oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと、書いています。

川本三郎「成瀬巳喜男 映画の面影」記憶の扉をあけはなす。

  そういえば、是枝裕和監督が推していて見た、成瀬巳喜男の「鶴八鶴次郎」思いもかけず面白かったなあと図書館で借りて読んでみた。戦前の寄席を舞台にしたもので、危なかっしい火をふんだんに使った芸や障碍者がでてくる。男女の中のイメージが強かったので、ちょっとちがうなっていう印象だった。私は見た映画のなかで大阪、天王寺のろおじを舞台にした「めし」が好きだ。ああ、ああいう場所がこどものとき大好きだったな。私は江戸時代から焼け残った似たような場所をさまよった。理想の女性を演じる小津映画の原節子より、古いごはんをかっこむ、この映画のヒロインのほうが、色っぽくて好きだ。これ、舞台の路地がオープンセットだったのは意外だった。幻の過去につみかさなった人間のいとなみへの道だったのね。

 この本の冒頭は淀川長治さんに川本さんがどうですかって言って「びんぼうくさい、きらい」といっているのからはじまる。そうですよね。きれいごとだけではなかったね。でも、わざわざ、編集者時代、インタビューをとっていたりするので認めてはいたんだと途中描かれている。

 読んでみると田中絹代がヒロインの「銀座化粧」の重要な舞台に新富町のてっきん旅館というのがでてくる。この界隈は戦後も焼け残って、江戸のなごりがあったらしい。記憶がよみがえってくる。そうなのだ、小学校に入学前後、お正月、伊豆に旅行したとき、深夜に泊まったのだった。大きい旅館だけど、古くて黴臭くてなんか色っぽいとこだった。風疹かなんかに罹って熱が出た場所だった。 あとで、父があそこは仕事で上京したとき使っていた旅館で、さんざ言い訳していたのを覚えている。祖父が戦前から泊まっていたと聞いたようで、それで記憶のすみにあったのだろう。

 景気のいいときの最後の旅行で、熱がでたり、伊豆の踊子であこがれてえらばれた湯ヶ島温泉のおせちが砂糖の塊みたいで、あまくて不穏な旅だった。この映画については、音楽家大瀧詠一がしらべた詳細なエッセイがあるらしい。そういえば、はっぴえんどの松本隆が音楽にのめりこんだのは、江戸時代からの街並みがオリンピックで壊された世の中への、ぼんやりした違和感だったらしい。

 この映画は2011年のお正月の日本映画チャンネルで、泉麻人さんが戦後すぐの東京の過去を写した映画を紹介したとき見ていた。彼はかつて「テレビ探偵団」という番組でテレビの過去を公平に学問的に紹介してくれてたけど、これ以降、テレビでみていない。ほかに清水宏の「都会の横顔」があった。銀座の雑踏をゲリラロケした実験的な映画だ。「銀座化粧」は江戸の残る風景と水商売をしながら子どもを育ててる、しゃきとした田中絹代がとてもよかった。こういう、しっかりものの役がこの人には似合っていると思う。

 成瀬巳喜男明治維新のとき没落した武士から刺繍職人になった家の人で東京の下町に生まれた。だからか、路地を愛し、江戸の名残のある場所がロケで多いそうだ。よく比べられる小津は大きな商家の出で、高踏的な冷たさがある。なんというか、成瀬は地道さと重層的な意味を感じさせる作風だそうだ。もっと、作品見てみたいな。川本さんがすきな下町の路地を舞台にした、田中絹代が母で香川京子のデビュー作「おかあさん」に特にひかれた。映像のちからで映画の中に歴史というもう一つの映画が見えるような気がすると川本さんは語っている。それは稀有なことに思える。

 

 

成瀬巳喜男 映画の面影 (新潮選書)

成瀬巳喜男 映画の面影 (新潮選書)

 

 

映画「ボヘミアンラブソディ」クィーンをめぐる思いのあれこれ

 

