oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと、書いています。

日常と非日常と「ツインピークスThe Return」

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 最近、有料テレビwowwowでデビット・リンチの「 ツインピークスThe Return」にはまっている。私が、前シリーズを見てたのは、ドーナツとコーヒーが出てくることからだった。あの甘さに、記憶のスイッチがはいる。多くのアメリカ人もそうかなあ。私は、アメリカ由来の野球や映画が盛んだった、みなと町の神戸の文化圏にルーツがあって、周りのひとが好きだったからだけど、深く、アメリカに骨絡みになっているのだなあと、おどろいている。

 大衆的な無声映画の連続ものの気楽な伝統のストーリーと、彼の記憶のスイッチの妄想と現実がまぜこぜになった独特の世界が、このドラマの楽しさだ。だからこそ、週一で見るのが王道だと思う。

 なんというのかな、放映されるギリギリまで、見てるひとの反応を確かめながら、修正されているのがいい。そして、今が、ものがたりに反映されているのが、たまらないのです。これは、小説とか漫画なんかもいえるけど、今の問題、今のなやみ、今のよろこびを共有されるからこそ、新作は楽しみなんである。そのときが終わってしまうと、その空気は奪われる。そして、古典として、案外、残るのは、そのときの景色を正確に記録したもんなんだろうなと思う。 もちろん、「ツインピークス」は、普遍的な人間のありさまがえがかれているので、今でなくとも、ずっと見れると思う。

 新作の25年後の「ツインピークスThe Return」は、最初、私にとって、でてくる俳優さんが年老いてしまったのもあって、花がなく、ものがたりも複雑になりすぎて、いまいち、乗れなかった。でも、第8回の、1945年にあった、ニューメキシコ州の核実験がでてきたあたりから、ぐっと、ものがたりに入り込めた。人間の悪の結晶である核から、異世界への幻想、そして、異世界にとばされて、悪と善に分裂した主人公のクーパーの行く末が気になってしかたがなくなってしまった。

 回が進むにつれて、悪のクーパーをはじめ、人々のドロドロの残酷な悪行、そして怪物のいる幻想が進んでくる。しかし、そのなか、ほっとするような日常や美しい善意が行われていく。

 特に印象的なのは、異世界から現れた、子供のようなクーパーが、周りの人々をしあわせにしていくエピソードだ。そのチェリーパイがからむ話は、私の中の甘酸っぱい味覚への思い出とともに、私を温めてくれた。この前、銃の乱射事件があったラスベガスが舞台だ。あの虚構でつくられたところでも、しあわせに、そして、モラルを持って生きている人々が、きっといる。そう信じさせてくれた。最新回、15回で、クーパーが生身のひととして復活する。見ていると、あまりに、特別なしあわせが行われるので、いつか、この町を去るのだという予感がした。彼のセリフでは、何事かがなされたあと、異世界に戻るのかもしれない。最終回が楽しみだ。

 この物語は、人間に含まれる、多様な要素がそのまま素直に映像化されているように思う。残酷な、汚らしい描写があるけれど、美しいところも示されて、どこか、生きることの愛を感じるのだ。私のように、このドラマの前作に慰められて、見たいと思うひとは、そう多くはないかもしれない。ドラマに関わった多くのひとが亡くなった。不思議な丸太おばさん、そして、大スター、デビット・ボウイ。年月が過ぎたのだなあと痛切に思う。

 でも、かつてのアイドル女優さんだった裕木奈江の堂々の出演もあり、実力のある若手俳優もたくさん出ている。そして、私は、ZZtopぐらいしかわからないが、アメリカの良質な音楽家のライブが毎回聞けるし、アメリカの美味しい食べ物や自然もたくさん出てくる。なにかしら、必要だと感じるひとは、放映が終わったら、すぐ、DVDでも出ると思うので、見て欲しいと思う。

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「自虐の詩」幸せとか不幸せとか

 この前、映画になった「自虐の詩」を久しぶりに見て、原作を改めて読み直してみた。ヒロインの中谷美紀のベストの演技もあり、堤幸彦の映画としても、良い方なんだと思う。なによりも、東日本大震災直後に見たとき、ヒロインの故郷の風景として、津波が舐めていった海岸線の電車がうつされていて、たまらない気持ちになった。今回、少女のときのふるさとが気仙沼なのに、旅したので気がついたのだ。岬の神社とかが舞台になっている。無くなっている建物も多い。たしかに、この映画が、記録として残っていくだろうと、原作のふしぎな力を感じたりした。

