oohama5656's blog

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「源氏物語」物語は、なぜ始まるか。巻7「若菜」陰々滅滅編

 

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 「若菜」では、女三宮という女性が登場します。女三宮は源氏の元天皇の兄の娘です。兄が出家にあったって、有力者である源氏の正妻にという話が持ち上がります。最初はめんどくさいと断っていたのですが、藤壺のめいで美女であるということを知って受け入れます。源氏は幼いときにいっしょにすごした、母に似ているとされる、若いころの藤壺に執着しているわけです。それなので、ついつい、彼女を正妻にしてしまいます。容貌が似てるだけで、これがとんでもない女性でした。

 つまんない人だったんで、早々と源氏にあきられます。すごいのは着物のすそに生理の血がべったりついてても気にしないと書かれていることですね。これでわかるのは、それを注意する母を早く亡くしていたことです。そして、父親にたまにペットのようにかわいがられる。そして、皇女さまだから、侍女たちはかしこまっている。母親がわりになってくれる人もいなかったんですね。これはネグレクトされた人なんだと思います。

 その彼女を頭中将の息子の柏木が恋焦がれます。この人は、この皇女さまと結婚できなかったんで、その姉の女二宮と結婚しました。でも、すごく雑に扱うんです。女二宮も問題があります。愛されなかった女性の娘なんで、すごく、いじけてるんです。でも、おかあさんは大切に育てました。だから、きちっとした人で、愛情豊かなんです。それでも、柏木は気に入らない。なぜか、父に愛されていなかったからです。父である人は天皇で、そして、それは権力を意味するのです。ここで、物語のなかで父なるものと権力がむすびつきます。社会の枠組みは男が作ったものだからですね。これが「若菜」の重要性だと思います。権力に愛されていること、それが自分の存在が認められていることなんですね。紫式部が宮中で見聞きしたことから、社会というものを意識したんだと思います。こういった、おろかな若者がたくさんいたんではないですか。

 さて、柏木は権力者である源氏の妻になった女三宮にますます執着します。ある日、黒猫が彼女の部屋の御簾をあげてしまい、彼女の姿が丸見えになります。そして、柏木は密通を決意します。大和和紀のまんがで猫は印象的ですね。それは女三宮のなかの自然を象徴しているからです。

 侍女たちは嫌われた源氏への執着がないこと、密通した柏木に愛情がわかないことをいぶかしがります。ただただ、叱られることを恐れています。子供のままなので男女の愛情がわからないのですね。それに、彼女にしたら襲われたんですからね。事前のやりとりもなく、だからといって、拒むことも知らない。空蝉や藤壺は必死に二度目はこばんでいるのですから、できないわけではないです。周りも柏木もそうですが、男女関係がレイプに近いかたちで始まることがよくあったと思います。身分のひくい女性が、がまんして取引していく形が多かったのでしょう。皇女さまなんですけど、夫に軽んじられ、周りに訴えることもできない。それに、柏木もまわり気づかないで、なんでもいうことを聞く意志のない人っていう思い込みがあるのでしょう。

 密通が発覚したときの描写が残酷です。源氏の前で男の着物のなごりの帯もかくそうともしないほど、鈍感だったのです。柏木は密通が発覚して源氏に嫌われたこと、女三宮に愛されなかったショックで悶え死にます。紫式部は現実で見聞きしたことから、源氏と藤壺の話を再現したかったんでしょう。

 そして、女三宮に子供ができます。源氏は若き日の自分と藤壺の密通の罪を思います。この辺りは歴史的に父桐壺帝への罪悪感だと解釈されていますが、それだけではないなと思っています。父である源氏の兄の不幸が発端ではないかな。父に愛されず、妻に若くして去られる。社会的には源氏に追い落とされる。だからといって、対等ではない、子である娘たちに気ままにふるまっていいわけはないでしょう。女三宮も若さが対等な男と結婚していたら、それなりに成長していたかもしれません。父なる権力者の妻になったからの悲劇です。

 自分が源氏の母への面影に過ぎなかったと知った、かつての若紫、妻の紫の上は出家して死んでしまいます。源氏は彼女そのものを愛していたことを知って絶望します。腕には出家してさっさと育児放棄した女三宮のこどもが抱かれています。宗教という確とした依存先を見つけた彼女は心おだやかなようですが。しかし、源氏の死で終わった物語はまだまだ終わりません。母恋いの物語が終わり、父なるものを追求した宇治十帖です。