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日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

「源氏物語」物語は、なぜ始まるか。巻7「若菜」陰々滅滅編

 

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 「若菜」では、女三宮という女性が登場します。女三宮は源氏の元天皇の兄の娘です。兄が出家にあったって、有力者である源氏の正妻にという話が持ち上がります。最初はめんどくさいと断っていたのですが、藤壺のめいで美女であるということを知って受け入れます。源氏は幼いときにいっしょにすごした、母に似ているとされる、若いころの藤壺に執着しているわけです。それなので、ついつい、彼女を正妻にしてしまいます。容貌が似てるだけで、これがとんでもない女性でした。

 つまんない人だったんで、早々と源氏にあきられます。すごいのは着物のすそに生理の血がべったりついてても気にしないと書かれていることですね。これでわかるのは、それを注意する母を早く亡くしていたことです。そして、父親にたまにペットのようにかわいがられる。そして、皇女さまだから、侍女たちはかしこまっている。母親がわりになってくれる人もいなかったんですね。これはネグレクトされた人なんだと思います。

 その彼女を頭中将の息子の柏木が恋焦がれます。この人は、この皇女さまと結婚できなかったんで、その姉の女二宮と結婚しました。でも、すごく雑に扱うんです。女二宮も問題があります。愛されなかった女性の娘なんで、すごく、いじけてるんです。でも、おかあさんは大切に育てました。だから、きちっとした人で、愛情豊かなんです。それでも、柏木は気に入らない。なぜか、父に愛されていなかったからです。父である人は天皇で、そして、それは権力を意味するのです。ここで、物語のなかで父なるものと権力がむすびつきます。社会の枠組みは男が作ったものだからですね。これが「若菜」の重要性だと思います。権力に愛されていること、それが自分の存在が認められていることなんですね。紫式部が宮中で見聞きしたことから、社会というものを意識したんだと思います。こういった、おろかな若者がたくさんいたんではないですか。

 さて、柏木は権力者である源氏の妻になった女三宮にますます執着します。ある日、黒猫が彼女の部屋の御簾をあげてしまい、彼女の姿が丸見えになります。そして、柏木は密通を決意します。大和和紀のまんがで猫は印象的ですね。それは女三宮のなかの自然を象徴しているからです。

 侍女たちは嫌われた源氏への執着がないこと、密通した柏木に愛情がわかないことをいぶかしがります。ただただ、叱られることを恐れています。子供のままなので男女の愛情がわからないのですね。それに、彼女にしたら襲われたんですからね。事前のやりとりもなく、だからといって、拒むことも知らない。空蝉や藤壺は必死に二度目はこばんでいるのですから、できないわけではないです。周りも柏木もそうですが、男女関係がレイプに近いかたちで始まることがよくあったと思います。身分のひくい女性が、がまんして取引していく形が多かったのでしょう。皇女さまなんですけど、夫に軽んじられ、周りに訴えることもできない。それに、柏木もまわり気づかないで、なんでもいうことを聞く意志のない人っていう思い込みがあるのでしょう。

 密通が発覚したときの描写が残酷です。源氏の前で男の着物のなごりの帯もかくそうともしないほど、鈍感だったのです。柏木は密通が発覚して源氏に嫌われたこと、女三宮に愛されなかったショックで悶え死にます。紫式部は現実で見聞きしたことから、源氏と藤壺の話を再現したかったんでしょう。

 そして、女三宮に子供ができます。源氏は若き日の自分と藤壺の密通の罪を思います。この辺りは歴史的に父桐壺帝への罪悪感だと解釈されていますが、それだけではないなと思っています。父である源氏の兄の不幸が発端ではないかな。父に愛されず、妻に若くして去られる。社会的には源氏に追い落とされる。だからといって、対等ではない、子である娘たちに気ままにふるまっていいわけはないでしょう。女三宮も若さが対等な男と結婚していたら、それなりに成長していたかもしれません。父なる権力者の妻になったからの悲劇です。