 そして、物語のキモをにぎる人物を女子プロレスラーアジャ・コングが演じてるのもいいのだな。貧乏で苦労したけど、真っ当にどっしり生きてる。こんなに説得力のある配役はない。

 さて、業田良家の「自虐の詩」は最初、ちゃぶ台返しという、かつてのホームドラマのお約束をギャグにして始まる。向田邦子寺内貫太郎一家のような大家族ならともかく、ヤクザっぽいヒモ男が、ブスな女にあたったところで、カタルシスはなく、寒いばかりなんである。ちゃぶ台っていうのは、もう、狭い家にしかないから、貧乏の象徴みたいなもんでもあるからいいのか。

 しかし、漫画は、このどうしようもない男女が、どういう人たちなのか、四コマでさかのぼっていくうち、ささやかだけど、ドラマチックな女の物語が展開されていく。そうして、この世に生まれたことを肯定していく。その過程で、女が、しっかりと、大地を踏みしめていくようになるのは、涙が出てくるような嬉しさだ。そうでなく、ダメになって死んでいく人も多いのに。

 下巻に「おぼっちゃまくん」の小林よしのりの解説があるけど、これもいいのよ。「なんじの隣人を愛せ」ということばが浮かんだ。どうしようもない人にも、幸せな瞬間があり、どうしようもない残酷な運命がある。こんど、NHK業田良家の「男の操」を浜野謙太でドラマ化するらしけど、どうにも救いようがない人にも、これだけのドラマがある、そして幸せになるチャンスがあるっていう想像力は、決して色あせてはいけなんだとういうことを、私に彼のまんがは教えてくれるんだな。

 

 

自虐の詩 (上) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)

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「カラフル」原恵一の世界を読み解く2

 さて、「カラフル」は、「風に舞い上がるビニールシート」で直木賞を取った森絵都の児童小説だ。大型書店で、偶然、平積みで置かれていたので、予習した。

 中学生の自殺を真正面から描いて話題になった原作と、アニメのちがいは、母親の不倫のあつかいだ。原作では、夫にほっとかされ、自分の平凡さに耐え切れず、いろんな習い事を渡り歩き、ついに、フラメンコ講師と浮気する。退屈しのぎということだ。こどもには残酷だ。しかし、彼女をふくめた人のいいかげんさが、自殺の原因なので、この原作はリアルなのだ。

 出版直後の森田芳光の実写版では、あっけらかんということで、エッセイストの阿川佐和子が演じていたらしい。原作の父性の影もあったんだと思う。ちなみに、主人公の少年を演じたのは「KAT-TUNE」の田中聖だった。彼も絵が好きだったね。

 アニメでは、嫁という機能でしか認めなかった、介護した亡くなった夫の母との葛藤が原因であると、夫によって語られる。どうなのかな。漠然とした方がリアルだな。個人としての主体を持ちたいという、彼女の切なさはわかりやすくなった。

  アニメは、この母のエゴと息子の葛藤がたべものという形であらわされているのは、うまいなッと思った。対談によると、特にたべものと食事のシーンを大切に、手間をかけて、アニメ化したらしい。たべものを与える、受け取るということは、信頼があってのことで、世界への信頼をなくすと、人は簡単に拒食や過食に陥ってしまう。そして、食卓を囲むことで、その共同体のメンツの気持ちがあらわになってしまう。

 そういった描写をへて、映画では、原作にはない、食卓のシーンに山場が持っていかれる。木下恵介制作のドラマの山田太一脚本を再現したらしい。そういえば、かつてのホームドラマ、食卓のシーンが多かったです。

 ここで持ち出されている家族の提案は、一見、彼を救うように見えるけれど、相変わらず、彼を特別あつかいすることで、家族を固定化しようとする。でも、彼が本音をはき、突破できたのは、初めてできた親友、他者の介入だ。

