oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

ブレイクスルーについて 田辺聖子「ジョゼと虎と魚たち」前編

 私は、若いころ、田辺聖子の愛読者だった。大阪の本屋さんだと、新刊が出るたび、目立ったところに置かれていた作家さんのひとりだ。古典文学にくわしく、おもしろくかいつまんだ現代訳と解説の本を、たくさん出されていたので、愛読していた。(かいつまんでって、田辺聖子さんのよく使う言葉で好きであります。)特に、上方の文学である、川柳や落語にも詳しくて、楽しかった。私の古典文学のネタは、たいていお聖さんと橋本治のパクリであります。そのついでというのではないが、彼女の恋愛小説もたいてい読んでいるのだった。私は恋愛小説をすすんで読むタイプではないので、たくさん読んでいるのは彼女だけだ。

 彼女の小説は、神戸のあじさいホテルであいびきするという感じで、関西の大人でおしゃれな空間をフランスのサガンのように描きたいという思いから、描かれている。それは、空襲で奪われた戦前の大阪文化の復活を願っている思いだと思う。朝ドラの「ごちそうさん」に描かれているように、大阪の第二次大戦直前の文化は、それはそれは、はなやかでモダンだったらしい。かつて、文芸春秋で連載されていた田辺写真館の写真についてのエッセイを読むと、いかに彼女の実家がモダンな最先端だったかが、わかる。しかしながら、戦前の都市の中流階級なんかは、ほんの少数で、戦争であっという間に壊されてしまったのだった。その壊された文化の中で育った人に手塚治虫なんかもいる。あまり知られていないが、山田洋次豊中の新興住宅の出身で、戦前のモダニズムの空気をかいでいる。彼らが、宝塚歌劇が好きだったり、倍賞美津子や壇れいを使ったりするのは、そのためなのである。

 私も、子どもの頃に父に宝塚の立ち見に連れて行ってもらったりした。戦前は男の人も見に行ってたんだよと嬉しそうであった。戦前のいい生活の思い出がある、父やおばや、祖母たちに囲まれた私が、田辺聖子を読むのは必然であります。当時、田辺さんの恋愛小説の愛読者は、私より10才ぐらい上の女性が多かった。バイト先で一緒の不倫で会社をやめた、やさぐれた美人OLさんが読んでいる姿はかっこよかっなあ。しかし、私は、宝塚にはまらなかったように、ちょっと、彼女の恋愛小説に無理を感じていた。男女の心理のたくみさ、大人の恋愛とは、こうあれかしという提案に、ぐっとはきたのだが。短編集「ジョゼと虎と魚」にある、海の見えるすてきな別荘で、イワシをフライにする愛人って、お聖さんの同世代じゃないと、決まらないですよね。アンバランスな風俗映画だった、小津安二郎の「お茶漬けの味」みたいな感じですもん。わたしより、少し上の世代だったら、ギリギリ、シャレでするかもしれませんが。

 そんな私も、これは、凄いと思ったのは、表題作の「ジョゼと虎と魚たち」だ。だいたい、風俗をとおして恋愛をえがいていた田辺聖子が、セックスについてはっきり描いたのは、この短編集ぐらいだ。「恋の棺」、「雪の降るまで」も捨てがたい。しかし、普段、中年女性の恋愛を描いていた彼女が、若い男女を描くのは、めずらしいのだ。そして、障害のある女性を描くのはなかった。大阪は、伝統的に社会的弱者が集まるところだ。しかしながら、「泥中のはす」を描きたかった彼女が、その辺りの話を描く事は無かった。その彼女が、正面から、死とエロスに挑んだのが、この小説だと思う。ん、これは、檀密のBSドキュメンタリーの題名みたいだな。まあ、作家などという仕事に人生をかけた彼女も、ニコニコと笑いながらも、無頼な人であるのだ。

たぶん、続く  

 

ジョゼと虎と魚たち (角川文庫)

ジョゼと虎と魚たち (角川文庫)