oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

「源氏物語」物語は、なぜ始まるか。巻3「若紫」プロローグ

f:id:oohaman5656:20190621091646j:plain


 私が大学の国文科で源氏を学んだのは中学時代に貸本屋で読んだ白土三平の「忍者武芸帳」にはまったからです。代表作「カムイ伝」も団塊の世代しか知らないんじゃないかな。画家である白土の父は小林多喜二の盟友で共産党の活動家です。のちに脱会して、ものすごく苦労した人だったらしいです。彼の作品はその体験と戦争が色濃いです。今読むと共産党的な解釈の歴史的な事実が間違っています。江戸時代の被差別民はあんなに暴力にみちてないし、忍者は山田風太郎の忍者もののパクリです。異能者としての忍者は山田が発明です。そちらはSF的な奇想天外な発想なのであきらかにフィクションだとわかりますが、歴史風なのでたちが悪いです。のちに江戸時代研究の田中優子が「カムイ伝講義」で修正しなければならなかったほど、まちがったことを知らせたと思います。彼の素晴らしさはのちに「シートン伝」を描いたように人間の中の自然へのまなざしかなって思っています。今、話題の「釣りキチ三平」の矢口高雄はその自然描写の後継者を自認してたりしますね。

 私は自分が発見したのもありますが「忍者武芸帳」のほうが好きです。あらけずりで舌足らずですが何より本人が書いている。実はカムイ伝は、ほぼ「子連れ狼」の小島剛夕がメインの作画です。下手なんかもしれませんが味があります。異能力者のバトルをまじえて復讐ばなしがかたられます。本筋、列伝と時系列もめちゃめちゃ、でも面白いんです。この魅力はなんなのだろうな。知りたいと思っていたところ、高校で例の「すずし」ののった副読本に出会ったのです。そうか、源氏物語の構成そっくりだ。その理由を知りたいと大学にはいったわけです。その時は自覚はなかったですが。

 で、源氏をまなんだ結論ですが、長編を書いたことのない人は最初はこう書くってことです。まず、短編を書いてみて、周りの人に好評だった。では、こういった話も書いてみたい、そのうち、そのお話の続きが読んでみたいといわれる。で、長編になっていく、そのうち、自分のなかで書きたいテーマがみつかる。じゃあ、短編をその中に取り込んでみよう、そうして、長い物語の作り方を学んでいくわけです。後半の「宇治十帖」は明らかにほぼ設定をきめて長編として企画されたものです。その過程が見える、世界最古の近代小説といわれる理由のひとつです。

 で、話を白土三平にもどしてみると、その読者とのレスポンスがみえるので「忍者武芸帳」にしびれたわけです。本筋にあきちゃったよって、「列伝」にはいったりね。いや、編集者的には列伝が好評だったわけですが。これは水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」にもあって、いろんなバージョンがあるわけです。だいたい、鬼太郎の設定も墓場鬼太郎という他人の借り物からはじまってますしね。

 貸本漫画の世界は読者と書き手が平行だったし、治外法権の自由があったからだと思います。手塚治虫は西洋の近代小説のフォーマットをつかっていますが、貸本派はそれ以前の神話とか説話をまなんでいるわけです。というか、宝塚という小林一三がつくった、地縁、血縁から切り離された場所で育った手塚のほうが特異なのです。

 話をもどすと、千年前に紫式部はそういった神話と中国から学んだより洗練された作話法をグループではなく一代で統合したすごい人なんだと思います。

 で、そういった源氏物語の秘密をどこで知ったか。それは大学なんです。今度はそれについて書きます。