oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

子どもは強い。そしてやはり希望なのだ。「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」

  友達が連載されてたエッセイ読んでて感心してたし、田舎のご近所の本屋さんでも並んでいるのでヒットしてるなって気になっていた本。一気に読めた。これは最近の私にも意外と珍しくて、今まさに起こっていることの内容だということと、文章が優れているということなんだと思う。子供の貧困化の問題、そして、いわゆるハーフであることも日本でも普通になりつつある。私の長男の友人にも何人かいるし、趣味仲間のお孫さんにもおられる。だけど、今、本や自体がすたれているので、実質どの程度世の中に広がっているんだろうなって感じもするけど。近くにきっといる子供のこと考える、読んでもらいたい本だと思う。

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

 

  イギリスの労働階級の男性と結婚し保育士として働いた人で、著者の息子さんが元底辺校だったが、がんばっている中学に入学して体験した日々を描いたものだ。イギリス特有なこともあるけど、比べてみると、日本の学校間の格差も実際体験してみると、きついよ。それはプロのアスリートにもなるにも勉強で成功するにも高度化していて、お金と親の社会的な地位とか都市住まいとかがないとたちいかないという、いわゆる先進国の病があると思う。彼ぐらいの中学生がぼんやりと夢みることもしんどい。だからか、子供たちの競争も激しい。

 そのなかでイギリスの底辺校では、心ある頑張っている先生たちが奮闘している。この辺りは日本の方がきついかな。先生がご飯を上げたりって、私の行ってたころの大昔の下町の学校ではちょっとあったかも。いらない事だと作者もいってるけど、社会サービスが削られている中で見ていられないのだろう。日本も削られているけど、先生の給料が安すぎるし、それにともなって社会的な地位が低くなっているから、そんな余裕がない。

 あと、イギリスでは演劇の授業もあって、自己主張をいかにするかを教えたり学んだりするし、社会の実際を学ぶ授業がしっかりしているみたいだ。そういったことで先生たちも社会に対する意識が高い。日本はそういったことをいかにやりすごすかになってしまっていることが多いような気がする。

 あのグレタ・トゥンベリさんが人気で、子供たちが先生に引率されてデモに参加する話も出てくる。緑の党に縁が深く、左派が多いブライトンの町であることを差し引いても人気なんだと思う。作者の夫がそういった先生たちに批判的だったりもするし、成績のいい裕福な子が多い学校の子だけが許されて、息子さんがラップでその疎外感の悔しさを仲間のバンドで歌ったりと、この運動が競争が激しい社会への何かしらの連動があることも感じられるし、一筋縄ではいかない問題をふくんでいるのも面白いな。

 差別意識が高い移民の美少年ダニエルくんの話も印象深い。最初ちやほやされていたけど、先生が問題視ししだしてから苛めに会う。でも、実際に彼にいじめられた子たちがかばっていて、部外者の子たちがSNSとかでいじめだしたのはわかるなあ。息子は「みんな罰を与えるのが好きなんだ」そうなんだよね。この言葉を聞くと、子供ってなんて賢いんだ、強いんだとほっとする。

 作者も息子にかつて自分の差別の体験を教えるけど、私も思い出した。かつて、小学校一年の時、毎日下駄箱で私の足を踏む在日の子がいたけど、それだからって、その子を深く恨んだりしなかった。なんというのかな、体でその子の悲しみや戸惑いが感じられたからだと思う。小競り合いすることで仲間意識が育ったんだと思う。その小競り合いのこそが成長なんだと懐かしく思い出した。

 そういうふうにこの本では遠いイギリスの話というだけでなく、今まさにおこっていること、社会とこどもという普遍的な出来事の日々が綴られていていた。