oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

「欄外の人物」ってなんぞや 文学界1月号 又吉直樹X宇多田ヒカルを読んで

 

文學界 1月号

文學界 1月号

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2019/12/07
  • メディア: 雑誌
 

宇多田ヒカルさんと又吉直樹さんの対談でうっかり、ひと様にリプライしてしまった私の対談での感想。読んでみると二人はとても真っ当な文学への思いを語り合っています。小説を読む心の体力がないんで、この手の雑誌はめったに読まないのですが、新年号はなかなかにリッチな感じです。本の紹介もあって、好きな作家さんは同じものを結構読んでる。チョットうれしくなりました。

 さて、二人の対談を読んで印象に残ってのは、自分たちに対する先入観をどう扱うか。これは芸人としてデビューした又吉さん、有名人を母に持った宇多田さんに切実な問題ですね。それを利用しつつしたたかに二人は生き抜いている。そして、話は宇多田さんが赤ちゃんを産んで、赤ちゃんの目線が死者の目線に重なることに気が付いたってことに話が流れていきます。

 先入観のない無垢な目線というのかな。これは子供を持った母親だと言語化できないけど大概の人はかんじるのではないかな。そして、又吉さんが作家としてめざしているのは死者の目線だということ。世の中から押しつけられた色々なこだわりやきめつけから逃れることで空気を緩めたい、それは本質というのかな、それだけをみつめる死者の眼なんだということで。それは、かつてあった、赤ん坊がその死を含めて身近にいて、成人した人でもひょっといなくなる世の中では、身に染みることではあったのだろうけど。

 そして、なぜ、音楽を作るか、芸人になるか、作家になるかって話にいたります。弱い人々そうしなくてはいけない人、欄外の人物。又吉さんは山崎方代という人の短歌を引用して、そういった人々について語ります。そういう世間のモラルにもあわせられない弱い人々を持ち上げて、普通を裏切るとたたき出す。そういった世の中に対する疑問を感じながらお二人が歩んでいる姿はなかなかに考えさせられる。

 どうしても、そういった欄外の人に対して、ロマンチックな目線を人は持ちがちだなって思う。雨宮まみさんの本の藤圭子さんにしぼった私のブログなんかもそうかな。しかし、そういった人にある時すごく救われるときがあるのです。たぶん、一時、自分がその欄外に扱われたり、それによって本質的なものがすとんと落ちる瞬間を感じたり。そのもやっとしたことを文章というあわいで書いてみたかったのかな。藤圭子さんも雨宮まみさんも意味が損なわれた伝統的な社会からエスケープした人なんだと思う。だから、かっこよかったと感じる。それに対して、藤圭子に嫌われた川端康成とか私が引用した折口信夫とかは伝統社会のドロドロにつかって作家をしていたと思う。今はいるのかな。

 にしても、どっちもすごい覚悟があると思う。川端なんか「伊豆の踊子」のあと、浅草に移りすんで「浅草紅団」で流行作家になってる。あの頃のデカダンスの最前線に向かったのです。どちらも大阪の出身であるってことは、そういった因習の力が根強い土地柄ってことだと思ってます。川端の生まれた大阪天満宮前は、かの吉本興業発祥の地で彼が浅草に移りすむのは必然と思われます。二人とも薬物中毒だったりもするし。どちらも欄外の人であったのは確かだと思うけど、普通を蹴飛ばした人ではあるな。

そして、又吉直樹宇多田ヒカル。芸人と歌手の対談。そういった背景を背負って、踏み抜いて、今をいかに生きるかってことへの雑談であるかもって思った。

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 大阪文学散歩的な紀行文です。川端、折口の背景。