oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと、書いています。

ブレイクスルーについて 田辺聖子「ジョゼと虎と魚たち」続き

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 「ジョゼと虎と魚たち」は、田辺聖子の日本の古典、フランスの恋愛小説、おもにサガンの研究が融合した成果だ。そして、隠された若き日の恋愛の苦い体験が底にあるのではないかと思っている。ジョゼの描写に、市松人形のような顔、そして、人形の足のような棒切れのような動かない足が美しいとあるのは、文楽の人形を思い出させる。近松の曾根崎心中の舞台、お初天神のあたりを知っているが、あそこは、今も大阪の場末だ。あの話は、悲惨な生活を送った遊女が、封建制度の義理にがんじがらめにされた男と、辛い世の中から、性の密室性の喜びを入り口に、死へのジャンプをする物語なのだ。この小説の密室感、ただよう死のイメージは、その世界の影響が感じられる。それは、大阪の生活の底にある、大阪でしか生きれなかった放浪者の血を背景としていと思う。そして、主人公が名乗る、サガンの小説の主人公の名前は、そのつらい境遇をごまかすのに使われる。詩的な言葉で有閑階級のむなしさを描いたらしい、サガン研究の成果なのかもしれない。まあ、私は、サガンをはじめ、フランスの恋愛小説は読んでないので、この辺りは、えらそうなことは言えない。サガン、評論、読んでみたんだけど、確か、ファッションかなにかの話だったけど、いや、日本人を猿あつかいしてるし、子どもっぽいし、たまらなかったです。しかし、恋愛とは、性を背景にしているので、若く子どもっぽいものであろう。その恋愛小説を書き続けることは、たいへんなことと思う。

 こういった、諸々の田辺聖子の混沌としたものが、ひとつの成果となったのが、この小説だったと思う。異色であり、ひとつの突破であり、成果であると思う。ぼろぼろのアパートで、男のために煮物を料理するジョゼも、地下の水族館で魚たちをみるジョゼも神々しい。そして、小説は、ジョゼをいとしむ男の言葉、愛におぼれるジョゼの言葉で綴られていく。そうして、古びない小説になったのだ。

 渡辺あやが、映画「ジョゼと虎と魚たち」の脚本で映画デビューしたとき、すごく、うれしかった。関西の文化の伝統をしかと受け止めてくれて、伝えてくれる人が映像の世界で現れたと。田辺聖子の文章が、映像的なことに気づいてくれたかと。彼女は、若い頃、NHK大阪シナリオライターとして、出発した。そして、代々の写真館の娘で、映像に詳しい人だった。

 どうしようもなく、むなしいとき、勇気づけられる小説だ。特に、最後のジョゼの恋の幸福を語った言葉は、薄明るい海辺の光景のようだ。

 

  追記 この項がよく読まれているようでうれしい。田辺聖子さんは叔母の小学校時代の同級生であったことがあるひとです。なにかしらのご縁があったようで、思い入れがあります。