 

II

II

 

 クィーンの「ボヘミアン・ラブソディ」が大ヒットしている。いい映画だし、あれこれ言っても、たいしたファンでない私が語ったところでなんてことない。映画、面白かったって済まそうかっと思ったけど、NHKの「SONGS」で古田新太が語っているのを見て、そうだよなって色々思い出した。

 まず、フレディは気持ち悪かった。そして、みんなこっそりと聞いていたっていうのはあるよなあと思った。好きな楽曲として「フラッシュ・ゴードン」のテーマを上げていたが、面白いけど、いいとは思わない。だいたい、番組はSNSでももっと楽曲ながせ、たいしたマニアじゃないやつの語りはいらんと評判悪かった。たしかに、大泉洋はどうかと思ったけど、言葉足らずの番組だけど、そんなに的は外れたなかったと思う。

 古田新太は若き日、劇団新感線の看板俳優、そのけれん味のあるお芝居はフレディの世界に通づる。私もいいなと思って、劇場映像化された「髑髏城の七人」見ました。滝田洋二郎の「阿修羅城の瞳」も。映画としては評判わるかったけど、市川染五郎宮沢りえの演技はよかったよ。とくに宮沢りえには驚いた。だから、えこひいきもあるかもだけど、クィーンのけれんみのあるわかりやすい励まし、その後ろめたい猥雑さは、彼らに近しくて、とても懐かしい芸能のはだざわりだ。

 今、クィーンは野球場やら、CMなどで当たり前のようにながされ、みんなを励ましているけど、フレディがどんな人で、どんな仲間と、どんな思いで音楽を作っていったか知れない人がほとんどになった。それを語りつくしたのが今回の映画だと思う。 音楽は何よりも雄弁に語りかけているけれど、残ったブライアンやジョンの気持ち、そして、クィーンを聞いてきた人々の思いが、名作まで高めたと思う。

 私はいいかげんなファンだ。だから、映画まではなっと思っていたのだが、先日、映画「カメラを止めるな」を見に行ったとき、隣に一人できてた60代ぐらいの女性に、予告編を「ねえ、クィーンだよね」うれしそうに語りかけられた。そういったことを古い友人に言うと、あんたファンだよって、どうやら、クィーンのカセットを渡したらしい。そんな思いを胸に映画をみた。

 映画の中のフレディの人生は初めて知ったことばかりだ。彼に若い日を共に過ごした女性がいたことも始めて知った。彼がどんな思いを彼女に抱いていたか、そして、彼女は。その切なさを見ててつらかった。そして、彼のセクシャリティについての思いも。あの頃、フレディのでたらめな生活とエイズ感染について、なんだろう、すべてのファンにささげちゃってんだなとまじめすぎるって変な感想を持ったけど、私も知らないなりにわかってたんだなあと思う。彼女を演じた女優さんのインタビューによると、理由はわからないけど、監督のブライアン・シンガーは、彼女のパートを取る前に離脱してたらしい。けど、よく表現できたなあと思う。それだけ、みんなのフレディへの思いが強かったのだろう。

 そういえば、クィーンを紹介してくれたひとに、クィーン、聞いているのって聞いたとき、ロックみたいな下品な音楽は聴かないんだっていわれた。今は上品になってオペラを聞いてると。フレディはオペラが大好きだったみたいだったので、ずれてはいないんだけど。音楽に貴賤はあるのかなって不思議に思った。その人はどんどん忙しくなって、音楽は今ほとんど聞かないらしい。クィーンはそういう心を閉ざしているひとに、何かしらの気づきをあたえる音楽かもしれんね。そういった音楽をずっと大切に抱いている人たちをすごく尊敬する。すごく勇気がいることかもしれない。みんな思い出して、自分をさらけだして、そんな彼らからのメッセージをフレディを見ている人々の映像から感じた。映画はライブエイドに立ち向かうフレディをかこむ猫たち、ライブエイドの映像をみる猫たちが出てくる。生きとし生けるもの祝福だ。フレディの人生は苦難に満ちたものだけど、素晴らしい愛を分かち合った人生でもあったんだなあと思った。

www.foxmovies-jp.com

 

