大浦天主堂へ、色々な歴史的なことを知ってから、ここに戻ってきたのはうれしいことだった。しょぼしょぼと朝の雨が降っていた。二十六聖人の殉教の絵の下に、ここを開いたプチジャン神父の墓石がある。そして、明治の浦上の信徒発見をうながした聖母像。こちらではカトリック教徒の韓国やフィリピンの観光客が多く、なんとなく東洋の聖地巡礼の地になってるようだ。
坂本龍馬がいた亀山社中へ。龍馬関係者は好きだろうが、私は長崎の坂道のふぜいを楽しませてもらったと、記しておこう。そのわりには銅像をみに、その上の公園にいったりしたんですが。長崎の坂道良いですよ。花々が南国しててきれい、アジサイが多く、梅雨のころがいいと思う。
龍馬像。司馬遼太郎も文学碑ももあります。
長崎の海から香港が見えるそうだ。
午後にレンタカーを使って、外海の「遠藤周作記念館」へ行った。となりに道の駅があり、「夕陽が丘そとめ」という、夕日の名所らしい。単なる辺鄙な田舎だと思っていたけれど、途中、人家の多さに驚く。長崎新漁港という漁業の拠点になっていて、缶詰工場、かまぼこ工場がたくさんあった。海の道を通ると近いというのもあるのだなあ。
それもだけど、たくさんの教会があり、宣教師たちがこのあたりの開発に力をつくしたのがみてとれる。隠れキリシタンの里のひとつ、黒崎のダイナミックな風景が見えてくる。海辺の広い湿地が残されていて神秘的な風景だ。そこから、ドロ神父が教会をたて、小説「沈黙」の舞台になった出津の集落に行く峠に記念館がある。
教会を中心とした出津の風景
遠藤周作記念館
驚くほど美しい海。スコセッジの映画「沈黙」で台湾でロケされた景色が、ダイナミックすぎると思っていたが、開発がない江戸時代はあんな感じだったのだろうなあ。たぶん、遠藤がかよった60年代前半も。だからこそ、あの小説はこの場所にささげられたのだろう。記念館の展示によると、「沈黙」は結核療養中から十年ぐらい取材をして、書かれたらしい。試作的な小説やら資料の数々が展示されていた。生きるあかしを求めるつよい気持ちが残されていた。
夕日を求めて二時間ほど、そこの道の駅にいた。道の駅は地域の物産館の役割をしているようで地元の人が多かった。新鮮な魚や野菜もある。美しい場所だった。
車での帰り道の黒崎の集落に落ちる夕日。そして、外海のキリシタンは雲のむこうの五島に散っていったらしい。
帰りに量販店やパチンコ屋が多い猥雑な海岸をとおった。どうやら三菱の造船所の裏手らしい。トンネルを抜けて、その間10分ほどで、長崎駅のレンタカー屋さんに戻った。この山がさえぎって、無傷で戦艦武蔵が造船された日本最古の造船所が残たのだと実感できた。ここが目標だったのだろう。そんな、複雑で重層的な長崎の歴史を感じながら夕方からとっぷりとした夜が始まる時間を楽しんだ。続きます