oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

子供が持てる、ミッフィちゃんの絵本

今週のお題「プレゼントしたい本」

 

1才からのうさこちゃんの絵本セット 1 (全4冊)

1才からのうさこちゃんの絵本セット 1 (全4冊)

 

 

  実際に最近、親戚の赤ちゃんにプレゼントした本です。うちの子が子ども時代すごく重宝しました。なにかというとこどもが軽くもてるサイズであることと、とてもじょうぶな装丁なんですね。だから、車なんかにもちこんで読める。そして、何度も読めるシンプルな内容であること、そして、言葉が少ないので、親もらくであることです。実際、デック・ブルーナは、幼児教育の専門家になんども聞いてつくったそうで、行き届いています。大人からみるとものたりないかもしれません。このボックスは第1作の「ちいさなうさこちゃん」がはいっているし、いしいももこさん訳の「うさこちゃん」っていうのが私はすきです。ほんの短いあいだのお供かもしれませんが、それだからあげたかったです。

 ほかに児童書だとトトロのさんぽの歌詞で有名な中川李枝子の「ぐりとぐら」シリーズ、かこさとしの「だるまちゃんとてんぐちゃん」とかもよろこびました。古典的ですけどね。ちまちまといろんなものが書かれているのがいいのかな。今のまんが「よつばと」に通ずるせかいです。こちらはもう、複雑な感情が描かれています。

 

 

寺山修司がわからない

  深夜、テレビをつけると増田セバスチャンと平井堅の対談をやっていた。寺山修司が好きでアートのせかいに入ったと知ってから、気になる存在だ。だから、大体そうだろうなと思いつつも、自伝の「家系図カッター」も読んだ。親と問題があるひとは、総括すべきっていうのはこたえるのですよ。女の人は産みたい本能にふりまわされて、あいまいな形で家庭をつくることが多い。私もその一人だったからだ。

 大好きな山田太一が、寺山修司と早稲田で同級生で、濃密な人間関係をむすんだ時期があると知った。代表作の「早春スケッチブック」はその関係が色濃く反映されていると思うのだ。そして、愛読している田口ランディ星野博美が、わかいとき、寺山修司にわざわざ会いに行ったことも知った。彼に会って、彼女らは自分なりの目的を無意識から引き寄せたようだった。私にとって、寺山修司は謎になった。思えば、寺山修司の周辺にいたひとの作品が、気になっていたからだ。

 私が寺山修司にふれたとしたら、学生時代の部活のイベントで彼の元妻、九條今日子をちらっとみたときだ。先輩があの方が九條今日子さんよって、ささやいた。なんてことない、平凡な後ろ姿だった。彼のことは、前衛演劇をしている不可解なひとってかんじで、名前だけは知っていた。奥さんのことなんか、知らなかった。あれは誰だったんだろうか。あの頃の私はずいぶんと子供で、心閉ざしていて、恋愛や人生になやんでいる彼女たちにたいして、鈍感だったんだろうと思う。ときどき、部活の同窓会のお誘いがあるが、行けてない。どうふるまっていいかわからないからだ。

 あそびの集合の時間は守らない、すっぽかす、そして、交通費の小銭を借りて返さない、嫌われていたのは当たり前だった。そんなこともわからなかった。自分の環境が社会からずれていたのに、気がつかなかったのだ。幸い、卒業してすぐ、そこのところは気づいたので、助かった。よく寛容に付き合ってくれたと思うし、無視されていたとも思う。どうしたら私に届くか、かれらはわからなかったのだろう。そんな悔しさといっしょに思い出すのが、あのささやきだ。かつて、青森県立美術館にいったとき、ギフトショップのおみやげに、寺山修司の著書「書を捨てよ、町に出よう」選んだ。青森に行ったのは、寺山修司の故郷であったこともあったのだと思った。

