oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

「源氏物語」物語は、なぜ始まるか。巻4「若紫」展開編

 

f:id:oohaman5656:20190627071629j:plain
 巻2で書いた通り、若紫が書かれたあと源氏物語は長編化したというのはほぼ事実だと断定されています。これは千年にわたる源氏研究者の集合知です。

 源氏物語は貴族が落ちぶれて平家物語などの琵琶法師が音楽とともに語る軍記物がはやると廃れました。庶民が楽しめる物語が主流になったからです。それが復活するのは豊臣秀吉が関白になったころです。なぜか、秀吉が武士の棟梁、将軍になれなくて貴族の親玉になったからですね。そこで、周囲の人が貴族文化の基本にある源氏物語をまなぶ必要ができた。前田利家が「源氏って面白いよね。この年になっても楽しめる深い話だ」って言ったことが歴史書に残っているそうです。

 源氏物語は貴族に教えてもらわないとわからなかったのでいい飯のたねでした。 なぜか、それはすたれた古い言葉で書かれていたからもあるのですが、ともかく文章がややこしい。主語がわからない。私は世間がせまいので、あんたは主語がなってないとよく家族に注意されますが、共通認識だっていう脳のバグです。価値観が違う人にはきちんと説明が必要です。

 それでわかったのは、最初の読者が、ほとんどが京都近辺のたぶん1万にもいないだろう貴族だったからです。共通の認識のなかでわかるので、省略されていることが多いからです。お祭りといえば葵祭りだし、春はあけぼのなんです。古い和歌の引用なんかも多い。あと自然描写が心理描写に重なっている詩的なこともあります。高度な文芸を読みこなしてきた人が読者だったからです。

 昔、私が読んだ感じは、源氏より、坊さんが庶民に語る種本の、時代の古い今昔物語のほうが、よっぽどわかりやすいです。漢語まじりで簡潔です。だから、試験にたくさん出てくる。学生さん頑張ってね。て、いまどき、古文の試験とらないか。でも、ロングセラーになったのが偉大だったのです。色々なところに引用され雅な文化の基礎になりました。

 その後、江戸時代、娘を天皇にやったり、嫁にもらったりした徳川将軍家が公家文化をとりこんで徐々に読者が増えてきます。そして、例の国学本居宣長です。わけのわからない「もののあわれ」を言い出した人って日本史で覚えませんでしたか。日本という国を意識し、天皇尊いなんてイデオロギーをふりまわす人々のひとりです。京都がすてきな観光地化されたっていうのもあると私はにらんでいるのですが。

 このころから源氏物語の研究が進んだみたいです。そのころの物語は時系列がばらばらってことはないんです。つじつまが合わないってこともないのです。というのは、木版という印刷がふつうになって本が商品化されたからですね。つじつまのわからないことを書いたら本が売れないんです。同人誌じゃないから、読者が飛躍的にふえてみんなに分かりやすい文章を求めるようになったからです。そして、源氏オタクが増えて、ああだこうだと言い合うようになりました。

 明治になると源氏物語はすたれます。かの米国留学生、津田梅子が不道徳な本って看破したように一夫多妻なんてナンセンスになりました。それ以上に不道徳な小説だからです。「若紫」なんかロリコン短編ですからね。しかし、この短編があるから源氏は大長編になったのです。それは紫式部ロリコンをいいことだと思っていなかったからです。続く。