oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

日曜日 雑感

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 日曜日の朝、やっとこさ、まとまった時間ができ、貴重の秋の晴れ間を歩きたいので、銀座のヒグチヨウコさんの展覧会を見に行った。そんなに興味がなかったが、たまたま最終日だし、猫にひかれたのだ。行ってみたら、やっぱり、そんなに興味がわかない。興味がないけど、感心しないわけではない。動物の変化の絵の怖さ、そして、なぜか暖かい愛らしさ、造形作品もおもしろい。主に展示されている最新作の「ギュスターブくん」の本が、猛烈に読みたくなった。そして、改めて思ったのは、今、現実を生きているアートを見るのは、何かしら、意味がある。自分に必要な栄養なんだなあっと思った。封切りの映画をみるのもそうだけど、今吸っている空気がいちばん大切だなと改めて思った。

 その後、一回入ってみたかった木村屋でサンドウイッチを食べた。味と比べてお値段は安いんだけど、普通のコーヒーで400円ましなのは参った。なら、最初からセットの値段を表示してほしい。サンドウイッチはよかったので相応の対価を払いたい。その後、リニューアルされた文具の伊東屋に行ったが、やはり、がっかりした。事務用の消しゴムの多様さとか、中東製とかのちょこっと仕入れてきたカードとか、ムダだけど面白いものがなくなっていた。やたら小綺麗になっていたけど、スカスカだ。銀座なんだから、他で買ってよってことなんだろうけど、店の色がなくなった。どちらも変な風に捻じ曲がっている、これが不景気ということなんだろうか。

 せっかく、わざわざ東京に来たので、帰る途中のダリ展に寄ってみた。行こうと思っていたが、どうも面白くなさそうって迷っていたのだ。教科書のダリをみて、つまんないって言った時、オレには発想もできない偉そうに言うなって、父が言ったのを思い出し、初めて見に行った。深く感じたいので、展覧会は、ハシゴしないのだが、きっと今行かないと、永遠に行かないような気がした。

 見た感じは、かつてシュタイナーの建築の展示を見た時と同じだ。その発想を始めた人としてはすごいし、面白いけれど、たぶん、この発想を消化して、より私の現実をえぐるものは見ているなっと思った。代表作が来ていないのもあるかもしれないけど。もう一つは、パリに行くまでは平凡な画家だったのだなっということ、藤田嗣治のときも思ったのだが、あのころのパリの切磋琢磨とはすごいものだのだ。才能って磨かれないと独自のものが現れないのだと感じた。そして、展覧会で感心したのは、原爆にヒントを得た、赤い記号が強烈な絵だった。しかし、そんなに評価されている置き方ではないなあ、見方がへんなのかなあと思った。しかしですよ、その夜の横尾忠則さんが、ほぼ同じ感想を日曜美術館で語っているのに驚いた。三日前に映画をみたあと見つけた、横尾忠則の「死なないつもり」というエッセイを電車で読んでいたので、見方を洗脳されたのだろうか。テレビの予告編をどっかで見てて、頭の隅っこに残っているっていうこともあるなあ。これは人がいいと思うこと、世間がいいと思うことに惑わされるな。自分の感覚を大切にということかなとも思う。最近、そういうことがあって、ずいぶん救われたなって思うことがあった。なんか、猛烈に自分にもぐるような奇妙な日だった。ほんといい青空の日だったし。

ギュスターヴくん (MOEのえほん)

 

 

よしながふみ「大奥」とトランプ

 ドナルド・トランプのニュースを見ていて、支持者の女性が、彼の女性スキャンダルを評して、「あれは仲間内でエロいはなしをしている男の子なんだから。」って言ってたのを聞いて、女の敵は女じゃなと笑ってしまった。男は、複数の女性とつきあうべきだっていうのは、社会が作った幻想だとは薄々感じていたが、そこをすとんとお腹に落としてくれたのが、よしながふみの「大奥」だった。大奥は幼い時から女性をあてがわれ、複数の女性と付き合うのをよしとする。乳幼児死亡率が高い時代に、幕府といういろんな人を支える頂点を守るために作られた制度である。

