oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと、書いています。

ジギルとハイドって、あると思う。

 

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今、都議会での、セクハラ発言が、問題になっている。ちょっと、度が過ぎてますよね。たぶん、女性の議員さんに、皆が、反発を感じていて、その勢いで、社会が許せない、ある一線をこえてしまったのでありましょう。こういう事があるたび、私はスティーブンソンの「ジギルとハイド」を思い出す。

 いつも、品性公正な生活を行うハイド氏が、お薬の力を借りて、悪人ジギル氏になる話だ。いつも、無理をしているハイド氏が、ジギル氏になって、憂さ晴らしをする。しかし、そのうち、ジギル氏の悪行はエスカレートして、罪悪感にさいなまれる。そして、ジギル氏に、ハイド氏は、人格も乗っ取られて、悪人となってしまうのである。これは、あまり、いい人ぶらないでという教訓もあるけれど、たとえ、見知った人が知らないところや、公の場所でないところでも、汚い言葉や、悪行は、自分を追いつめるということなのだ。

 人は、場によって、仮面をつける。そのことは、大切なことだ。だからといって、その場で、度がすぎることをしていると、別の場を傷つけるのだ。特に、力関係で自分が強い場では、このまちがいを犯しやすい。家庭とか、友人間だとかだ。

 この議員さんの場合は、自分の立場の強い議会で、皆が、からかいたいと思っている、女性議員さんに、対してなので、ひどい事が平気でいえたのだ。しかし、この場が、自分より強い人、考えが違う人がいる場であれば、とても、こんなひどいことは、いえないだろう。

 でもである、この人は、きっと、家庭やら、友人やらの前で、同じような、女性差別の言葉を発し続けていたはずだ。そして、その場では、許されてきたのであろう。いやだ、度が過ぎると、思っている人がいても、へ理屈やら、無視やらで、ごまかしてきたのだと思う。だからこそ、がやがやした、ゆるんだ、場所で出てしまったのである。しかし、その言葉が一旦、広い世間さまに出ると、許されるわけもない。

 で、「ジギルとハイド」に戻る。醜い言動は、自分をおびやかすのだ。それは、肝に命じなければと思う。それには、自分が緩んだ場でも、度が外れたひどい言葉や行動をしないように気をつけるよう、普段からすることしかないと思っている。そして、その行動に対して、変って、言ってくれる人々との、関係性を作っていくしかないなあと思っている。

 人間は楽に流れる。このハイド氏のお薬にあたる、ネットやら、車やら、個室のある部屋やら、自分勝手を許す快適な文明に、首までどっぷり浸かっているのだ。

 

 

言霊とは何か - 古代日本人の信仰を読み解く (中公新書)