 自分が源氏の母への面影に過ぎなかったと知った、かつての若紫、妻の紫の上は出家して死んでしまいます。源氏は彼女そのものを愛していたことを知って絶望します。腕には出家してさっさと育児放棄した女三宮のこどもが抱かれています。宗教という確とした依存先を見つけた彼女は心おだやかなようですが。しかし、源氏の死で終わった物語はまだまだ終わりません。母恋いの物語が終わり、父なるものを追求した宇治十帖です。

 

 

 

 

 

 

 

 

「源氏物語」物語は、なぜ始まるか。巻6「玉鬘」誘惑編

 

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大学のゼミで主に勉強してたのは「玉鬘」の巻です。なぜか、ゼミの先生がこの巻であることを発見したからですね。でも、実際、この巻は波乱万丈でとても面白い巻でもあるのです。

 ヒロインは物の怪に取り殺された女性夕顔の娘、玉鬘です。ちなみに玉鬘とは美しい長い髪のことだそうです。思いにならない人生を生きる彼女を髪の流れにたとえた歌があるからだそうです。彼女は源氏の友人、頭中将の娘さんなのですが、正妻がこわい頭中将がぐずぐずしているあいだに、侍女で地方役人になった夫を持った人にひきとられ九州でそだちます。そして、たいへんな美女に育った彼女は地元のいやらしい金持ちに結婚をせまられます。忠義心のあつい侍女の夫もなくなっていて、絶体絶命、侍女家族ともども京都に逃げ帰ります。しかし、都のご縁も薄くなった一家は、奈良の長谷寺に救いを求めて参拝する。そこから、話がはじまります。

 この導入の長谷寺の参拝編がすばらしい。長谷寺の参道は、にぎやかで有名でした。古代から交通の要所で宗教上でたいせつな場所でもあります。今はぼたんの寺として有名です。平安の様式をのこした階段状の屋根付きの参道から美しい花々をめでられます。

 平安当時、お堂でお経をとなえながら、何日も雑魚寝して願いを祈願したようです。その真っ暗な男女入り乱れて雑多な中、侍女のひとりが、確か、おトイレに立って、ある人と再会したのです。その人は、源氏に引きとられていた夕顔の侍女でした。彼女も姫君を心配してお参りしていたのです。このあたりの風俗をまじえた描写いいですね。ぐっときます。

 そして、美しい姫君に再会した侍女は、父の頭中将に会わせるために源氏に後ろ盾を頼むのですね。そして、表向きは源氏の娘としてひきとられます。田舎の落ちぶれたお姫様なんて相手にしてくれないからです。

 とにかく、美しい姫君なので源氏はわくわくします。苦労をしたひとですから聡明です。明るい人柄もすばらしい。侍女はあんなすてきな夕顔さまが生きていたら、源氏の妻のひとりとして大切にされていた、ましてこんなに美しい娘さんなんだからと源氏をそそのかします。りっぱな父として仮想している娘は、その立場がつらくて辛くてたまらない。源氏の娘なので求婚者もどんどん寄ってくる。いつ、ほんとの父に会わせてくれるのだろう。そこのやりとりが滑稽でたまらないです。

 娘扱いだから求婚者とちがい、美しい姿は見放題です。そして、ある晩の暗闇のなか、源氏は後ろから玉鬘を抱きすくめます。そのとき、はっとします。骨格が夕顔とそっくりなのです。母と違い、かっきりとした美女なのですが、体は似ているのです。夕顔との情事を思い出すのです。

 ゼミの先生はこのところを何度も説明していました。紫式部はほんとにすごいと。母の若いときに娘は似てくる。それは妻の若いときを思い出させる。私はは娘がいるから、そのどきっとすることがわかる。女である紫式部はなぜわかるんだ。中年期の父と娘の関係にあることらしいです。それは中年期の男におこる若さへの執着が底にあるのではないかなと、今の私は思います。若い日に愛した妻への情熱です。先生は人生をかけて、そのことを発見した。たったそれだけって思いますか。以前に書いた通り、研究とは人々の知の集合知なのです。なぜ、ストーリーが行ったり来たりするのか。源氏の人柄が一定ではないのはなぜか。この物語は小説というもののできていく過程であるのがなぜか。

