oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

岡本綺堂 心の中に潜むもの 修善寺物語

 


私は今大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に夢中なのだけど、便利な世の中だ。SNS で歴史について色々と教えてくれる。それで源頼朝の息子である頼家の死に顔を写したという仮面が実在することを知った。それは地元の伝承で毒である漆を流した風呂で殺された頼家のただれた顔を写したとされているそうだ。怖い。

 

昔、何かで修善寺物語を読んだときに仮面作りの一家の話でこんなもん造った人いたかと思っていたが、実在していたのだ。今回、岡本綺堂の原作だということも思い出した。

 

岡本綺堂は明治に新作歌舞伎の脚本に進出していて、番町皿屋敷、鳥辺山心中、そして、修善寺物語が残っている。そのなかで番町皿屋敷は、今でもわりと上演されているそうである。

そのなかで修善寺物語は海外公演用に作られたものらしい。だから、短編でちょっと肩に力が入っている。

 

岡本綺堂の作品の特徴は西洋的な観念の恋愛の導入であると思う。それがうまくいっている作品もあるけど、今読むと概念は古いなって思う。なぜなら、西洋では恋愛自体が離婚の多発を誘発しているからである。結婚は日常なので情熱は続かない。日本でも恋愛至上主義は結婚の妨げになっている。ありゃ誰でもこなせるもんではない。

 

修善寺物語は恋愛の要素とシェクスピアの史劇の要素を融合させた新歌舞伎である。

 

今回、その成立について自ら語った「修善寺」という文章を改めて読んだのだけど、初めて分かったことが多かった。

 

岡本綺堂修善寺温泉に遊びに行ったとき、頼家についての現地の伝承を知った。そのとき、仮面の存在と伝承について知ったのである。

そして、苦悩する若者としての彼の実在感を感じた。史劇に出てくる青年を見つけたと思ったらしい。

そして、母の政子が訪れたとされる御堂の存在を知った。歴史上の傲慢な女性と思っていた人が、母として苦悩していたことを初めて感じたそうである。

 

修善寺物語は新しい演劇の実験として尊敬され、私の子供時代ぐらいまで本にのり、新劇でも上演されていたわけである。

 

この中で源範頼の墓参りも行っているのだけど、初見の時は誰か意味がわからなかった。まして、岡本綺堂は蒲殿と呼んでいるのである。

岡本綺堂と読者は江戸からの読み本や歌舞伎の歴史認識を共有している。その教養のなかで物語が展開されているので、今の私たちには岡本綺堂はわからないのである。

 

それでも私が今読めるのは、彼の江戸から明治へ至っての西洋の新しい文化へのありがたさを踏まえて、忘れ去られようとする文化の良き部分を残そうとする努力への尊敬だ。

そして、その中で展開される摩訶不思議な普遍的な人間のありさまへの理解なんだなって思う。ホラー作品にその良さが出ていると思う。

そんな過去の演劇への尊敬をきっと持ってる三谷幸喜はどう頼家の最後を描くか、すごく楽しみだ。

 

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