 増田セバスチャンの世界は、なぜかなつかしい。かつてあった幼児のきもちをブックマークしたような感じだ。本を読んでいて、かつて篠原ともえが、彼の店に出入りしていたことも知った。あのころ、彼女は礼儀正しいのに、芸能界のおっさん社会に徹底的に嫌われていたなあ。テレビを見ながら、そんな混沌としたきもちが湧いた。

 

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

 

 

 

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父たちと宮沢賢治と「春と修羅」

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 ここのところ、毎年、盛岡を旅している。去年、行きたかった花巻に行ってきた。父に買ってもらった本のなかに宮沢賢治の「風の又三郎」があったからだ。父が選んだと思い込んでいたが、私がねだったんだと、改めて思い出した。5年のときの担任は、今でいうカリスマ教師で、毎年、生徒に「雨ニモマケズ」を暗記させていた。それで、どんな話か読んでみたかった。美しい青を基調にした挿絵があり、ふかしげな物語に夢中になった。最初の「どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんも吹きばせ」このせりふぐっときました。物語は二百十日で終わる。なぞに夢中になった。父や先生の世代は宮沢賢治がブームになったころのひとだ。特に映画「風の又三郎」にグッときたらしい。のちにさわりをちらっとみたが、今でも、ハーフだった大泉滉の美貌とちゃっちだけどアートな特撮で見れなくもない。のちに変なおじさんでバラエティで茶化されていた彼は子役スターだったんだと、なんだかなと思った。青年期、小津安二郎の「お早よう」にもちらっと出てた。

 それから図書館でたいていの童話を読みふけり、「春と修羅」も読んでみた。「小岩井農場」は気に入ったが、死にゆく妹をうたった「永訣の朝」は正直こわかった。のちに賢治と妹のことを下世話に評論した新書をチラ見して、怖いほど美しいきもちって落したくなるんだなあと思って、いやだった。

 担任の先生と何年か前お会いしたけれど、私より少し上の息子さんを車の事故で亡くされていた。尾崎豊ではないけれど、親子の相克があったのだろうか。先生はルソーの「エミール」を愛読されていた。話術のために落語を聴く会をするほど熱心な方で、救われた人も多く、教員になった教え子もいた。そんな父世代に影響を与えた宮沢賢治を、私世代で読んでたひとって結構いたんだと、ゴジラの「春と修羅」でわかった。岡本喜八が残した本だったろうか。

 花巻に行ってみて、宮沢賢治を知らなかったなと思った。まず、記念館でみた膨大で多彩な仕事量にびっくりした。体が弱かったんではなく、過労死だったのだと思った。ものすごく欲望の強いひとだ。あと、大富豪の息子だったんだなと気づいた。路線バスに乗ると、花巻にはほぼ廃墟の大きな商店街があり、田舎に凄まじい富の集積があったのが見て取れる。

 鉄道が鉄の街、釜石に行く中継地であるのも知らなかった。「銀河鉄道の夜」はあきらかに花巻の繁栄と鉄道の関係を背景にしていたのだな。そのなかで、文化的贅沢三昧をした男であったのだ。そして人当たりも良く、金持ちなかまのなかでのほほんと商売をしたりできなくもなかったと思う。しかし、圧倒的な自然や貧困から、自分自身から、目を背けられないひとでもあったのだな。色々と面白く、怖いひとである。

 なぜか、記念館では行きたかったサハリン旅行を主催していた。賢治のせかいの信奉者たちらしい企画だ。行こうかなと一瞬思った。宮沢賢治の背景は、いろんなものを岩手にもたらしている。小沢一郎なんかも、あるかもしれない。もっと知りたいような気もする。今年も秋田に行ったとき、盛岡、どこがいいと言われ、小岩井農場と「注文の多い料理店」を出販した光原社に夫を案内した。なんだろう、私たちが背負っている、近代ってもののあわいを考えされられるひとなんだよな。

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記念館にむかう階段。

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記念館からみた花巻

 

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そして、 今の東北本線のありさま、活気があった町は静かにまどろんでました。