 そこで母恋いの物語に隠されていた父と娘の関係が浮かび上がってきます。母に似た女性と結婚する。そして、妻に似た娘に執着する。どちらの関係にも生身の人間では満たされない思いがあります。

 この中年期の男のまなざしが、あたらしい悲劇を生みだします。「若菜」上下の巻です。玉鬘はコメディですが、若菜は痛切な悲劇です。ゼミの先生は若菜がわかったら、源氏物語がわかるんだとおっしゃってました。で、若菜の巻へ。

 その前に蛇足ですが、玉鬘のその後を記しておきます。源氏が怖くなった玉鬘は実の父に会うことを直訴します。このあたりが人生を切り開く勇気のある玉鬘のいいところです。ほかの源氏研究の先生も玉鬘が大好きでした。女子大生にあらまほしき人物像ですね。そして、ふたりの父のつてを使って、宮中にあがって天皇の侍女になります。ですが、ひげ黒というごっついおっさんと結婚してしまいます。結局、パパ的なしたたかな人につかまるのですね。ほんと紫式部は底意地が悪い。苦労を切り抜けていくのが持ち味のヒロインなんで物語的には正しいんですが。子育てが終わったら宮中に再就職するとこなんかも、女子大好みですね。

 若菜は陰気で不気味な女三宮の物語です。続く。

 

「源氏物語」物語は、なぜ始まるか。巻5「若紫」転換編

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 「若紫」は母に亡くなられ、父に冷たくされている美少女が登場します。京都郊外の北山の寺にいる少女の愛らしさ、哀れさ、源氏物語の屈指の美しい場面です。それを覗き見る不幸な青年の純情。青春の哀愁です。そして、少女は青年に救い出されます。あまたの少女漫画で描かれた素敵なお兄さんに出会って将来結婚するという話の元祖です。乙女のあこがれでありましょう。

 光源氏は、少女が心の悩みで世話になっている寺の僧の姪だと知ります。僧は富豪で身分の高い青年が引き取ることを喜びます。しかし、なぜか、正面から少女を育てている未亡人の妹の祖母、尼君に、将来、妻にするからって説得しようとします。僧がよかったなっていうぐらいだから、強引にやっていいことなんです。

 若いときは意味がわからなかった。そこを飛ばしてロマンチックに筋を動かしたほうがすきっとします。真面目さを強調しているのでしょうか。それもあります。でも、尼君の断りの場面は理屈っぽくて退屈なんです。田辺聖子版でも橋本治版でもあまたの翻訳でも、ここはきちっと描かれています。なぜか、紫式部が間違った行為だと思っているからですね。だから、自分に言い訳してるんです。

 どうしても、この物語が書きたい。でも、なんか間違っている気がする。女である彼女がゆるせないんです。そこに少女が男のおもちゃにされかねないという、ファンタジーに終われない大人の目線があるのです。まだ、こどもなのに。尼君が亡くなると渡りをつけていた侍女をそそのかし男は少女を盗み取ります。少女はほんとに幸せになったのでしょうか。続きが読みたい。

 そもそも作者がそう思ったのです。そして、はたと、こういうことをしでかした青年はどんな生い立ちなんだろうと知りたくなったんです。なんでこんなことをしたんだと。魅力的な男に思えるが。そして、素敵な恋愛の相手役の記号でしかなかった男の内面を描きたいという欲望が生まれたんです。もちろん、少女の夢をえがいたこの小説は読者に大評判になり、続きをせがまれたんですが。

 それで彼は身分の低い後宮の女性の息子で、天皇に愛された母は女たちの嫉妬で取り殺された。そして、彼は母の面影を求めているという源氏物語の冒頭「桐壺」が書かれました。

 その後、彼は父が探し出した母そっくりの義理の母の皇女「藤壺」に恋して、子供を産ますというとんでもない話に発展します。そして、恋にやぶれて、その姪の少女「紫」を妻にしたとつながってきます。それが、ロマンチックに描かれ、男性にも評判になります。ついには、紫式部は時の権力者の藤原道長の娘の侍女にまで上り詰めます。

