私が、ブログを懲りずに、再開したのはしたのは、twitterを始めてから、しばらくしてからだ。つぶやきでは書ききれないことがある。そうした思いからだ。
私が思うに、今、インターネットは、新しいものでなんかなく、世間の一部にしかすぎないかと思う。だから、言いたいことが、言えるどころではない。 日記や手帳の方が自由だ。
それでも、世間話から、もう少し込み入った話も語りたいと感じたからだ。それで、ブログをこそっと、やっている。
私は、子供のとき、年寄りたちに、色々聞かされて育った。両親が働いていた。
それで、親類の家に、泊まり、歩いていたからだ。いとこはたくさんいるが、どうやら、私だけ、そんなことをしていたらしい。
いろんな話を聞いた。みんな、喜んで話してくれた。そして、それを理解するために、本を読み出したのだ。そうして、たまった情報で、心は、パンパンなのだ。それを伝えたい、そういう思いが、ずっと、あった。まあ、伝えたいって、勝手な気持ちかもしれない。
しかし、両親を、はじめ、人は老いる、そして、あっという間、半年前ぐらいで、衰え、亡くなる。このパンパンの記憶も、私が衰えて、いつか、失われるであろう。
だから、しっかり、記録できるうちに、書いておこうと思うようになった。
今、現在でも、記憶は、私の都合で改変されている。それ以前に話し手によって、改変されている。しかし、うそや、勘違いや、思い込みも、その人の真実なのだ。だから、私の話も、起こったときの、真実ではない。それでも、伝えたい。私が、今、その話で得たこと、感じたことをである。
独りで書くことは、私に、長年、困難だった。誰かが読んでくれているだろう、ネットで書き出して、やっと、書けるようになった。私に色々な話をしてくれた、親戚の人、近所の年寄りの気持ちが、身にしみて、わかった。聞き手があってこそ、人は語れるのだ。どこかで、自分が覚えられていたい。ささやかでも役に立ちたい。そういうものなのだ。
そして、関東の隅っこで、こうやって、ぐだぐだと語っております。隅っこって、結構、楽しかったりもする。