 それを女性と置き換えると、華麗な大奥をつくった綱吉も単なる病気とされるニンフォマニアになる。産む性である女性の心身を痛める行為だからだ。そして、相手の男性が女性と同じように子供をつくる道具にされ、心を無視されたと傷つく。それに対して、読者の私は気の毒だと思ったけれど、つよいひっかかりがあった。そこで、女性は、それが当たり前だと思い込まされていたことにやっと気がついた。だいたい、こんなことを男は許すだろうか、許さない。そこをついてるのがこの漫画のおもしろいところだ。そして、入れ替えることで男性が多数の女性と付き合うことも病的であり、強いられたことだと気付き愕然とした。だいたい、母親がわりの女性が、平和を守るためにそれを進めるのだよね。しかし、女性が男らしさを取り込むことが善であるなら、そういった負の部分を取り込んでしまう。こういった現代女性いますね。そういったひとがトランプのそばにたくさんいる。

 たくさんの子供を残すのはよいこと、よいことは周りも褒めるし、自分もみたされる。それゆえに陥ることなんだろう。だから、男たちは、複数の女性にちょっかいをだすドナルド・トランプは男のあこがれだと本人に思い込ませる。そうして、男の子はエッチなもんなんだ。それを許し、はぐらかすのがかっこいい女なんだ。そういったことに麻痺した女性に囲まれて、男性は、自分のきっとしんどいことでもある行為を肯定することを取り込む。だから、たまに拒否されると暴言を吐いてきたんだな。

 むかし、血縁関係で自分たちを守ってきたころ、自分の子孫をのこすことが生き延びるすべだったと思い込もうとしていた。それで起こった争いにうんざりして、文明は進んだのではないか、でも、貧しくみじめになると、ここ百年ほどのことなんか、簡単にすっ飛ばされるのだなあ。相変わらずの昔ながらの男らしさが復活する。

 うん、こんなとんちんかんなことを書くのは、すごく暴力的なおとこに困って、つらいっていったとき、仲間でいた人から同じようなことを聞いたんだよな。「あの人は口が悪いけど、いいひとなのよ。私たちを助けてくれるんだから」でも、やっぱり、弱虫でも、口の悪い人と一緒にいたくないんだよな。そして、今回は、そんなことを我慢している人がありふれていること、そして、それを当たり前と思わないことを思い出させてくれるんだ。

大奥 5 (ジェッツコミックス)

 

 

映画「永い言い訳」はこたえる

永い言い訳 (文春文庫)

 この映画はこたえました。まず、話しは、交通事故からはじまります。じつは、私、夫が仕事に逃げて、子育てが煮詰まったとき、こどもふたりと車に乗っているとき、車線をはみだして、相手の車を大破させさせたことがあることを思い出しました。幸い、用心深い夫が保険を配慮してくれたおかげで、相手さんは、無事、新車に替えれたのですが、その場所で、真っ暗な夜、知らない道で、こっちが悪いので、泣きながら平謝りしたのを覚えています。今思うと、遠くを長時間運転して、疲れてふらふらだったし、子連れだったので、そんなにぺこぺこしなくても良かったのですが。自分の車も前が大破してたしね。だから、冒頭、主人公の妻とその友人が交通事故で亡くなり、そして、友人が思春期に入る前と、小学入学直前っていうこどもがいるっていうのはゾッとしましたね。難しい時期なんです。こどもが思春期になると親も精神的に不安定になります。子供が大人になるエネルギーって物凄くて、まわりの支えの弱い親だとおかしくなってしまうのです。ひとによったら中年クライシスと重なるひとも多い。本ですが、医学的にも42歳ごろは、本来の人間の寿命で死にやすいという研究を見たことあります。

 だから、この時期、病気したり、浮気したり、失踪したり、最悪亡くなっちゃう人もけっこう見ました。この話は、下の子は5歳ぐらいで、共稼ぎでもよくいう、小一の壁っていうも重なっているしね。逃避したくなるですよ。この設定だと。だから、危ない深夜スキーバスなんか乗っちゃう。西川美和さん、子育てしてる人、よく観察してるな。

 その奥さんのともだちの夫、書けなくなって妻に当たり散らしている、本木雅弘演じる作家さんが主人公です。彼の奥さんも、繊細でみえっぱりで、一人で生きていけない夫をぶん投げたかったようですね。そんな男が、生き残った友人の夫とこどもたちと関わることで、妻との愛を再確認するそんな物語です。