 この母を求める話は国文学の世界では「紫のゆかり」といいます。源氏の運命の女性を象徴する花が紫色だからですね。ゆえに作者のあだ名も紫式部なんですが。で、世間の評価では、書かれた時から、母恋い小説だとされていると思います。だから、男たちも感動したんです。でも、作者は女性なんです。父と娘との問題っていう、女には身近な話が背景にあるのです。それが源氏物語を長年研究し、読み込んだ人にはわかってくるんです。だから、尼君との対決の場面が重要になってくるんです。それが私が大学で知った源氏物語の秘密です。では、それについて。

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桐の花です。なつ、咲きます

 

「源氏物語」物語は、なぜ始まるか。巻4「若紫」展開編

 

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 巻2で書いた通り、若紫が書かれたあと源氏物語は長編化したというのはほぼ事実だと断定されています。これは千年にわたる源氏研究者の集合知です。

 源氏物語は貴族が落ちぶれて平家物語などの琵琶法師が音楽とともに語る軍記物がはやると廃れました。庶民が楽しめる物語が主流になったからです。それが復活するのは豊臣秀吉が関白になったころです。なぜか、秀吉が武士の棟梁、将軍になれなくて貴族の親玉になったからですね。そこで、周囲の人が貴族文化の基本にある源氏物語をまなぶ必要ができた。前田利家が「源氏って面白いよね。この年になっても楽しめる深い話だ」って言ったことが歴史書に残っているそうです。

 源氏物語は貴族に教えてもらわないとわからなかったのでいい飯のたねでした。 なぜか、それはすたれた古い言葉で書かれていたからもあるのですが、ともかく文章がややこしい。主語がわからない。私は世間がせまいので、あんたは主語がなってないとよく家族に注意されますが、共通認識だっていう脳のバグです。価値観が違う人にはきちんと説明が必要です。

 それでわかったのは、最初の読者が、ほとんどが京都近辺のたぶん1万にもいないだろう貴族だったからです。共通の認識のなかでわかるので、省略されていることが多いからです。お祭りといえば葵祭りだし、春はあけぼのなんです。古い和歌の引用なんかも多い。あと自然描写が心理描写に重なっている詩的なこともあります。高度な文芸を読みこなしてきた人が読者だったからです。

 昔、私が読んだ感じは、源氏より、坊さんが庶民に語る種本の、時代の古い今昔物語のほうが、よっぽどわかりやすいです。漢語まじりで簡潔です。だから、試験にたくさん出てくる。学生さん頑張ってね。て、いまどき、古文の試験とらないか。でも、ロングセラーになったのが偉大だったのです。色々なところに引用され雅な文化の基礎になりました。

 その後、江戸時代、娘を天皇にやったり、嫁にもらったりした徳川将軍家が公家文化をとりこんで徐々に読者が増えてきます。そして、例の国学本居宣長です。わけのわからない「もののあわれ」を言い出した人って日本史で覚えませんでしたか。日本という国を意識し、天皇尊いなんてイデオロギーをふりまわす人々のひとりです。京都がすてきな観光地化されたっていうのもあると私はにらんでいるのですが。

 このころから源氏物語の研究が進んだみたいです。そのころの物語は時系列がばらばらってことはないんです。つじつまが合わないってこともないのです。というのは、木版という印刷がふつうになって本が商品化されたからですね。つじつまのわからないことを書いたら本が売れないんです。同人誌じゃないから、読者が飛躍的にふえてみんなに分かりやすい文章を求めるようになったからです。そして、源氏オタクが増えて、ああだこうだと言い合うようになりました。

 明治になると源氏物語はすたれます。かの米国留学生、津田梅子が不道徳な本って看破したように一夫多妻なんてナンセンスになりました。それ以上に不道徳な小説だからです。「若紫」なんかロリコン短編ですからね。しかし、この短編があるから源氏は大長編になったのです。それは紫式部ロリコンをいいことだと思っていなかったからです。続く。