 

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岡本喜八と同世代で日大映画科卒のひとで、宮沢賢治の信奉者です。 

9月に展覧会へ行こう

 かつて、子供たちが学校に行く9月になると、親も子もほっとしたものでした。そんなとき、ふらっと美術館にでかけました。わりに疲れていても楽しめる気晴らしだと思う。なので、9月にやっている展覧会を紹介します。不便なところもちょっとした旅気分にもなります。

 まず、箱根のPOLA美術館。印象派のコレクションで有名です。企画展もわりかた充実してるのがいいです。9月10日から藤田嗣治やルソーの展覧会です。ラインナップでわかるように、疲れない、人に突っ込まない絵が中心で、日帰り温泉がてら、お友達といくのもいいでしょう。

www.polamuseum.or.jp

 夏、頑張ってみてきたのは、こちら。群馬の高崎でやっていた時も見たかったですけど、遠すぎて、川崎でやってくれて助かりました。9月25日までやっています。京都精華大学の美術科が全面協力していて、そこで教えてる、イタコ漫画家田中圭一の監修がしぶいです。漫画を描く人にすごく参考になるようです。目録も教科書代わりになる。漫画の展示はむずかしく、いくつかいっても、もう一つなものが多いけど、技法を中心に解説しているし、きちんと一枚絵としてみせられる原稿を中心に展示していて、グッときます。

 私は二十四年組の漫画で育って、どちらかというと萩尾望都派なんだけれど、精華大学長でもある竹宮惠子のすごさがわかりました。すごく細密だし、Gペンを交えた力強さのメリハリがある。「風と木の歌」の下書きは圧巻です。めったにみれない諸星大二郎の原画もあったし、庵野さん絡みで今のってる、島本和彦先生のもあります。個人的に懐かしかったのは、さいとうたかおプロダクションの「無用の介」。プロ発足直後の作品で勢いがあります。集団で描く漫画の立体的細密さに驚きます。最初の少年誌連載のとき、たち読みしてたのを思い出しました。

 好評につき、来年の三月から京都で展示することが決まったようで、いっしょに精華大が絡んだ、京都マンガミュージアムによるのもいいかもです。「まんだら屋の良太」の畑中純、没後直後に、あそこではじめて読んだなあ。好きだった少女漫画家さんの最終作読んで、宗教にハマったマンガで悲しかったのも、いい思い出です。最近のマンガは予算の関係とかもあって少くないけど、えっという、うまいマンガに出会えるところだとも思う。

www.kawasaki-museum.jp

 最後は京都つながりで、世田谷美術館で染色家の志村ふくみの展覧会が、9月10日から始まるようです。民芸運動の流れを汲み、日本の伝統美をモダンに再現したかたで、普遍的な新しさがある。今も現役というのがすごいです。圧巻は最澄の着た母衣に触発された、新作「母衣曼荼羅」です。母衣とは袈裟、もしくはぼろのことでもあって、最澄は平安初期の貧しい人たちの遺体の着物の切れ端を集めた作った、母衣を着ていたらしいです。比叡山行ってみたくなったなあ。行ったことないんです。そんな日本の服飾文化を学び、消化した彼女の作品は見るべきものです。巡回も最後です。全作品の回顧展でもあるので、おもな全貌がわかります。

shimuranoiro.com

 まだまだ暑くて、9月は展覧会はどうかなって思いますが、秋の展覧会シーズンの前なので空いていて、じっくり見れます。



「鬼才 五社英雄の生涯」大衆的って何だろう。

 

 

