oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

田辺聖子を改めて読む1

 先日、田辺聖子さんが亡くなった。NHKのニュースでは「感傷旅行」で芥川賞をとられたと悼まれていた。ちょっと、違和感があった。賞をもらったという切り口しかないのか。「私的生活」などの恋愛もの、古典をかいつまんで解説したもの、評伝、源氏物語の現代訳も手掛けてられる。映画になった池脇千鶴の名演がひかる「ジョゼと虎と魚と」、感想では最近の小説と思い込んでる人が多かった。彼女のしごとのいくつかは決して古びてはいない。

 テレビなどの表舞台に立たれなくなって久しいし、90代になられて同世代のファンのひとも亡くなったし、そんなもんだろうとかもとも思うけど。そういえば、その「感傷旅行」は読んでないなあと思った。それで、なつかしい、「苺をつぶしながら」、「私的生活」とともにをあらためて読み直してみた。

 「苺をつぶしながら」この語感すきだったな。ニュースでかちんときたとき、すぐ思い出したのがこの小説だ。いちごがすっぱかったなんて今の人はわかるかな。それをさとうとミルクでぐちゃぐちゃにして食べる。その生々しさ、自由に生きる女性の象徴だ。友人である、男を食い散らかしたとされる女の末路も毅然とえがかれていて、甘いだけの恋愛小説ではない。

 その前編の「私的生活」は結婚に向かない男女の結婚のあとさきを過不足なく描いている。今回、読んで、覚えていて驚いた。あのころはお金に不自由していたのもあって、何度も読み返していたのもあるけど、それだけではなく、教訓も刻み付けていたんだと思う。世間知らずの私が、たまに男におだてられたしても、男の情けなさとかに気づいて、有頂天にならなかったのは、これらの小説を読んでいたからもあったんだよなって感じた。

 今回読んで改めて気が付いたのは、女の仕事場のマンションに行って日記を盗み見たりの男のあまりにも暴力的な行為をきちんと描かれていたことですね。そこがその男の魅力でもあり、欠点でもある。そのことを象徴する猿山の描写が秀逸だ。獣としての人間が作った社会の暴力性、それにしっくりいかない人たちがが感じるおかしみ、あわれみ。

 最後に夫は、妻が別れても、どうしてももっていきたいと大切にしていた亡き姑の遺品を打ち砕く。ここまでかと思った。母の中の女性性の象徴で、欲望のつよい彼は、それに対するあこがれと不満があったんだと思い知らされた。支配と愛のごちゃまぜがわからない男の幼稚さ。結婚は経済のからんだパートナーシップだと思う。男性性と女性性をお互いに求めるのは恋愛で、結婚という形に持ち込んだら嘘になってしまうという厳然とした事実。 

 今回、亡くなられたあと、読書好きの年上の友人と話したとき、やはり、これらの恋愛小説のはなしになった。あのころ書店でバイトしてて、田辺聖子の円熟期のこれらの本が同じ時代に生きた、30前後の女性たちに楽しんで読まれているのを見た。それは幸せなことだったなっと思った。

 

私的生活 (講談社文庫)

私的生活 (講談社文庫)

 

 

苺をつぶしながら (講談社文庫)

苺をつぶしながら (講談社文庫)

 

 

  改めて、近年読み続けられているらしい。おもに恋愛まんがを読んでいる人たちが読者層だったという記事を読んだりした。