恋愛と生活「ボクたちのBL論」サンキュータツオ 春日太一

 よしながふみを読むようになってから、BLをちらっと読むようになった。今、マンガの世界では一番活気があるジャンルじゃないかな。ドラマチックな歴史解釈がある、よしながふみ、テレビ界のでたらめなお祭り気分を知った「東京心中」、ヤクザの情念に踏み込んだ、ヨネダコウ、すごく自由な分野になってる。で、キモは性愛まで踏み込んだ恋愛の情念の世界でしょう。

 そこを男性として面白がってる、ふたりのけっこう生真面目な討論本。この度、めでたく文庫になって、気になっていた、アニメ「リズと青い鳥」、ドラマ「おっさんずラブ」にまで語っているというので読んでみた。正直、こまかい男性の性への戸惑いとか恋愛感とかわからん、恋愛好きな方々なんだな。あらためて、私はめんどくさがりなんだなと思った。

 ただ、「響け!ユーフォニアム」、「聲の形」でアニメ史に残るなって確信した山田尚子監督の「リズと青い鳥」、ご縁があれば見たいなあと、改めて思ったし。面白かったのは、いま、はやっている「おっさんずラヴ」には乗れんかったっていう話ですね。そこは、二人と一緒かな。そうなんですよね。一度見ましたが、よくはできてる、田中圭はいい役者だなあ。がんばってほしいで終わってしまった。恋愛の楽しいところだけをエンターテイメントした、恋愛ドラマの高度なパロディーなわけで。そういえば、トレンディドラマあかんかったわと改めて思い出した。私は野暮天だ。これはゲイとかは関係ないらしい。その方々も好きか興味ないかに分かれたらしい。

 しかし、私は、情念の世界のドラマチックは大好きなわけで、おすすめされていた水城せとなのBLの傑作「窮鼠はチーズの夢を見る」は読みました。最近、彼女は石原さとみでドラマ化された「失恋ショコラティエ」の作者ですな。これは恐ろしい恋愛ものの狂気の漫画だった。

 この本のなかで水城せとな松本清張の対談が読みたいと春日太一さんが言っていたが納得だ。私も松本清張はけっこう読んだが、彼女もどうしてこんな執念深いストーカーみたいな話なのか、怖くて読んでしまう世界なんですね。

 私はこの漫画は、子供を持ち、家庭を持つという幸せより、情念のファンタジーの世界にとどまる芸術への誘惑、エロスにおぼれるということの覚悟の話にも読めたな。それは語り手のふたりの生き方にも通づることで、アートにたずさわるって、厄介なことだなあと思ったよ。

 

 

 

窮鼠はチーズの夢を見る (フラワーコミックスα)

窮鼠はチーズの夢を見る (フラワーコミックスα)

 

 

フランスは子育てが楽?「フランス人ママ記者、東京で子育てする」

 彼女の夫のじゃんぽーる西さんの子育て漫画はなかなか楽しい。じゃあ、奥さんはどう思ってるんだろう。この本は奥さんのジャーナリスト経験がいかされて、子育てを通して、両国の文化の良さと問題がわかって、色々とヒントがある。 

 まず、夫との出会いが、彼女が漫画の歴史を紹介した「Histoire du Manga」だったというのが面白い。なぜ、フランス人は日本の漫画が好きか。それはフランスに足りないものがあるからだ。かつて幼児番組の会社につとめていた彼女が、なぜ、子どもをもてなかったかということも、そこなんだろうなと思う。

 フランスは、日本では100万ちかくになる検診費、出産がほぼタダになるらしい。お金って大切ですね。だからこそ、出生率がたかい。日本のお産は、いまだ現金を安いところでも20万を先払いして、やっと補助金がおりる。

