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oohaman5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと、書いています。

 父性のひととしての秀吉 真田丸

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 真田丸小日向文世演じる秀吉、面白い。前回の「黄昏」は、医事監修のひとも参加して、ボケ老人を事細かに演じていて良かったです。その中で感じていたのは、かつての三成や清正たちにとっては、秀吉夫妻は親同然だったということです。

 秀吉は多くの優秀で貧しいわかものに、愛情と知識と知恵を与えて家来にした。それはかつて、秀吉が親を軽侮した不良少年で、世間さまに育てられて、教えられた知恵を使ったからでしょう。しかし、その世界はろくでもないものでもあって。原型は、よくある不良のたまり場のひとつだったんだろうな。今回の大河は、そこのところがよくわかって面白いです。

 本なんかで読むと実感がわかんなかったですが、今回は劇団出身の三谷幸喜が描いているのが大きいかな。演劇のせかいは機能不全の家庭の出身の人が多いような気がします。条件の悪いけど、才覚のあるひとがのし上がれる世界ではあるなと思っています。しかし、ふつうのひとをつくる教育システムではないので、大変でもあるなっと思います。だから、秀次の女狂いもリーダーであった秀吉をまねしたんだろうな。しかし、秀吉は苦労人で、天才であったので、あわゆいバランスのなかで許されていたのだろうと思います。

 こういった不良の集団は、実はまわりにいる子分たちは決して取って代われない、実は父の立場のひとが、主役を降りない集団なんだと思います。決してリーダーになれないタイプのひとをあつめているので、主役が衰えたら自然消滅してしまう。そして、主役が好き勝手するためにあるので、生き抜くタイプのひとが育ちにくいのも欠点かな。時代が戦国だったので、この集団が大きくなったのでしょう。でも、きっと、あの時代の秀吉のそばは、目まぐるしいけど、楽しかったと思います。大阪城に色々な才能のひとがいて、うるさかったと思うよ。千利休のとりまきがいて、東北の大名までいて、美人もたくさんいて、徳川家康でも楽しかったじゃないかな。でも疲れて、いつまでも続かないなって、みんなうっすら感じていたのではないかな。

 今回、新しい資料を駆使して、ほんと色々考えさせる大河になっています。まず、真田幸村は大谷刑部の婿として、かつての大阪城で大切なひとだったことも初めて視野に入ってきました。刑部もらい病ではなかったっていうのが、今の歴史学のせかいではふつうになっているみたいだしね。考えてみたら、昔は、帯状発疹でも、傷がうんで死んだりするんじゃないか。

 考えてみれば、秀吉は、肺病やみの竹中半兵衛やら、平和な時代だった活躍できない多くのひとたちに、生きがいを与えた稀有なひとでもあるのだな。やさしくて、可愛くて、残酷なひとなのだな。そんなことを考えながら、大河を見ています。