oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

「源氏物語」物語は、なぜ始まるか。巻5「若紫」転換編

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 「若紫」は母に亡くなられ、父に冷たくされている美少女が登場します。京都郊外の北山の寺にいる少女の愛らしさ、哀れさ、源氏物語の屈指の美しい場面です。それを覗き見る不幸な青年の純情。青春の哀愁です。そして、少女は青年に救い出されます。あまたの少女漫画で描かれた素敵なお兄さんに出会って将来結婚するという話の元祖です。乙女のあこがれでありましょう。

 光源氏は、少女が心の悩みで世話になっている寺の僧の姪だと知ります。僧は富豪で身分の高い青年が引き取ることを喜びます。しかし、なぜか、正面から少女を育てている未亡人の妹の祖母、尼君に、将来、妻にするからって説得しようとします。僧がよかったなっていうぐらいだから、強引にやっていいことなんです。

 若いときは意味がわからなかった。そこを飛ばしてロマンチックに筋を動かしたほうがすきっとします。真面目さを強調しているのでしょうか。それもあります。でも、尼君の断りの場面は理屈っぽくて退屈なんです。田辺聖子版でも橋本治版でもあまたの翻訳でも、ここはきちっと描かれています。なぜか、紫式部が間違った行為だと思っているからですね。だから、自分に言い訳してるんです。

 どうしても、この物語が書きたい。でも、なんか間違っている気がする。女である彼女がゆるせないんです。そこに少女が男のおもちゃにされかねないという、ファンタジーに終われない大人の目線があるのです。まだ、こどもなのに。尼君が亡くなると渡りをつけていた侍女をそそのかし男は少女を盗み取ります。少女はほんとに幸せになったのでしょうか。続きが読みたい。

 そもそも作者がそう思ったのです。そして、はたと、こういうことをしでかした青年はどんな生い立ちなんだろうと知りたくなったんです。なんでこんなことをしたんだと。魅力的な男に思えるが。そして、素敵な恋愛の相手役の記号でしかなかった男の内面を描きたいという欲望が生まれたんです。もちろん、少女の夢をえがいたこの小説は読者に大評判になり、続きをせがまれたんですが。

 それで彼は身分の低い後宮の女性の息子で、天皇に愛された母は女たちの嫉妬で取り殺された。そして、彼は母の面影を求めているという源氏物語の冒頭「桐壺」が書かれました。

 その後、彼は父が探し出した母そっくりの義理の母の皇女「藤壺」に恋して、子供を産ますというとんでもない話に発展します。そして、恋にやぶれて、その姪の少女「紫」を妻にしたとつながってきます。それが、ロマンチックに描かれ、男性にも評判になります。ついには、紫式部は時の権力者の藤原道長の娘の侍女にまで上り詰めます。

 この母を求める話は国文学の世界では「紫のゆかり」といいます。源氏の運命の女性を象徴する花が紫色だからですね。ゆえに作者のあだ名も紫式部なんですが。で、世間の評価では、書かれた時から、母恋い小説だとされていると思います。だから、男たちも感動したんです。でも、作者は女性なんです。父と娘との問題っていう、女には身近な話が背景にあるのです。それが源氏物語を長年研究し、読み込んだ人にはわかってくるんです。だから、尼君との対決の場面が重要になってくるんです。それが私が大学で知った源氏物語の秘密です。では、それについて。

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桐の花です。なつ、咲きます