 

「源氏物語」物語は、なぜ始まるか。巻3「若紫」プロローグ

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 私が大学の国文科で源氏を学んだのは中学時代に貸本屋で読んだ白土三平の「忍者武芸帳」にはまったからです。代表作「カムイ伝」も団塊の世代しか知らないんじゃないかな。画家である白土の父は小林多喜二の盟友で共産党の活動家です。のちに脱会して、ものすごく苦労した人だったらしいです。彼の作品はその体験と戦争が色濃いです。今読むと共産党的な解釈の歴史的な事実が間違っています。江戸時代の被差別民はあんなに暴力にみちてないし、忍者は山田風太郎の忍者もののパクリです。異能者としての忍者は山田が発明です。そちらはSF的な奇想天外な発想なのであきらかにフィクションだとわかりますが、歴史風なのでたちが悪いです。のちに江戸時代研究の田中優子が「カムイ伝講義」で修正しなければならなかったほど、まちがったことを知らせたと思います。彼の素晴らしさはのちに「シートン伝」を描いたように人間の中の自然へのまなざしかなって思っています。今、話題の「釣りキチ三平」の矢口高雄はその自然描写の後継者を自認してたりしますね。

 私は自分が発見したのもありますが「忍者武芸帳」のほうが好きです。あらけずりで舌足らずですが何より本人が書いている。実はカムイ伝は、ほぼ「子連れ狼」の小島剛夕がメインの作画です。下手なんかもしれませんが味があります。異能力者のバトルをまじえて復讐ばなしがかたられます。本筋、列伝と時系列もめちゃめちゃ、でも面白いんです。この魅力はなんなのだろうな。知りたいと思っていたところ、高校で例の「すずし」ののった副読本に出会ったのです。そうか、源氏物語の構成そっくりだ。その理由を知りたいと大学にはいったわけです。その時は自覚はなかったですが。

 で、源氏をまなんだ結論ですが、長編を書いたことのない人は最初はこう書くってことです。まず、短編を書いてみて、周りの人に好評だった。では、こういった話も書いてみたい、そのうち、そのお話の続きが読んでみたいといわれる。で、長編になっていく、そのうち、自分のなかで書きたいテーマがみつかる。じゃあ、短編をその中に取り込んでみよう、そうして、長い物語の作り方を学んでいくわけです。後半の「宇治十帖」は明らかにほぼ設定をきめて長編として企画されたものです。その過程が見える、世界最古の近代小説といわれる理由のひとつです。

 で、話を白土三平にもどしてみると、その読者とのレスポンスがみえるので「忍者武芸帳」にしびれたわけです。本筋にあきちゃったよって、「列伝」にはいったりね。いや、編集者的には列伝が好評だったわけですが。これは水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」にもあって、いろんなバージョンがあるわけです。だいたい、鬼太郎の設定も墓場鬼太郎という他人の借り物からはじまってますしね。

 貸本漫画の世界は読者と書き手が平行だったし、治外法権の自由があったからだと思います。手塚治虫は西洋の近代小説のフォーマットをつかっていますが、貸本派はそれ以前の神話とか説話をまなんでいるわけです。というか、宝塚という小林一三がつくった、地縁、血縁から切り離された場所で育った手塚のほうが特異なのです。

 話をもどすと、千年前に紫式部はそういった神話と中国から学んだより洗練された作話法をグループではなく一代で統合したすごい人なんだと思います。

 で、そういった源氏物語の秘密をどこで知ったか。それは大学なんです。今度はそれについて書きます。

「源氏物語」物語は、なぜ始まるか。巻2「夕顔」


 

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夕顔の花です。昔、近所にありましたが、夏の昼間早くに咲いてます


 で、「夕顔」の巻のはなし。光源氏が京都の下町に病気の乳母をお見舞いに行った帰り、ぶらぶらしていると風情のある夕顔がからんだ塀があったのですね。その家を興味深くのぞいてみると「めのわらわ」という子供の女中が出てきて、誘ってくる。夕顔っていうのが象徴的で、白いきれいな花が咲くのですが、実が海苔巻きのかんぴょう、あれの材料なのですね。食べ物の材料をかざりにする下世話なんです。