 法律で検診の回数は多く指定されているけど、まあ、10分間医療だ。フランスはきめ細かいカウンセリングがある。仕事もかなり配慮されていて、マタハラで失業って、ほぼないらしい。

 しかしですね。こどもにやさしいかというとどうかな。バスにのれば、じゃまっていわれるし、町におむつを替えるところはほぼ、ないそうだ。保育園はたらない。半分以上が保育ママが手伝っている。その質はといえば。働くのが当たり前だから、親子の関係もうすい。親族で子育てを助け合うことが薄れているので、夫婦の負担が重い。それで関係が破綻ってめずらしくないらしい。婚姻関係がゆるくなっていて、パートナーが変わるなんていうことも当たり前で、こどもにはきつい。自分は自分、ひとはひとの個人主義がわるく働いていることも多いためだ。子供を持たないからっていわれないけど、めんどくさいから子供に冷たいっていうのもかんたんなのだ。

 まあ、カリンさんは、都内の恵まれた地区で子育てしているので、だいぶ、日本では得はしていると思うが。たくさんの子供が生まれているが、格差があたりまえで、年に15万人が16歳までの義務教育を中学中退で放棄するってめまいがする。そういうことをふせぐために公教育がすすんだろうに。そういった社会不安は、敏感なひとにはたまらないだろうな。恵まれた地域はとてもせまいようだ。はずれると、子供のいじめとか、きつそうだ。もちろん、日本の少子化の原因、同調性の過剰さだが、それがよい部分で反映した犯罪率の低さ、また、ミックスの子供への差別へのひどさにも言及していて、さすが観察力が鋭いって思う。

 さて、なぜ、フランス人は日本の漫画が好きか。そこにはフランスにたりなくて、日本に過剰なものがある。そこがこの本の面白いとこだ。 

フランス人ママ記者、東京で子育てする

フランス人ママ記者、東京で子育てする

 

 

遠藤周作「留学」

 

遠藤周作文学全集〈第2巻〉長篇小説(2)

遠藤周作文学全集〈第2巻〉長篇小説(2)

だなと思った。 

 

 遠藤周作は、かつてネスカフェゴールドブレンドのCMから読むようになったから、狐狸庵先生のイメージがつよい。面白いエッセイをさかんに読んだけど、真面目な人が無理している感じが独特だなっと思っていた。だから、今回、全集で180㎝の立派な体格な人と知って、ちょっと驚いている。ふつうはいじめられっ子ではないはずだ。横浜の近代文学館の展示で、公に書くきれいな字とプライベートの手紙のくずれた字の格差に、抑圧がひどい人なんだなってうっすらと感じたが。

 この小説で、大学講師時代の彼がマルキ・ド・サドの研究をしていたの知って、びっくりした。きっかけは、中で描いてるように、だれもやっていないことを求めてなんだろうけど。私が、彼の小説を読むようになったわけもそんなもんだしな。しかし、なぜにそれに執着するか、そう、それが問題ですね。そこには何かしら強く響くものがあるからだ。遠藤は、留学でその研究に熱中して、わずらっていた結核が悪化して、命にかかわる長期入院をしいられた。

 その体験を複合的にまとめたのが、この小説「留学」だ。そこには、カトリック信仰の狂信性とつよい人種差別が描かれている。そして、その他の地域の人々のルネッサンス以降の欧米の化学的な成功による豊かな生活への渇望を。そして、カトリックの抑圧に伴う、変態性への誘惑も。

 拷問をえがいた「沈黙」が、マーティン・スコセッシにあんなにもにひかれたわけだ。考えてみれば、前作は乱痴気騒ぎをえがいた「ウルフ・オヴ・ストリート」ですよね。こちらの映画はヘタレな私は見てないけど、評価の高い作品でお客さんもたくさんはいった。彼は善良な映画オタクだが、ひどい麻薬中毒だったことでも有名だ。

