作家の星野博美さんのキリシタンの苦境をえがいた「みんな彗星を見ていた」を読んでから、長崎を再訪してみたいと思っていた。大学の卒業旅行で、天草、平戸、長崎に行った。あの当時は、友だちにあつかましくも、おまかせで、その意味もわからず、天草の崎津の教会に行き、そこでぺらぺらのメダイを買った。なんとなく捨てられず、ずっと持っていた。平戸のザビエル教会に感心したりもした。今はつきあいのない友人が、何を考えていたかもっと突っ込んでみるべきだった。楽しかったけど、不思議な旅だった。
まず、長崎空港へ、深夜、何気なくみた「久保みねヒャダこじらせナイト」のなかで佐世保出身の久保ミツロウさんが長崎ちゃんぽんを空港で食べていたのを思い出して、夫と食す。真面目で誠実な味。これはまず、名物を食べるという満足感に満たされて、ほんとよかった。その日のおやつに、長崎にしかない松翁軒の五三焼きカステーラを食べたが、これは友人の推薦で、夫によると、長崎の一番の思い出はこちらのカフェだそうだ。長崎弁の和やかな会話が聞こえ、路面電車の音が聞こえる、飾り気のない休日の空気がよかったようだ。こういった喜びも誰かしらのおかげでありますな。
まず、星野さんの本にある長崎駅裏の二十六聖人記念館に行った。その土地、西坂でおこなわれた、秀吉による初めての殺戮がどれほどのショックだったか。ほぼ、となりにイエズス会の長崎本部とその病院あとがあり、信長の記録で有名なルイス・フロイスが、直後に急死したとの記念館の記述があった。
病院あとは、中国人むけの黄檗宗の寺で、原爆で被災、再建されていた。しかし、となりの黄檗宗の寺の山門は江戸時代のもので、このあたりが原爆の被害の境目なのが見えて、生々しかった。長崎と空港がある大村が近いのに驚いたけど、長崎が初のキリスタン大名、大村純忠の領地で宣教師たちに寄進され、開発された土地であることを知った。キリスト教と骨がらみの土地に原爆が落とされたのは皮肉だ。
記念協会から、隠れキリシタンが発見された浦上の町がみえる
殉教者がさらされた道をてくてく下って、長崎奉行所あとの長崎歴史文化博物館へ。青貝細工の企画展があり、その鮮やかさに驚く。名物を食べても思ったのは、長崎の名物は、すごくわかりやすい。肉にえび、おいしものをてんこ盛りしたちゃんぽん、卵とさとう、シンプルなカステラ、まじめに作ると誰でもわかる良さだ。長崎奉行所が内部に再建されていて、長崎の歴史が大体わかるように作られてて、穴場だと思う。
すぐそばの小学校の地下、五年間の寿命だったサンドミンゴ教会跡へ。信者だった長崎の代官が寄進した土地らしい。ドミニコ派は最も貧しいひとによりそった。彼らがいちばん犠牲者をだしたそうだ。
夜間開放されているとのことで、夕食後はグラバー邸に。いくつかの明治の居留地の住宅が集められた長崎観光の目玉だ。今の時期でラッキーだったなあ。建物からはグラバーの家庭への幻想がかんじられて、ちょっと、ぞくっとしたのは、夜だからなのだろうか。
バラのしつらえが立体的できれいだった。ものすごく贅沢に使っていて、こういう庭園はめずらしいのではないだろうか。
二次大戦終戦間際、身寄りのなかった息子の未亡人がイギリスに強制送還されたらしい
満月で大浦天主堂がくっきり見える。
信仰と資本主義、ロマンと欲望なんかを感じてしまった。
続きます