 時間をかけての撮影で、子役の子が思春期になって混乱している経過も見えるように撮っていて、身につまされました。妻に去られて自堕落な生活をしてる夫が、叱り倒すが、反抗されるシーンがあったけど、同じようなこと、うちにもありました。西川美和さんは、深夜の我が家見てたんじゃないか、ゾーッとしました。その後、主人公が反抗している息子をさとすのですが、親としてダメなのは、残された父本人が、いちばんわかっているってことばで、救われました。あのころ、こどもたちに、誰か何か言って欲しかったなあ。でも、私自身は、あの事故のとき、車の修理を頼んだディーラーさん、現場検証の警察のひとに優しいことばをかけてもらいました。この映画は、今の、社会の手がうすい世の中で、子育てしているひとは、なにかしら、共感ができるはなしではあります。親が全てでありすぎるってつらいです。生身ですから。そんな体験を共有することになった主人公は、少しづつ変わっていきます。他者の意味がわかってくるのですね。

 このなかで「子育ては免罪符」ということばで、親であるひとのずるさをきちんと描いていてすごいなって思いました。そして、遺伝子の運び手である子供とかかわることの義務をのがれている主人公を、きちんとさいなんでいるのも怖い。そんな、人の無意識を多重的に覗いているのが、この人の映画の面白さかなって思います。なんつうか、理系的なんですね。でも、救いはあるのです。主人公をささえるために、妻が友人一家と支えあっていたこと、そして、その支えを、死をもって彼に示したことが、ずっしりと伝わってきて泣けてきます。

nagai-iiwake.com

静かなでゆたかなほの暗さ 能町みね子

 私にとって、能町みね子タモリ周辺にいるちょっと不思議な人ぐらいの感じだった。オールナイトニッポンでラジオをやっているのは知っていたけど、夜更かしは苦手なので聞いたことがなかった。いいなっと思ったのはWEBのかたすみにあった「お家賃なんですけど」からだ。彼女が古ぼけた風呂なしのアパートに住んだ体験を小説としてまとめた本だ。しごとをやめたころに住んだ思い出の場所だった。性転換の途中、銭湯にかようのがだめで一度出たらしいが、大家の加寿子さんなるひとは、女性になったあとも、再び、こころよく間借りを許してくれたらしい。東京の都会の懐ぶかさを感じさせるはなしである。

お家賃ですけど (文春文庫)

 そんな、実は過酷な体験をまじえながら、アパートでの暮らしを淡々とえがいていく。とても詩的で、あきらめがたちこめる文章で、唸ってしまった。今、よみおわった、北国への想いを綴った「逃北」によると忘れ去られた詩人、尾形亀之助の文章に影響をうけているそうです。尾形は宮沢賢治の「オッペルと象」を載せた「月曜」という冊子をだしてたらしい。そういった詩を感じさせる文章は好みなのだ。他の旅行記でもそうだけど、私と行っているところが、けっこう重なっているのも、なんか嬉しくて読んでいる。知らない住宅地あるくのって好きなんだな。普通のカッコしてると、普通に道を聞かれるのが楽しい。じつは寄る辺ない気分を秘めてるひとって結構いて、そういうひとに、この人の文章は受けてるのであろう。そのあと、「オカマだけどOLやっています」を読んだ。そういえば、そのころ、オカマのひともふつうの会社に勤められるらしいとうっすらと聞いたことがあったなあ。世の中も進んだなあとか、じつは結構そういうひといるのかなって思った。その体験を、この本は、いかにして自分を肯定して、そして戦かったかを描いていて読み応えあります。なんというか、静かなで湿っとした文章で、好きであります。

 

 

 

生者と死者と「君の名は」新海誠

【映画パンフレット】 君の名は。

 とうとう新海誠の「君の名は」見に行ってしまいました。彼は私とおなじ国文科出身だそうで、古今和歌集小野小町の「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを 」と院政期の「とりかえばや」ヒントにしたと、町山智浩さんの「映画ムダ話」で聞き、ついつい好奇心に負けて見に行ってきました。冒頭、高校の授業の「他は誰」他者と自分の境が曖昧になる時間、それを古語で「たそがれ」といい、死者とも出逢う時間との説明があり、懐かしかった。私もこのはなし好きで、オカルトにつうじるところがあって、古典を勉強したいというきっかけのひとつだったように思います。これがわかるかどうか、うまく説明されていたかが、古典が面白いと感じる境目のひとつかなと思います。私はすすんで国文科にいったのですが、同級生はつまんなかったという人多いです。まあ、偏差値の低い大学で、行くこと以外に興味なかったから。だからこそ、自分なりに選んで少しでも好きなことが勉強できる学部に入ったんですが。どうせ、ばかな女の子なら英文でしょって、まわりに笑われたりしました。