 「沈黙」の前作である「留学」は、構成が複雑だ。遠藤が分裂したらしい登場人物たち、キリシタン時代の初めての留学生の記述、そして、サド研究の体験、いろんな要素が混とんとしている。けっして、成功した作品とはいえない。けれど、描かなければいけない小説なんだなと思った。

 しかし、作家は小説のなかでは、そう、うそはいえないんだな。彼に洗礼をうながした、上智大学の教授でもあった宣教師は、秘書とできて信仰を捨てたらしい。それまでには、遠藤一家とのめんどくさい葛藤もあったようだ。「沈黙」はその事件をふまえ、歴史的な西洋と日本とのかかわりの原点にもどって、人間のややこしさを描いた小説だったんだなあと思う。それを作品に昇華するのに、命の危険と長い年月が必要だったのだ。そして、島国である日本の私たち、遠藤も悩んだ、常に新しいことはは海のむこうからやってくるが、それを同化して生きていくという、私たちの生き方の精神の課題があるのだなと思った。

信じる中野翠「あのころ、早稲田で」

 図書館で 中野翠さんの書下ろしあるなって、でも、学生運動盛んなときの早稲田の青春なんて、私にかけ離れているなと思っていた。とのぞいてみたら、原民喜と友人の丸岡明一家が住んでいたアパートにいた子供が学生運動に参加するような青年に育ったが、若くして命を絶ったとあり驚いた。けれど、もともと、あの運動の思想的背景は彼がおおく執筆していた「近代文学」が関係しているらしい。

 「近代文学」は原の義弟、佐々木基一、中野さんがあこがれた早稲田教授の平野謙、そして、思想的リーダー埴谷雄高によってつくられていた。彼らは共産党の活動に挫折し、文学上に居場所をもとめたのだ。原民喜は佐々木の姉と結婚することで作家になり、そして、発掘された作家さんなんだと知った。

 ふーんと思った。私は関西で封建的な家に育ったので、学生運動は、ぐれた親不孝と聞かされた。親のすねかじりの頭でっかちやろうという悪口だ。じっさい、京大の運動は徹底的に弾圧されていた。それほどに関西は古い秩序が強かったように思う。戦後、もう、他者をいれる余裕がなかったのだな。今、京大が思想的に弱っているのって、そんなこともあるなっと思っている。

 どちらにしても、下町育ちのわたしにとっては遠いことだ。だから、吉本隆明埴谷雄高の名前を知ったのは大人になって、ずっとあとだ。昔、河合隼雄さんの講演会に行ったとき、見たこともない難しい本が並んでいて、盛んに手に取っていた人たちをみて、私は教養の種類がちがうんやなと、がっかりしたことがある。いい大学もでてないし。そんなこともあって、この本は手にとっていなかった。

 しかし、読んでみて、そんな大多数に知られていなかった運動の実際が、あの連合赤軍につながったんだろうとも思った。彼女が影響を受けた、埴谷雄高吉本隆明の比較があり、面白かったですね。妻に四度も堕胎させた埴谷、仕事を犠牲にしても二人の娘を育て、生活者として生きた吉本、人間的に尊敬できるのは吉本だけど、彼と対談したとき、わざわざ、着ていったコムデギャルソンが似合うののは埴谷だというのは、芸術とか思想とかの美しさと胡散臭さを表していて、的確だなと思った。

 学生運動は世界的におこった大掛かりな親子喧嘩だったと感じる中野さんには同感だし、それは父なる人たちが参加した第二次世界大戦の後遺症なんだなと私は思っている。だから、学生運動がさかんな早稲田にいた村上春樹は、ノモンハン事件を小説にしたんだなと思った。私は戦争の後遺症はたっぷり味わったな。だいたい、父の兄弟たちは左派の政治運動に参加していた。ものすごく、お金が好きな人たちだったんだけどね。うちの父はそれを斜めに見ていた。にもかかわらず、大学職員をしていたころで、学生さんにいじめられる体験があっても、がんばれと語っていた。