 彼との関わりは、アニメでは、かなり丁寧に描かれる。それは、過去にあった、近所の路面電車の跡を探検するというかたちだ。たぶん、世界が過去と現在で重層的なことをさぐる冒険ということなんだと思う。原作にもある、「ごめんそうろう」の店の画面も、これから彼が出会うであろう、多くのひと、出来事の象徴でごたごたしている。ともだちとのエピソードの重視は、原作よりも、主人公のこれからが大切にされている。

 信頼をとりもどしたこのシーンを見終わって感じるのは、この食卓は、これから、子供たちが去っていくだろうとの予感だ。家族の形が変わっていく。そして、映画は親友との交流で終わっていく。

 このあたりは、原恵一は、ずっと、親子のことを描き、こどもの立場で描いてきたひとなんだろうなっと思う。今回のことで、監督の初期の代表作「エスパー魔美」、あれは画家であるお父さんのヌードモデルである中学生、魔美が、大人っぽい高畑さんというボーイフレンドに気持ちをうつしていくという話であったなあと思い出した。本作の大人目線な親友って、彼に似ている。

 藤子不二雄Fの漫画には、「しずかちゃんの入浴」といった、子供っぽい残酷なエロがある。そのなかで「エスパー魔美」は、親にとっての特別な存在で、境界線があいまいな関係が変わっていく、それをどう受け入れるかを描いた、パーソナルな異色作だと思っている。魔美は、なぜ、エスパーになったのか、考えてみる必要があるかも。 そんな扱いにくい原作を、高畑さんを強調して、世の中の複雑さをかいまみながら、魔美の日常的な変化をえがくことで、社会化していく、それがあのアニメの面白さだったんだと思う。

 最新作の「百日紅」でも偉大すぎる父、北斎に寄り添う、おえいの精神的な自立が描かれている。おえいのしごとは、ここ30年ほどのあいだに発見された。私が、はじめて、おえいのことを知ったのは、戦前に書かれた「江戸から東京へ」という東京の地誌的な本だった。そのころは、北斎を支えた娘という紹介で、画業については知られていなかった。土俗的な尻尾をまとった家族から、女性の個人をすくいとるのは、最近のことなんだと思う。

 生身の人間である親のことを、こどもは、どうとらえていくか。親はそのことをどう扱っていくか。原恵一監督は「クレヨンしんちゃん」を含めて、ずっと追求しているように思う。次回作が、もうすぐだそうだけど、それはどうなるのかな。もっと違う世界に飛ぶのかな。興味ぶかい。

 町山さんの監督の映像体験へのインタビューを聞きながら、家族の変化の意味、戦前の松竹映画からの家族をえがく流れってなんだろうと、考えさせられた、ひとときでありました。それに私は、なぜこだわっているのかも。

 そういえば、木下監督の最後の作品、「香華」は好色で身勝手な母を嫌う娘の話だったなあとか、女性の主体性と子どもとの関係って、けっこう、今日的なテーマだなあと思ったりした。

  

 

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「カラフル」原恵一の世界を読み解く

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 東京国際映画祭で「クレヨンしんちゃん」の監督のひとり、原恵一の特集があった。彼の「しんちゃん」を離れての映画をなんとなく見続けていた。名監督、木下恵介の戦中を描いた実写である「はじまりのうた」。ちょうど、戦前の傑作「陸軍」みた直後で、加瀬亮がわりと好きなんで行ったのだと思う。「百日紅」も杉浦日向子歴史観が好きだし、北斎の娘おえいのことに興味があった。そして「カラフル」も次男さんがえらく感動していたので、改めて見てみたいと思った。映画評論家の町山智浩さんとの対談があると知って、なんとなく気になる理由がわかるかなっと思って行ってみた。

 見てみると、二子玉川駅二子新地駅あたりが舞台設定なのね。実は落語にひかれて、大山街道を踏破したとき、すごく印象に残っている場所だからだ。なぜならば、大好きな岡本太郎の母、かの子の実家、大貫病院跡は二子新地にあり、太郎のモニュメント公園があるからだ。そこは、神社の裏地の遊郭跡らしいところを歩いた、多摩川堤防沿いにあった。並びには、大きな、さびれた鮎料理をだす料理旅館がある。この場末感があるところが、この映画の重要な舞台となっていた。対談によると、歩いている時間感を再現したらしいので、ちょっとシンクロした。たぶん、二子新地にある大山街道ふるさと館の散歩マップに載っているので、この辺りに住んでる人は、歩かれたひともあると思う。

