oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

お題 りんご 『紅玉林檎ジャム』 [第0回]短編小説の集いに参加します

 はてなブログで書かれている、ぜろすけさんの短編小説の集いに参加してみました。


【第0回】短編小説の集いのお知らせと募集要項 - Novel Cluster 's on the Star!

  こんな長い文章を書いたのは、学生時代ぐらいでは、ないでしょうか。小説、書いた事無いので、面白いなと、思って、書いてみました。途中、書くのに飽きてきたり、どっかで読んだような文章の、つぎはぎだなあと、右往左往しながら、書きました。書いてみたら、結構、楽しかった。お題の「りんご」に沿った内容になっているのかな。心配です。

 五年ほど前、青森に旅行に行った体験談を、元に書きました。久しぶりの旅行だったので、強烈な印象があります。それについて、書きたい事が多かったんだなと、改めて思いました。では、どうぞ、読んでみてください。

  

「紅玉林檎ジャム」

 

 友人の恭子が、40歳で、白血病で、亡くなったのは、あっという間だった。白血病って、恭子が、安っぽい二時間ドラマの主人公なったみたいだ、突然、恭子から、電話をもらった、奈津実は、思った。そのとき、恭子は、妙に、のんきで、明るく、「白血病で、故郷の青森の病院に転院するの。」と、病院の廊下から、電話してきた。人々の声が、わんわんと、廊下にこだましているのが、携帯電話の声から、漏れ聞こえてきた。 

 そして、三ヶ月もしないうちに、友達づたいに、訃報が届いた。奈津実は、なんだか、やりきれない気分で、お香典を包んで、送った。そして、暫くして、ぶっきらぼうなはがきが、青森から届いた。恭子の死が、日付とともに、生前のご好意をうんぬんと、印刷された、事務的な台詞で、連絡されていた。差出人は、恭子の一人暮らしの父親のようだった。

 奈津実の独身時代の同僚だった恭子は、東京で、大学を卒業して、地元にもどらず、こちらで、就職した。彼女は、地味で、大人しかったが、粘り強くて、素朴な人だった。いい加減でがさつな奈津実は、事務能力に優れた彼女に、ずいぶんと、仕事で、助けてもらったりした。奈津実が、まるで、仕事から逃げるように、学生時代から付き合っていた、浩平との結婚を決めたあとも、その頼もしさもあって、折々に、交流があった。

 彼女とずいぶんと、長い付き合いなのに、大してお別れもいえずに、死んじゃったなと、奈津実は思った。恭子は、30前まで、銀座近くにあった、大手の会社に勤めたあと、日本橋にある、小さな繊維会社の事務所に、10年ちかく、勤めていた。奈津実の子どもが、小さかったときは、付き合いが薄くなったが、一段落すると、時折、彼女を含めて、かつての同僚仲間と、上野の美術館に行ったりしていた。

 彼女は、仲間の隅で、いつも、静かに笑っていた、というのが、奈津実の印象だ。早く亡くなる人は、影が薄いもんだっていうけど、そんなもんかしらと、奈津実は思った。恭子は、何人かの男性と付き合ったが、なんとはなく、別れてしまっていたようである。三人兄弟の末っ子の彼女は、母親を大学に通っている頃に、亡くし、父親は、青森の家に、一人暮らしらしかった。結婚している兄たちのところにいる、甥、姪のことを「小さいときは、かわいかったけどね。滅多に会わないと、なんだか、つまんないね。」と、薄く笑いながら、奈津実にこぼしていたことがある。それでも、何年かに一度は、ふるさとに帰っていたようである。青森は、桜も林檎も、いっせいに咲いてきれいでね、と、彼女は言っていたが、その季節に帰ったことは、なかったようだった。一人暮らしの父は、気の毒だが、めんどくさい存在だったらしい。

 しかし、地味であるが、頼りがいのある彼女は、コツコツとした事務能力を杖に、都会の波の中、しっかりと、したたかに、生きていたようだ。そんな彼女が、突然、病に倒れ、あっけなく、往ってしまった。どこか、立ち入らせないところが、寂しそうで、ほっとけないところがあった。それで、仲間のひとりして、付き合いが、続いたのかもしれない。「もうちょっとさ、だらしなかったら、よかったのに」そんな、批判を感じながら、忙しさ中で、彼女の記憶は、薄れて行った。

 四月に一人息子が、大学に進学した。息子が、部活だ、彼女だと、親なんか、そっちのけで、ガツガツしているのを見て、夫の浩平は、テレビを前に、丸くなった腹を掻きながら、言った。「連休どっか、いこうか」そう、急にいわれても、奈津実は、思いつかなかった。もう、何年も泊まりがけの旅行なんか、ふたりで、行っていない。

 ふと、なんだか、亡くなった恭子の顔が、浮かんだ。青森の春、見てみたいな、そう思った。「東北、行った事ないから、行ってみたい。弘前の桜なんかどうかな」奈津実は、そう言ってみた。それから、関西出身のふたりは、おっかなびっくり、五月の連休に、弘前のホテルを取ってみた。そうして、弘前城から、ずいぶん離れた市内のビジネスホテルをヤッとこさ、予約できた。

 ふたりが、青森空港に降り立つと、だだっ広い、空港は、冷たい風が、びゅうびゅうと吹いていた。「一週間前、大雪が降ったんですよ。」好奇心丸出しの顔で、レンタカーやの兄ちゃんは、そう言った。大風の中、小さいトヨタビィッツは、ふらふらと、ハンドルを取られながら、三内丸山遺跡に、向かった。