 私は義太夫とかをふんだんに聞く年寄りに囲まれて育ったので、授業が楽しめた方だと思います。古典って車の運転を習うのに似てて、脳の使わないところを訓練しなくてはわからないところがあります。歌舞伎は最後まで観れるようになったけど、文楽からは文意がわかっても必ず眠ってしまいます。感覚的に楽しめないです。黒澤明の世代のひとまでは少し頑張れば、能も楽しめたみたいですが。やっと、最近、年をとって和歌やら俳句がわかってきました。経験者によると、死者に近づくとわかる、そういうもんらしいです。まあ、わかってどうなんだって思うけど、へんな欲があるんです。亡くなったひとたちに褒めて欲しいんです。先祖供養というか、松尾芭蕉にもそれがあって、旅をしていたみたいですね。古典の基礎の和歌のせかいは宗教と深い関係があって、それは生者と死者、夢とうつつ、自然と人間、男と女っていうことが底にあって、私はなぜ自分がここに存在してるか知りたいという欲求を求めるのにいいツールだと思います。日本を知る、先祖を知る道標になるような。

 新海誠はどうやら、自然に囲まれ、先祖供養や多神教が日常に残っている田舎で育って、和歌やなんかが感覚的に分かり、自然と一体感をかんじる力があるようですね。そして、それを表現できて共感をよぶ稀有な才能があるのかな。むかし、ジブリの番組でアニメーターが、絵やまんがから学んで、自然を体感して絵が描けるひとが少なくなって困っているということを、鈴木プロデューサーが嘆いてました。アニメの背景にリアルさがかけ、深さが出ないそうです。特に男がだめで、女性ばっかり採用しているそうでした。

 そういった自然を凝視した表現を武器に、ポケモンとかの多神教的な価値観を背景にしたアニメやゲームの伝統をフルにつかうって鉄板かなと思います。意外に西洋のひとの奥にもストーンヘイジとか、そんなオカルトな気分が残ってますもんね。出てくる山の上の巨石を拝むって意外にあって、私のばあちゃんたち、身内が死ぬと山に登っておにぎりを転がしに行ってました。今でもやってるのかな。でも、東京なんかでも、実はそういった場所が残っていて、ラストはそういった場所で終わるのは、私にはリアルでした。町山さんが、新海誠は、電車ですれ違うことが多いと語っていましたけど、電車って運命を運ぶ場所だと、私は思っています。受け身で、閉鎖されてて、自分で選べない。でも、それを楽しむっていうのが鉄道好きではないでしょうか。でも、そこからはずれた場所でこそ、ありえないことと廻り逢えると、なんとなく、みんな思っているのではないだろうか。電車を止める自殺がはやっているのも、なんか関係ありそうですね。たぶん、街でそういった場が見えなくなっているのでしょう。そういった場を求めるひと、江ノ島神社に、カギの絵馬を奉納するタイプのカップルとかが、この映画を見に行っている気もします。

 今まで、新海誠は都会のせいかつへの強烈なあこがれや、とっぴびょうしもない宇宙とかでてきてたんですけど、閉塞感と偏見の多い田舎にかつてあった日常とが、同じように扱われるようになって、すごくわかりやすいなって思いました。だいたい、みんなそんな感じで生きてるんじゃないかな。

 

 
 

福山雅治ってどうよ。映画「SCOOP!」を見る

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  福山雅治のドラマや映画は見たことがなかった。私の見る種類じゃないかったからだ。キラキラした男前を愛でるのは苦手だ、私はやぼなのだ。しかし、日本の芸能界でも、特別なひとだと思う。大河ドラマは見た。幕末のモテ男龍馬に似合っていたから、楽しかったな。福山雅治を崩した是枝監督の「そして父になる」で、はじめて映画で見る気になってしまった。男前が崩れるのが見たいなって、いじわるですよね。そして、今回のパパラッチを演じた「SCOOP」も見に行っちゃいました。

 話を福山雅治リリーフランキーとのふだんの関係性を使って、それで構成してるのをみてると、大根監督は、是枝監督を意識しちゃてるなった思った。福山雅治は女にもてるし、男にももてる。男同志でわちゃわちゃして、下ネタだらけのラジオを放送していた。どちらかというと、恋愛から結婚という女の人との密室を好むひとではない。ほぼお見合いで結婚したのはわかるな。例えるなって言われそうだけど、元ソフトバンクの川崎選手なんかそうだ。チームプレイのひとなのだ。