 大山街道は、山の中から溝の口駅におり、二子新地多摩川の向こう岸の二子玉川のきらびやかな高島屋の裏手の庶民的な商店街を通り、尾根沿いに世田谷の陣屋のあとあたりにいく。溝の口は、町山さんの対談に出てきた、監督が尊敬している脚本家、山田太一の住んでるあたりだ。そして、その道は世田谷陣屋をくだって、「サザエさん」の舞台である桜新町へ続いているのである。他のインタビューだと、監督はサザエさんのファンらしい。古代からの多神教的信仰の場所である大山へのみちに沿って鉄道がひかれている。鉄道って古いみちをなぞっていることが多い。そこを新興住宅がのびていき、新しい家族生活がはじまった。そのモデルケースとして、松竹の家族映画があり、サザエさんがあったのだ。私も世代的に古臭いと思うサザエさんを愛読していた。私の場合は、関西の田舎の文化圏に育ったからだと思っている。そういった私は、核家族って、ちょっとピンとこなかったのである。だから、そういった生活の途中である、世田谷あたりの大家族は、安心感があったのだと思う。

 大山街道は玉川新地から関東の縄文的な山みちに入っていく。岡本太郎がここに根っこがあったのも体感できた。なるほど、ここは都市生活と土俗との境目だったのだ。監督は群馬の出身だそうだけど、私の群馬を旅したイメージは、軽井沢あたりから信州に向かって古代のなごりに吸い込まれている感じだ。ここも電車が古代からの道をなぞり、河岸段丘の崖の墓地の集団を横にとおる。古代の集団墓跡だ。

 諸星大二郎があの辺りにルーツがあるらしいけど、とてつもなく、泥にまつわりつかれるような感じがある。いうなれば、個人が土俗的な集団に埋没させられる恐怖だ。土俗的な集団にしても、家族にしても、個人が埋没させられるのは恐怖だ。その主体性を取り戻す場所が、二子玉川の対岸の二子新地に設定されたのは面白いなあ。

 原恵一のアニメ「カラフル」は原作と随分と改変されていた。それについて、書いてみたい。

続きます。

「アウトレイジ」無常といういこと

 ヤクザ映画なんだけど、「アウトレイジ」シリーズ、三作見てしまった。加瀬亮インテリヤクザとか、三浦友和さんの親分とか。二作目では、新劇出の渋い脇役の塩見三省さんの悪役とか、北野武監督は、見てみたいなと思える演技を引き出してくる。

 今回の映画でも、病み上がりの塩見さんが老残のヤクザを醜く演じてて、嬉しかったなあ。一作目の北村総一朗の親分もだけど、叩き上げで演技力があるから、便利に使われがちの俳優さんに、しっかりと見せ場を作ってくれる。

 「あまちゃん」のインタビューで、田舎の価値がみえるアキちゃんよりも、田舎の金持ちで、縛られているユイちゃんのほうが、きついって言っていて、それを支える演技をと言っていて、しっかり、世の中を見てる俳優さんだと感じた。この役も役者の業だけでなく、生にしがみつく老人の暴力性を客観的に演じてる気がするな。

 ピエール瀧が演じるヤクザが、おこなったあやまちをごまかすために、ビートたけし演じる大友の子分を殺してしまう。無能で理不尽な親分のもと、責任をごまかすために、たかがチンピラだと言い放つ、塩見三省の補佐。これって、最近、政界あたりで聞いたようなセリフ。その辺りがいい。責任をとらないで、組織が崩壊する。世知辛いなあ。前作まではファンタジーぽかったけど、今回の映画はがっつりと日本の現実につながっているのだ。

 そんなごまかしの世界で死の世界からよびだされ、仁義という名のもとで、理不尽な破壊行動をする大友。無常観が、たまらない。

  それで、たった1時間45分の映画なのだ。撮影もどっかのお屋敷を借りて、レクサスなんかを走らせてるだけなんだけど、スーツ姿の男たちが綺麗だし、なによりも映像が美しいのだ。

