監督作品です。代表作「悪人」は、妻夫木くんに興味がわかず見てないですが、渡辺謙主演「許されざる者」の光と影をこえた有様がグッときたので見に行きました。なんか、この監督の渡辺謙、しっくりきます。若手の主役級の俳優さんたちが熱演していますが、追い詰められた娘の恋をゆるす渡辺謙の男気のあるたのもしさと、脇ですが、原日出子の母性的な感じが、かなめになっている映画だと思いました。ゲイの男の子の母親役なんですが、本能的に息子の大切な存在を知っている感じが出ています。ふたりの親というものの生物的な部分の表現があって、このずず黒い映画が落ち着く感じといいますか。

メジャーな日本映画がさけていた、沖縄の基地の現実、新宿にいけば、遠目に目に入ってくるゲイのひとたちの姿を、くっきりと描いてもいて、野心的だなあと思いました。日本にある見ないふりをしている、現実への苛立ちをえがいた映画かなと思います。

www.ikari-movie.com 

今、「ゴジラ」と「君の名は。」がたくさんのお客さんを動員している映画館のようす、頼もしく見ています。

 

もやっとした気持ち「アヘン王国潜入記」

久しぶりに遠出して、ここらで唯一チェーン展開していない本屋さんに寄った。だんだんとスペースが先細っていき、本の内容が多彩でなくなっていくのが寂しい。そんななか、高野秀行の「アヘン王国潜入記」が紹介されていた。 こういうくせのある本の紹介、すきだな。まだ、個人の好みが店に反映されているのかと、うれしくなった。個人のお店のおすすめは失敗もあるけど楽しい。1995年のアヘン生産地潜入の話など、、読んでみてどうかなと思ったけど、こころざしにかんじて、読んでみました。たぶん、最近、同じ著者の「謎のアジア納豆:そして帰ってきた<日本納豆>」が発刊されて話題になってたからだろう。食べ物ばなしはすきなので、私もラジオで著者のはなしを聞いて印象に残ったが、単行本高いもんなあ。

 日本と関係ないっというのは、発行当時もそうだったみたいで、英訳本でまず発刊され、世界の麻薬関係のひとから、講演の依頼がたくさんあったらしい。こういう広がり方あるのね。しかし、一気に読んでしまったのは、今も解決できない普遍的なもんだいを示してるからだと思う。私が言うのもおこがましいが、地方のオリジナルの文化が、お金のちからで壊されているはなしだからだと思う。実際、今、ミャンマーの中国に隣接するこの地方は、公用語が中国語になるような状態らしい。他の地方から文化が押し寄せてきて、搾取され、固有のアイデンティティーが破壊される、今、せかいのあっちこっち、もちろん、日本でも起こっていることだ。

 ところで、この黄金のトライアングルでアヘンが盛んに生産されるようになったのは、中国がアヘン戦争を経て、お金が流失するのを恐れてからだそうだ。それはじりじりと、この地方の中国化を 進めていっているようだ。そんなぎりぎりのとき、著者は伝統的な農村に潜入してその生活を体験する。かつての日本の農村とかわらない、勤勉でそぼくな人々がけしを栽培している。アヘン中毒になる人も日本のアル中人口ぐらいのものらしい。年配の人が多い。それは、今、日本の田舎で、年配のアル中の人が多いのと変わらんね。人生、体力がなくなると、できることが少なくなり、ついということだと思う。それは田舎に共通することだろう。著書のさいごで、今の急激な時代の変化のなか、自治政府軍がそそのかされて、覚せい剤の生産が始まっているというところで終わる。農業から工業へということなのだろうが、嫌なはなしだ。村の移転のはなしもあって、村人はどうなったのだろう。

 著者の青春をえがいた「ワセダ三畳青春記」でもそうだけれど、登場人物たちの行く末がすごく心配だ。彼の周りには、常に死のかげがある。この本でも結婚前の村人、そして、彼をかの地に潜入させてくれた自治政府軍の男が亡くなっている。そういったぎりぎりのひとびとと、共に生きることを、いっときでも受けいれるということが、高野秀行の資質の面白さかもしれない。いやあ、楽しく、刺激的な、知の冒険をさせていただきました。感謝です。

 

アヘン王国潜入記 (集英社文庫)

アヘン王国潜入記 (集英社文庫)

 

 

謎のアジア納豆: そして帰ってきた〈日本納豆〉

謎のアジア納豆: そして帰ってきた〈日本納豆〉