 私は五社英雄のファンでないので、いくつかしか見てないけど、そのなかで、「陽暉楼 」が一番好きだと思う。普段テレビであいまいな演技をしていた女優さんたちから、演技を絞りだした華麗な映画だ。特に浅野温子をテレビだけで知ってる人は、びっくりすると思う。この映画は、辛口な淀川長治さんがめずらしくほめていて共感した。最初の、池上季実子演じる芸者の桃若が、初めて敵役の彼女に会うシーンがすきなんだな。桃若が粋な着物に身を包んだ芸者衆をひきつれて、陽暉楼の広い廊下から大階段を上っていく。そこを彼女が呼び止める。映画の大画面にはえる映画的なシーンだ。それから、なんだか、大袈裟でゲスな映画になってと、芸者やの子で、モダンな贅沢を知り尽くした淀川さんは流してしまう。しかし、この映画は、そんな芸者の世界を背景にした映像と演技で情念をえがいた映画だ。多くの人にアピールするのは、そんな誰の底にもある情念を映像にしたからだと思う。普段、映画とかみないひとにもわかりやすい、大人の世の中をよく知ったひとが作る、エンターテイメントだ。

 五社英雄芸者置屋の出身だという話を聞いたことがあるが、この本によると、本人自称のまるっきりなうそだそうだ。淀川さんははったりを見抜いていたな。話はそれるが、彼は、幼いブルック・シールズを主演にした、ルイ・マルの「プリティベイビー」をほめていた。「私も商売できたよ」と本人がロリコンを肯定し、娼婦たちがほめそやす遊女屋こそ、リアルだと言っていた。渦中のひとたちは、カタギの世界と対立しない。ふあふわと夢をみながら滅んでいく。淀川好みの芸術作品だ。しかし、尖ったアートは、人を突き放すのだ。

 ほとんどのひとはそういった悲しい肯定感を、人ごとで痛ましいとみる。多くのひとが好奇心をもって、安心して見られるのは、ドラマテックな対立だ。女性の私からも女性のなかの男性性で生き抜く女性たちは共感できる。五社監督はヤクザや芸者といった人々の周辺に育ったひとのようなので、知っていて、それも踏まえているから、淀川さんも「陽暉楼 」は気に入ったのではないかな。どの映画も彼の人生を反映し、切実なエンターテイメントを志していたと感じた。

 この本は私が見ていない、黒澤映画の暴力性を意識した、初期のテレビの時代劇の革新的なこころみについても丁寧に書かれている。大好きな丹波さんのとぼけた姿もいい。映画好きなひとに評価が低いのは、晩年の欠点が浮き出た多作が原因であることもよくわかった。馬力のあるひとの欠点でもあるな。

 春日太一は、映画のはなしをお仕事話として語るのが新鮮だ。昔、NHKでやっていたアクターズ・スタジオの講師が、役者さんの仕事の話を聞く番組があった。ちょっと難しい人でも、仕事の話だと語れる人は多い。仕事のはなしはどう生き抜いたかの話なので、参考にもなる。どうして、日本のマスコミは、こういったスタンスがないんだろうと思っていた。

鬼才 五社英雄の生涯 (文春新書)

鬼才 五社英雄の生涯 (文春新書)

 

 

 

 

 

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「その島のひとたちは、ひとの話をきかない」工夫というささやかな試み

 前から気になっていた本です。精神科の医師が、自殺が少ない地域をたびして、その体験した風土をルポをまとめた本です。特別ないろんなケアとかあるところなんだろうか。結論から言うと、ひとを追い詰めないけど、ごくふつうの悪口も陰口もある町だそうです。 土地ごとに色々とやり方もちがうけど、強いていえば、自然が強くて工夫しなければ生きていけない地域であること、そして、対話が多いところであるということみたい。たとえばですね、この本を私が進めたら、しっかり話は聞くけど、本を読まない。一緒の行動をしないことが許されている場所なのです。だけど、何年後、その人が必要だと思えば読むこともある。なぜならば、しっかり会話して、印象にのこっているからでしょう。無理やりひとに合わさないことが普通になっている。なんだ、当たり前のことだと思いますが、たとえば、映画の番宣をなんども流す。まず、きちんと利益を出すことは善なので良いこととされています。しかし、相手をあおって、受け手に無理をさせてしまう。それが資本主義なのですが、まいどまいどだと、疲れてしまいます。そんなことが意外と大切なんだなって感じる本です。