 

  音楽もいいです。

outrage-movie.jp

 

町の生活がしみじみと「パターソン」

 

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 かつて、アメリカの作家性の高い監督、ジム・ジャームッシュの映画に、永瀬正敏が対等な感じで出演したときは、嬉しかったです。で、改めて、彼が出演するということで、心惹かれて見に行ってきました。

 ニューヨークの近隣、東京からいうと埼玉的な場所に、ニュージャージー州があります。その古い町、パターソンに住んでいるバスの運転手で詩人である、パターソンさんの生活を描いた映画です。古い町並みが残っているけど、活気のある町です。まだ、こんなところ、アメリカにも残っているのですね。綺麗な滝がある公園があって、行ってみたいなあと思いました。尊敬をもって、バスの仕事を通して、町の風景をていねいに描いています。人種も多様で、実際、調べてみると、たとえば、アラブ系の比率が全米で2位ぐらいらしいですね。奥さん役がイランの女優さんなのも納得です。

 主役のアダム・ドライバーは元海兵隊員だったそうで、本人らしい写真がちらっと写ってました。奥さん役のひとも歌や絵画が得意らしい。そういった俳優さんたちの経歴をきちんと織り込んだ、ていねいな脚本、いいなあと思いました。永瀬正敏は話にからむ役ではないとの批評がありましたけど、人生が反映された役だし、素晴らしい英語の発音から、彼の精進が見えて、心地よかったです。

 パターソンはアメリカらしい詩を形作った詩人のひとり、ウィリアム・ウィリアムズが、町の平凡なひととして生活し、活動したところだそうです。その人生を監督の映画人生と響かせた映画で、永瀬正敏もその同志として出演しているのです。

 この映画は、アメリカの詩がわかっていないと、なかなか深くわからないと思うんですが、生活のなかの微妙な喜怒哀楽を感じとっていくことの大切さ、地道な努力のなかで、アートを続けていく意味を、おかしみを含めて描いたんだと思います。

 かわいいブルドックが愛犬役として出てますが、この話の鍵となってるのもいい感じです。

  

guide.travel.co.jp

 なんか、行ってみたくなったので、タイアップされたツアーガイド貼っておきます。ニューヨークからバスで一時間半らしいです。

paterson-movie.com

ゆがんでいてもいい「エル ELLE」

 オランダの映画監督、ポール・ヴァーフォーヴェンの新作「エル ELLE 」見てきました。代表作、ロボコップ、下品な感じがやさぐれて、かっこよかったですね。この新作は、フランスの女優、イザベル・ユペールを主役にした映画です。彼、もう、80才になるのか。わざわざ、このためにフランス語をきちんを勉強したらしいです。ガッツあるなあ。人間っていう矛盾した生き物を面白がって作っていて、今にがつんとあたってくる面白さです。

 あるゲーム会社の社長である一人暮らしの女性が暴行されたがで、始まる話です。でも、彼女は警察を頼れない、あるわけがありました。ここまで、ひどい理由はそうないかな。そんなことがなくても、泣き寝入りが多い犯罪です。

 でも、そこは成功を勝ち取れる、したたかで、知性のある女性、で、結構、主人公がエッという行動に出ます。でも、ゾクゾクするような恐怖もですが、彼女がわかってくると、納得できるはなしなんですね。特に途中でわかっちゃう犯人との関わり、変ですが、ありえないことではないと思わされます。

 それは、長い間、正義や倫理を理由に、いじめるのが本性である人間の部分にさらされて、戦ってきた主人公だからこその行動なんです。どんな人間も美しさとみにくさをもっていると、体ごと知っていった、彼女だからこそだと感じました。だから、さいごに、親友の女性、そして、犯人の妻も、彼女に共感します。

 そんななかで、訳ありの両親をみとり、息子が親になっていく人生の変化もしっかりと描かれているのも渋い。若いとき、なんだか、地味な大女優だった、ユペールが64才で、こんなにエロく、美しく、貫禄のある姿で、現代的な女性として演じ切るのっていいなあと思います。

 

gaga.ne.jp