oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

映画「砂の器」雑感 

 

 

砂の器 デジタルリマスター版
 

 

春日太一さんの「オール読物」の松本清張賞特集のひとつで脚本家橋本忍の追悼の「砂の器」論を読んでたまらなく懐かしくなったので、久しぶりに見てみた。改めて説話世界を原点とした大傑作だと思う。それをめぐる雑感を書いてみようと思う。

 「砂の器」は、父との過去を知る男を殺害するという話だ。この映画は、映画館でなくテレビで何度か見たと思う。松本清張に凝っていた時期があったので原作も読んだのかな。春日さんが書かれている通り印象に残る小説ではなかったからはっきりしない。

 この小説は芝居で多く取り上げられたハンセン氏病で阻害された人々が巡礼に行くということをもとにしている。この題材はふるく、業病が信仰で救われる「小栗判官」「俊徳丸」といった室町ごろのおとぎ草紙でまとまった形で取り上げられている。能、文楽、歌舞伎にもある。映画を作った橋本忍は、本人が何度か話しているように兵庫県生野銀山ちかくの芝居小屋の息子で文楽に造詣が深かったらしい。人形と簡単な背景で言葉の力と音楽で映像を作っていく。その業病で社会から疎外された巡礼の義大夫のみちゆきの美しさを映画の中で新しく再生してほしいという橋本父の願いがあったらしい。

 原型となった文楽は「小栗判官」系の男女の旅だったらしいけれど、同じ系統の「俊徳丸」を題材に小説「身毒丸」を書いた民俗学者折口信夫によると彼が書いた遺伝病を背負った父と息子の旅芸人のはなしの形が最も古いらしい。それに大阪四天王寺下の異端の人々がつどう合邦の辻の話と結びつけて、後世、富豪の息子が継母の横恋慕というかたちで業病におとされという、継承を邪魔する人物を配して進化してきた。ここに、業と才能の継承が富に代わっているのが面白いと思う。

  松本清張は、橋本忍の映画化を前提に父子の道行を原型とした「砂の器」を書いたらしい。しかし、父子の愛憎まで描き切れなかった。父なるものは彼の専門外だったのかもしれない。父なるものとは何か。父子の相克と継承とは。旅とはなにか。それを映像と語りで語ってみたい、酔わせてみたい、そういった映画だと思う。

 久しぶりにみた映画ができたのは、家族で郊外にハイキングによく行っていたころなので、舗装されていない砂利道がなつかしかった。京都の花背峠あたりによくいった。そして、蒲田あたりの風景をみると、まだ、日本はあんなにも貧乏だったんだと胸をつかれた。古いものが忌まわしいものとして、ただただ排除されつつある時代だった。 

 過去がいくら忌まわしくても、その中には美しいものも含まれている。それを抱きしめて進むしかない。それを音楽という芸術のもとになる美しい何かの継承として、その問いを橋本忍が自分の物語、そしてみんなの物語として落とし込んだことがこの映画の成功だったんだと知った。

 それにしても、主役の丹波哲郎の刑事は、理性的で懐が深いかんじがドンピシャの配役だと思う。発表当時、端正すぎてみだれのない加藤剛は犯人にどうかなって思ったけど、死に近づいた人への畏怖を背負った弱法師の美貌をモチーフにしてみたというのではぴったりだ。三島由紀夫の戯曲「弱法師」のテーマであるを大空襲をつかい、犯人が四天王寺そばの通天閣近くに逃げ込んで住んでいたという過去も意図的なんかなと思う。演技はアラン・ドロン意識してますね。あちらは天然の貧乏世界の出身だけど、頑張ってると思う。島田陽子も本人の暗さがでてますし。

 あのかやぶきの家々、なにもない雪景色、かすかに残っている昔の痕跡、今では撮れないだろうな。背景となる日本の四季の風景が美しい。活舌のいい丹波さんの朗々とした語りで映像とともに彼らの旅が語られる。そして言葉にできない心情が浮かび上がる。これぞ、映画だ。手のない父にかゆを食べさせる息子。そこには一緒に滅ぼうとした本物の親子の情愛が描かれる。

 そのきずなを二人を助けるため善意の警官である緒形拳が裂く。これは子供に恨まれても仕方がない。善をなすのはいかに責任を負うことか感じる。鈍感ではいられないと感じる。そのうえ、犯人の中では父との旅は、やっとこさ美しい思い出として、芸術に昇華されているのに、下世話な地上の論理を説いてじゃまする。橋本忍はラストに真っ赤な紅葉、そして何もない砂丘で終わらせる。その関係のなかにある豊穣、実りの象徴であるもみじ、そして、それが現世の幻でしかないことのむなしさかな。

 

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 四天王寺訪問記。もっとも大阪らしい界隈だと思う。後日、崖の途中の安井天満宮、がけ下の通天閣にも行ってきました。

 

オール讀物2019年6月号

オール讀物2019年6月号

 

  春日太一さんの「砂の器」論を含んでます。インタビューをもとにしていて橋本忍の個性、日本映画の中の立ち位置、そのキャリアにおける「砂の器」の意味がわかって刺激的でした。