 ちなみに朝顔の君って登場人物もいて、こちらはさる天皇の皇女さま、男を寄せ付けない清冽なお人柄の女性です。でも、退屈な話だったのでしょう。そちらの短編は伝わっていません。たぶん、夕顔はその対称です。彼女はさる貴族の愛人で暇つぶしに男を誘ってみようという感じの人です。自分の好奇心に忠実です。

 で、夜忍んで行った源氏は、はかなげでふわふわした夕顔といい仲になります。よせばいいのに、郊外の山荘に行って逢瀬を楽しもうとします。ところが源氏を恨む物の怪に襲われ、女は突然死してしまいます。

 この当時は都市化が進み、昔ながらの妻問いがとてもリスキーになっていたのがわかります。村の農作業で会って渡りをつけた女性とか、親戚の女性に夜会いに行くような時代ではない。

 都市の人口も多いし、なりわいも多様です。昼間はガチャガチャと子供の泣き声やら職業音が聞こえてきても、夕顔がにぎやかに咲いていても夜の闇は恐ろしい。人の背景がわからない。どんな女かわからない。犯罪者だったりする話もあります。幽霊だったりもあります。この物語もそういったホラーものです。夕顔って昼間の明るいとき、たくさん咲いて青空にはえたりするんだけど、夜になると白い大きな花が不気味なのです。夕顔の特徴をふまえて、日常と怪異との境目を象徴する花になっているのが渋いです。読んでる人は怖いだけでなく、その新味にうなっただろうな。すでに説話でなく心理の闇をえがく小説なんです。

 で、長編化するにあたって、書き足されています。もののけの正体、そして、友人の愛人で女の子もいたこと。これ大事なことなので心にとめておいてください。そうして、落ちぶれたブス女である末摘花、オールドミスで分別臭い花散里、そういった短編を読者に提供していた紫式部は「若紫」の巻に行きつくのです。それから、長編化がはじまったようです。続きます。

 

「源氏物語」物語は、なぜ始まるか。巻1「空蝉」

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「空蝉」の一場面です


 高校時代、国語の副読本の源氏物語の紹介ページが好きでした。美しい題名もだけど、どうしてこんな複雑な物語がつくれるのか不思議だった。「すずし」という夏の乳がすける着物がイラストが気になった。あれって実在するの、実在したそうです。あのころは乳はエロではなかったのです。それだけではないのですが、大学で源氏を勉強しました。人をなぐさめる物語について知りたかったからです。

 「空蝉」の巻で夏の残暑の日、もろ肌出して碁をする空蝉と義理の娘が描写されます。京都の夏は暑い。若くて大胆な娘は乳出しだが、さすがにおくゆかしい後妻の空蝉は上着をひっかけてます。エロじゃないってさっき書きましたが、裸ですからね。その風景を盗み見して、夜、もやっとした源氏は空蝉を襲います。しかし、上着をのこして人妻は逃げてしまう。それを「空蝉」蝉のぬけがらと歌いながら胸に抱いてもみしだく。でも、一緒に寝ていた義理の娘の処女はうばうんです。そして、軒端の荻、そう、雑草あつかいして、あれはあれでよかったって思い出すのです。エロチックコメディ。

 源氏物語はこうした短編を身近な人に語り、書き写すことで始まったようです。この巻は、落ちぶれて貧しい不美人な女性が年老いた男のおもちゃに後妻に入ってという話です。家に入るということは女中扱いですね。しかし、教養があって、自分の気持ちがある女性は若いおんなです。その女性が、何回かの魅力的な男の誘惑にもだえながらこばむ。そんな心の機知を細かく描いているので胸をつかれる。蝉と荻と「すずし」、残暑のころに起こったことだというアイテムがちりばめられていて、しゃれてるよね。

 好評だったようで、女性の名前を題名にした短編を書きづつける。「夕顔」はホラーです。これも面白い。続きます。