「ここいら、観光地がえらく離れているから、行くとこないよな。鬱陶しいけど、有名なところだから、行っておくか。」と、運転しながら、浩平は言った。できたての、ピカピカの新幹線の線路の脇に、観光バスでいっぱいの、遺跡前の建物があった。建物のスピーカーからは、猥雑で、賑やかな、民謡の音が響き、観光シーズン真っ盛りという感じだった。建物の中は、無機質で、たくさんの人が、ざわざわして、退屈な感じだ。建物の中のトンネルのようなところを抜けると、急に、にぶいグレーの空が、広がった。芝生の上に、小さな藁葺き屋根が、点々と広がっている。芝生の丘から、遠くの青森市内の町並みと、海が見えた。

 ボランティアガイドの初老の男性が、「かつて、この丘の下まで、海があったんです。その交易の場所として、この村ができたんです。」そう、淡々と解説してくれた。丘の下の、水田らしき空き地を見ながら、ほっとした気持ちが、立ち上ってきた。奈津実は、なんだか、なつかしかった。昔は、村があったんだ。人が多くて、にぎやかだったんだなと、思った。

 ふたりは、再現された小屋と、村のまわりにある墓をめぐって歩いていった。それらの墓は、日当りに差があったりする。その当時でも、簡単な身分の差があることが、解説の説明のとおり、感じられた。こんな昔でも、無邪気に、人は生きてるんじゃないんだな。色々ともめごともあったのだと、奈津実には、感じられた。

 それでも、地面に穴を掘られた、小屋の前にたつと、小さな子どもと暮らす親子の親密さが、楽しげに感じられるような、気がした。浩平は、笑って、暗い地面に、しゃがみこんでいた 。「そんな、暗いところで。気持ちが悪いから、ふざけないで、出てきてよ。」死者が住んでいた場所が、急に怖くなった、奈津実は、言った。

 それから、大きな集会所の跡の中に入った。冬は寒いから、皆でいた所らしい。中は、思ったより、堅固で、きっちりした、作りだった。遺跡は、気味が悪いけれど、なんだか、なごやかなで、のんびりとした気配が、していた。広々とした、芝生と、広い空は、気持ちがよかった。「なかなか、思ったより、おもしろかったな。」浩平は、ハンドルを握って、弘前に向かいながら、言った。

 弘前に近づくと、遠くに、桜の花があわあわと、見えてきた。桜と林檎の花が一斉に咲くんだよ。と、恭子は言っていたけど、林檎畑には、花が、全然、見えなかった。大雪が、降ったせいかな、奈津実は思った。残念だな、きっと、又、この季節に来ることはないのに。見えない林檎の花畑を思った。

   夕方、弘前の町に入った。だんだんと、夜のとばりが、広がっていく。ふたりが、車を町の駐車場に止めて、城に近づいていくと、あわあわとした、桜の中で、若い人々のさざめきが、聞こえてくる。街灯や提灯に、灯がともり出した。近づくと、若い男女が、輪になって、芝生に座って、大声で、騒いでいる。遠くから来た、観光客の群れが、お城の堀際から、天守に、綺麗ねと、言いながら、ざわざわと集まっていく。そこかしこに、真っ白く、艶かしい桜が、狂ったように咲き誇っている。賑やかな照明のなか、町のコーヒー店の屋台や、おでんの屋台、透明な水晶を、たくさん売っている店まで、あった。そして、色々な林檎のお菓子の包みが、山盛りになって、売られている、大きな小屋があった。青森は、林檎の国なのだと、つくづく、思わされた。

 浩平と恭子は、ライトアップされた天守を登っていった。夜は、ますます、更けて行く。城の裏手にまで回ると、大きな、お化け屋敷の小屋があった。そこには、おどろおどろしい、死者たちが、恨めしそうに、飾られていた。そして、となりには、サーカスの曲芸の小屋が、毒々しい照明に、照らされていた。入ろうか、浩平は誘った。恭子は、不意に、何かにさらわれるような気がして、足早に、浩平を後ろに従えて、城の出口近くにある、駐車場に向かった。そこには、客待ちのタクシーが、ぼんやり、待っていた。

 照明の暗い、寂れた市内にあるホテルに向かうと、後ろから、城の明かりの光と、人々の嬌声が、わーんと響いた。ふいに、奈津実は、車の中で、恭子の顔を思い出した。恭子は、あの、お城の人ごみに、確かにいた。彼女は、あの桜の中で、見た事もない無邪気な笑顔で、たくさんの人たちの中に、いたような気がした。そして、恭子たちは、生者の声は、聞こえないようだ。あそこは、死者の国と重なっていたのだ。彼女は、故郷に包まれているのだと、思った。弘前城の桜のにぎわいは、まぼろしだ。

 翌日の朝、ホテルの朝バイキングで、お手製の林檎ジャムが、たくさん出されていた。それは、砂糖が控えめで、あっさりとして、美味しかった。ホテルの食堂で、うきうきと、朝食をとる人たちは、陽気そうで、テキパキしていた。昨日の夜の事が、うそのようだった。

 帰りに、少し寄った弘前城は、朝から、桜が満開で、にぎやかだ。たぶん、地元の人であろう、桜色のマフラーやセーターを、誇らしげに、着込んでいる人を何人か、見かけた。そんな、なごやかな、町を後にした。

 帰りの空港のあわただしい中、奈津実は、お土産として売っていた、林檎のジャムを、浩平に、子どものように、ねだった。きっと、恭子も、その両親も、兄弟も、もう大きくなった甥や姪たちも、朝、自家製の林檎ジャムを食べていた気がしたからだ。幸せも不幸も無い、ただ、生きて行くだけだ。そして、見えない死者たちと供に、私たちは生きていくのだ。

 

 てな、感じです。こんなもんでしょうか。 ん、こんなもんのような気がします。