 ほかにベンチがたくさんあると、ちょっとした会話が増えて、煮詰まらなくなるとか、実践してる地域も結構あるのではないでしょうか。私は、結構、挨拶をするのですが、そのぐらいの軽い交流のほうが楽だと書かれていて、ちょっと嬉しくなりました。これって、司馬遼太郎の「アメリカ素描」に移民の知恵だと書かれていて実践してみたことなんです。あなたは「こんにちは」しか言わなくて会話が成立しないって、そしられたこともあるんですけどね。私は心の傷がきつくて、向こうに用事がないと会話できないってところがあって、じゃせめて、挨拶をしようと実践しています。深く関わりたいひとはバリアを感じるようですが、概ねうまくいっています。個人的にそんなに方向は間違っていなかったと嬉しかったです。具体的な工夫こそが大事だと感じ、励まされる本です。読んでよかったです。このブログも、いつか誰かの役に立てば良いなと思っています。

 

 父性のひととしての秀吉 真田丸

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 真田丸小日向文世演じる秀吉、面白い。前回の「黄昏」は、医事監修のひとも参加して、ボケ老人を事細かに演じていて良かったです。その中で感じていたのは、かつての三成や清正たちにとっては、秀吉夫妻は親同然だったということです。

 秀吉は多くの優秀で貧しいわかものに、愛情と知識と知恵を与えて家来にした。それはかつて、秀吉が親を軽侮した不良少年で、世間さまに育てられて、教えられた知恵を使ったからでしょう。しかし、その世界はろくでもないものでもあって。原型は、よくある不良のたまり場のひとつだったんだろうな。今回の大河は、そこのところがよくわかって面白いです。

 本なんかで読むと実感がわかんなかったですが、今回は劇団出身の三谷幸喜が描いているのが大きいかな。演劇のせかいは機能不全の家庭の出身の人が多いような気がします。条件の悪いけど、才覚のあるひとがのし上がれる世界ではあるなと思っています。しかし、ふつうのひとをつくる教育システムではないので、大変でもあるなっと思います。だから、秀次の女狂いもリーダーであった秀吉をまねしたんだろうな。しかし、秀吉は苦労人で、天才であったので、あわゆいバランスのなかで許されていたのだろうと思います。

 こういった不良の集団は、実はまわりにいる子分たちは決して取って代われない、実は父の立場のひとが、主役を降りない集団なんだと思います。決してリーダーになれないタイプのひとをあつめているので、主役が衰えたら自然消滅してしまう。そして、主役が好き勝手するためにあるので、生き抜くタイプのひとが育ちにくいのも欠点かな。時代が戦国だったので、この集団が大きくなったのでしょう。でも、きっと、あの時代の秀吉のそばは、目まぐるしいけど、楽しかったと思います。大阪城に色々な才能のひとがいて、うるさかったと思うよ。千利休のとりまきがいて、東北の大名までいて、美人もたくさんいて、徳川家康でも楽しかったじゃないかな。でも疲れて、いつまでも続かないなって、みんなうっすら感じていたのではないかな。

 今回、新しい資料を駆使して、ほんと色々考えさせる大河になっています。まず、真田幸村は大谷刑部の婿として、かつての大阪城で大切なひとだったことも初めて視野に入ってきました。刑部もらい病ではなかったっていうのが、今の歴史学のせかいではふつうになっているみたいだしね。考えてみたら、昔は、帯状発疹でも、傷がうんで死んだりするんじゃないか。

 考えてみれば、秀吉は、肺病やみの竹中半兵衛やら、平和な時代だった活躍できない多くのひとたちに、生きがいを与えた稀有なひとでもあるのだな。やさしくて、可愛くて、残酷なひとなのだな。そんなことを考えながら、大河を見ています。