 そんな福山雅治の持ってる色っぽさを、全面的に押し出したのが映画「SCOOP!」だと思う。話はそれるが、写真家志望の女性が主人公の「キャロル」をパクったんじゃないと思うストーリーもでてきますな。そういうしゃれのめすところを見てると、大根仁は、東京の坩堝にそだった江戸っ子だなあと思う。

 福山雅治もかっこいいけど、今回、二階堂ふみ、すごく可愛くて綺麗だった。おきゃんで色っぽかった。彼女、健康的な逞しさがあるんだよな。東京の風景として出てくる女性たちが、みんな色っぽくとられて、艶っぽい画面だった。だいたい、パパラッチされる女の人の下着、あんなにエッチだと訴えられるんじゃないか。そんな風景のなか、報道の意味が問われて、人に伝えることのたいせつさを、福山雅治演じるパパラッチから、新人記者、二階堂ふみがが学んでいくバディムービーでもあった。

scoop-movie.jp

ドラマ「夏目漱石の妻」明治の新しい夫婦

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 長谷川博己尾野真千子漱石夫妻を演じる、ドラマ「夏目漱石の妻」を楽しみにしている。ご子孫も遠くなったし、世の中の感じ方も変わったしで、夏目漱石の生い立ちとその精神的苦悩、そして家族へのDV描写までも描かれていて、色々と考えさせられる。池端俊策の脚本は、その背景のふかい部分まで迫っていてみごたえがある。でも、しっかりユーモアがあって、おしゃれなドラマに仕上がっている。池端さんは尾野真千子がご贔屓らしく、足尾銅山がらみのドラマも力作だった。

 今回は、漱石の狂気をマンガチックに怪演している長谷川博己の受けだからか、抑えめの感情表現なのが心地いい。ここんとこ、力の入りすぎる演技が浮くのが気になっていた。最近のオノマチのなかで一番好きかな。しかし、漱石の不安定さは、ひどかったのだな。幼児期にいろいろあったひとは恐怖と共にいるので苦しかっただろう。江戸時代だったら粗末にされる、名家の次男三男が、明治になって学問をすることによって、一家を持てて、お金や地位を得ることができた。そのがんばりの反動で、精神的に不安定になるひとは多かっただろう。漱石夫妻は、そういった家族に縁がうすい男性が、西洋の影響を受けて作る家庭の、ひとつのサンプルだと思う。悪妻って、漱石の周りのひとは言ってたそうだけど、きちんとものをいって戦っていたからだ。なんとなく泣き寝入りをして、めそめそしたり、母親きどりだったりで、男に都合のいい女の人にされたのが大半だったんじゃないか。だからこそ、漱石の苦悩もきつくなったかもしれないけど、あれだけの小説も書けたんじゃないかな。

 池端脚本で、鏡子夫人のお父さんが、困ったひとだったのがわかった。ロンドン留学は、お父さんが熊本にいる夫婦を心配して、無理やり根回しして行かせたのだな。人間関係が悪く嫌われて、熊本にずるずるいそうな漱石をなんとかしたかったのだろうけど、大きなお世話だ。夫婦を引き離して、本格的におかしくしてしまった。娘が心配だからだろうけど、むすめにそばにいてほしい、婿に出世してほしいという甘えがあったのだろう。なんとも自分の都合しか考えないひとだ。たぶん、彼らは、平凡だったろうけど、熊本にいたら、それなりに夫婦の問題を解決したんだろうなと思う。

 それにしても、長谷川博己はへんな俳優さんになった。園子温の「地獄でなぜ悪い」、「ラブ&ピース」見たけど、特に「ラブ&ピース」は無茶苦茶で、どこか狂気を演じるのに吹っ切れた感じがある。西田敏行の気持ち悪さとともにすごかった。背がでかいだけで平凡なこの人には、演じることへの強い欲求がある。

 第3話では、「道草」に描かれている漱石の養父、「坑夫」のモデルになった青年が出てくるらしい。このふたつは、初期のいろんな試みで、漱石らしさを作っていくみちゆきが見えて、面白い小説だ。その背景が描かれるのたのしみだな。確か本木雅弘漱石、鏡子夫人が宮沢りえの、TBSのドラマ「夏目家の食卓」もあった。漱石夫妻は核家族の夫婦の始まりだから、描いてみたい題材のようだ。それを、生命力の強い尾野真千子と怪演も楽しんで演技しちゃう長谷川博己で見れるのって、これからも楽しみだ。

www.nhk.or.jp 再放送もあります。

 


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