oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

梶原景時の十字路

 梶原景時のことを意識したのは伊勢原駅から伊勢原の霊山である大山から江の島に行く街道を歩いた時だ。

 

この本を参考にした。江の島道が中心に書かれています

 

 

 本筋の江戸からはこちらの本、いささか古いが名著だと思う。ぜひ、参考に歩いてみてほしい。何年もの研究の蓄積があり、著者と一緒に旅してる気分になれた。作者は伊勢原有隣堂の店長だった人だったらしい。郷土史にも詳しい。江の島編は続編になります。

今は改訂がされて分冊されて売ってます。

 

 その時、歩いて気が付いたのは伊勢原駅ちかくの田村十字路という十字路だった。古代に十字路があったのかって驚いた。有りますよね。痕跡が残っているのが珍しいのだ。

その道から藤沢を抜ける道に梶原景時館跡はあった。平家物語に出てくる人か。よく遺跡がきれいに残っているなって感心した。

 

 冬に改めて行ってみました。海老名からJR相模線で行ったのですが、車は旧街道なので駐車場ないかな。駅からだと20分ぐらいだし、旧の集落が残っているので風情があって良きです。

 寒川神社にお参りできます。梶原の人生にもこの神社は深くかかわっているようですね。

 車窓から美しい富士山を見ながら、この地が古代、中世が残っている場所だと実感できます。

今回行ってみると寒川十字路というバス停がある。ちょうど、この十字路そばに館跡はあるのだ。

バス亭名は古い地名を記憶していることが多い

 なんでも寒川神社は相模一宮といい、古代は国造がいたあたりらしい。歴史で習ったな。郷土史をかじると結構出てくるのです。

 そこに行く道が古くから整備されている。その奥に見えるのは霊山大山だ。

この道は古代の信仰の道筋でもあるのだ。そして、縄文から人々が里に下りてきた道だと思う。寒川神社のあたりは今でも果樹栽培が残っていて丘陵地になっている。まだ、狩りができた土地なんだと思う。

奥にお約束のように和菓子屋がある。多分、お供物と関係ある

その四つ角あたりに梶原館跡はある。その道は江の島にも通じている。

たぶん、梶原に関連している名前。

 隣のバス停の名前の元がある。そのそばに一宮八幡宮がある。平安の創建だった。

たぶん鎌倉権五郎の子孫で八幡宮を祀っていた梶原景時の何代か前のひとが土地の開拓をしたときに持ってきたのだろう。地元の歴史に詳しくないけど元々は神仏混交の同じ社だったのではないかな。
 

遺跡があるので周りは住宅や工場なのにぽっかりと農地として残っている

ここが梶原館跡。

小さな社がある。今の天皇陛下が来られている記念塔が目立つ。岡崎義実のお墓にも記念塔があった。伊勢原の大山の社の関係者が学習院の同級生とかで結構史跡めぐりで遊びに来てたらしい。

そばにある一族の墓。伝説では梶原家がほろんだあと、遺族がお家再建を願ったが果たされず自害とあるがどうなんだろうか。吾妻鏡読んでる人は知ってる話なんかな。

昭和3年の梶原館あと。まだ、盛り土が残ってます。下の切れてる写真はその当時の墓地の写真です。

 

 鎌倉の遺跡を見ると江戸時代に観光が盛んだったのがわかります。みんなきれいに整備されてます。さては推し活はそのころからあったか。

 

 梶原の木造。なぜか東京にある。これも誰か来歴を教えてください。鎌倉時代はみんな多分慶派に木像を作ってもらっていたので推しが作ったのかな。
 

 JR寒川駅前に大きな農協があり今は大田園地なんですが、たぶん、鎌倉時代はひょっとすると江戸時代でも街道近くまで海が近く、そんなに豊かではなかったのではないのかな。本家筋の大庭の地や内陸の海老名の方がずっと豊かだったと思います。
 そんな中で知恵と才覚で成り上がった梶原景時ってどんな人だったんだろうなって想像が広がりますよね。