oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと、書いています。

大阪の背骨を歩く 3

 寺町を四天王寺に向かいます。小春日和で、歩いていると暑いぐらいです。一人のおばさんが迷っているのに、気がつきました。話を聞いて見ると、太陽のほとけさま、大日如来のある寺を探しているとのこと。寺の名前はと聞くとわからない、二ヶ月前、テレビで見たとのこと。しばらく、一緒に探したんですが、どうにもならない。

 生魂神社境内から痩せた大型犬を散歩させている、茶髪のおじさんががやってきたので、パスしたんですが、避けられてしまっている。どうにも、力不足でした。なんか、もやもや。

 どんつきの夕陽ヶ丘高校前に行くと、今度は、釜ヶ崎のおっちゃんらしい人たちが、お寺の周りを掃除しています。なごやかに世間話をしながら、休憩したました。いいお天気だし、綺麗な市役所の作業着を着てるし。前も平日の10寺ごろ、四天王寺に行ったとき、夕陽ヶ丘の高級マンションあたり、妙に身なりのいい人たちが廃品回収していたんですが。市が抽選で、おっちゃん達に、そういう仕事を回していることを知りました。人気があるので、何ヶ月かにいっぺんと決まっているようですね。

 地下鉄、夕陽が丘駅前に出て、四天王寺に行きます。ちかくの愛染坂上に百人一首歌人藤原家隆の塚があります。出家した彼が、

「ちぎりあれば難波の里にやどり来て波の入日をおがみつるかも」

と、うたった場所です。そばに、今も夕日が見えるらしい大江神社、口縄坂もありますが、今回はくたびれていたので、パスしました。

四天王寺へ。

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 境内に新しい休憩所ができていました。ガラスが全面にはいっていて、暖房もきいています。テーブルでベビーカーの子供づれのお母さんたちが、お弁当をひろげていました。ちょっとした軽食、おみやげも売っています。そこで、天王寺蕪のつけものを買いました。

 地野菜のかぶら、食べて見たかったですと、話しかけると、二月に、かぶらをふるまうからどう、とのこと。フレンドリーです。境内でお坊さんが説教をしてたりで、お寺として、生きている。この前、行ったとき、重い障害のある車椅子のひとといっしょに連れ立つことになったりして、色々と不思議な人も来る界隈ですが、お母さんたちも安心なのでしょう。

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夕日を拝むようにつくられた西門です。門をすぐ出ると親鸞が布教をしたお堂があります。

 

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 ここは浄土真宗の管轄らしいです。鳥居のすぐ先は切り立った崖になっています。かつては海が見えたそうです。そこを降りると一心寺です。通天閣が見えてきました。

 

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 前回、人ごみにひかれて、一心寺に迷い込んだとき、ここの信仰が遺骨を集めてつくるほとけさまだとしって、びっくりしました。無縁仏の供養にも熱心なようでした。

 反対の歩道を歩いて行くと、真田幸村の終焉の地という、安居天満宮の看板がありました。ほぼ、お寺の真向かいです。そして、茶臼山の徳川本陣がすぐそばであることに気がつきました。歩いて10分もかからない。当時、その辺りが森としても、すごく近いです。この辺りは、大坂夏の陣の激戦地でもあったのか。死体が累々としていたのだなあ。

 そこを五分ほど下ると、能や三島由紀夫の戯曲で有名な、弱法師の舞台、合邦の辻です。中世、崖下で貧しい人々、病める人々が群がっていた場所です。インドのバラナシのようなところだったんでしょうか。崖下の中心は、人が住めない天王寺動物園になっていました。その奥に、通天閣を中心に、明治時代の歓楽地、新世界が放射状にひろがっています。

 徳川家康の旗印「厭離穢土 欣求浄土」の意味が、体に入ってきました。これは、家康の菩提寺の浄土宗のひとが、励ましに与えたそうです。浄土系の宗派の開祖、源信の「往生要集」のことばらしい。浄土系は、キリスト教プロテスタントに当たるかなっと、私は感じています。新らしい村組織、新らしい産業をになった人々の宗派です。

 戦国時代、荒れ果てていた一心寺は、親鸞の師、法然が人民救済のために建てた寺です。わざわざ、頼んで境内の山を本陣に借りました。だからか、大坂夏の陣のあとすぐ、その門を移築して、家康の寄進で再興されたようです。政治的な意図で、ここだったのですね。

 参謀の本多正信をはじめ、徳川家臣は、平等を尊ぶ、浄土宗系の信者が多い。彼らは、家康を中心に、中世的な貧しさ、戦乱のたねを葬り去るという無意識を抱いていたのだなっと思いました。

 そして、大坂夏の陣は、時代に取り残されたさまざまの立場のひとびとが、葬り去られた戦いだったのだなと、切なく感じられました。幸村は、どこに行くつもりだったでしょう。茶臼山の本陣か、それとも。大阪夏の陣に参加していた、キリシタンの武士、森宗意軒は高野山にのがれ、のちに島原の乱の中心人物になっているそうです。

 茶臼山天王寺美術館から入れますので、行ったことがあります。古墳のあとです。古代からの聖地でもあるのですね。その脇を通って、一心寺わきから、天王寺駅に出ました。歩いて20分ぐらいかな。歴史と貧富が、重層的に重なっていて、ものすごく、濃いところです。でも、なんか、心ゆらいで心地よかったです。

 

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