 この本は時代を象徴する佐々木マキのイラストで表紙を飾り、ユーモアあふれる語り口で書かれているけど、けっして、軽いものではない。編集者という伴走者をえたからだろうか、彼女の恋愛についても、初めて、さらりと語られている。なぜ、結婚しなかったか、「くわえたばこで皿洗い」をするような人生が送りたかったと。なにかしら、人生のまとめのような本だ。

 子供だった私にとっての60年代は新しい豊かさで、ベルボトムをかっこよくはいた、少し上のいとこが夢中になっていたフォーク、そして、加藤和彦がヒーローだった。中野翠がそういった文化的な方面にながれていったのは自然な流れだったと思う。だいたい、政経学部をめざした中野さんのしらけた気分ってわかる。前時代の親の内面の反映である、大学生の特権意識、女性差別観を引きづっていた運動はたまんないものがあったよ。しかし、彼ら学生たちが支えたあたらしい文化は、とても、かっこよかった。そういった時代の美しい若者の横顔を紹介したこの本は、貴重な証言だと思う。さいごに中野さんは50年ぶりに早稲田を訪れるのだけど、最後に「彼らを信じる」ということばで終わるのがしみてくる。どんな時代も未来をたくす、わかものに幸あれと思いたい。

 

あのころ、早稲田で

あのころ、早稲田で

 

 

 

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詩集を読んでみる「原民喜詩集」

  図書館で読んだ原民喜の「夏の花」を読み返したいと探していたら、2015年に岩波から詩集が出ているのに気がついた。梯久美子さんの本で紹介されていた詩がきちんと読めるのがうれしかったです。遠藤とのいきさつを描いた、小説「永遠のみどり」の木々の緑をモチーフにした詩、 「永遠のみどり」改めて、刺さりました。そして、遺書にかかれた「悲歌」こんなもん贈られたら、作家になるしかないでしょ。遠藤周作

 詩に独自性があり、戦前の作品でも何らかの形で残ったと思われる作家さんですが、原爆小景という一連の詩から死に至るころの詩はとびぬけていて、一へんを読むのが怖い詩もあり、「永遠のみどり」は原爆をうたって詩というだけでない、普遍性があるように思います。この詩集についている、研究者の竹原陽子さんの年譜は、梯さんの本の年譜と違うまとめられ方をしているのはにくいですね。本に省かれていた義弟との関係や、梶山季之ら、広島の文学青年とのかかわり、死後、どう読まれていたかもわかります。1975年に三省堂の教科書に「夏の花」はのせられているのですね。2010年に漫画にもなったみたいで、原民喜は低く底流のように読まれ続けていたのだな。この詩集を読んで、また、詩を読むことについて、考えてさせられました。

 話はそれますが、この頃、詩につよい本やさんに巡り合ったのもあるのですけど、詩集をよく読んでいます。そこで能町みね子さんも関わった、尾形亀之助の詩集を見つけました。私は親族とまずいのですけど、どうしても、会わないければならないとき、ずっと読んでました。

 私が詩の形式につよい作家さんにひかれるのは、東日本震災以後、世の中が不幸を美談で流し込もうとしているからではないかな。今、詩は音楽の歌詞として生き残っているのですが、ことばがダイレクトに入ってくる音がない詩というかたちは、けっしてすたれるものではないと思います。言葉にしたくない思い、できないとき、まだるっこいみたいですど、詩というものはきっと寄り添ってくれると思います。原民喜はそうしたなかで、必要な人に寄り添うために、ひっそりと復活したのだなと感じます。繁栄していようが、不幸であろうが、生きるかなしみというのはつきまとうように思うのです。

原民喜全詩集 (岩波文庫)

原民喜全詩集 (岩波文庫)

 

 

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