oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと、書いています。

モラルと表現「漂流怪人・きだみのる」

 

 

  直木賞をとった三好京三の「子育てごっこ」という本をご存知だろうか。子供ができない分校の先生夫婦が、放浪の芸術家の晩年の子を引き取って育てる話だ。未就学児で躾のなっていないその子を更正させて、ついには養女にする。映画にもなって、美談として、消費された。子供心になんかなって思った。案の定、のちに、その娘がぐれて売春したり、養い親の虐待を告発したりした。

 あの当時は、娘の非行をえがいた「積み木崩し」が、テレビ、映画にもなったりした。まだ、メディアのそら恐ろしさに鈍感な時代の、いやあな話のひとつだ。このモデルになった老人がいた。娘が引き取られる直前、その人、きだみのる嵐山光三郎が、「ニッポン気違い列島」という本をつくるための取材で、全国を回ったらしい。そのころを回想し、その存在の意味を示したのが、この「漂流怪人・きだみのる」だ。

 読んでみて、驚いたのは、戦前、「ファーブル昆虫記」全巻をはじめて翻訳したひとであること。旅したころ、業績をたたえて、全集も出ていたことだ。そして、戦後の村落の後進性を描いた「気違い部落周遊紀行」は映画になり、怪優、伊藤雄之助の主演で大受けした。だから、実は、お金もかなり持っていた。

 彼は、パリで岡本太郎の後輩として哲学を学んだ、大インテリで、とてつもなく、愛嬌のある人だったらしい。しかし、何人もの女の人と関係し、五人もの子供を作り捨て、放浪先でゴミ屋敷をつくり、お金に汚く、人を裏切るロクでもない人物でもあった。

 若き編集者だった嵐山光三郎は、そんな彼と、晩年の不倫の子で、母にうとまれ、行き場がない10歳のミミと呼ばれた娘と旅をする。戦前の「モロッコ紀行」という放浪の記録に惹かれて、いっしょに本を作りたかったからだ。そのなかで、嵐山は、彼と旅をし、彼の作る稀なるご馳走を食べ、教養にふれる。しかし、彼は、多くの尊敬してくれる人が作ってくれた居場所を、ゴミだらけにして、暴言を吐き、だんだんとさけられるようになる姿をみる。

 連れられた娘は、難しい本を読みこなし、海外体験やぜいたくな食事の味を知るが、行儀はなっていない。そして、娘の前で猥談をし、女の人をからかうのを見ているから、子供なのに媚びがある。同行していた、元から尊敬していたカメラマンも、旅の最後には、彼に失望する。嵐山の視線もひややかになっていく。

 そして、ついに、行き場を見つけられない彼は、地方で尊敬されていた教師夫妻に娘を託す羽目になったようだ。教師が、作家をめざしていて、彼をモデルにした小説を書いたことで、トンデモと知ったが、取戻すことはできなく、亡くなる。そのあと、教師、三好京三は、彼らをモデルに直木賞をとる。

 この本のなかでは、その後の娘の道行も描かれる。ロンドン大を出て、イギリス人と結婚し、銀行員になったらしい。その更生には、かの瀬戸内寂聴が、だいぶ、協力した。そして、まっとうな社会への訓練をしてくれた、三好京三とも和解した。三好が現れたのは、才能があるからといって、どう生きたらいいか、本質的なモラルとはと、彼らに親子に突きつけられた、社会の刃のような気がする。

 その後、嵐山光三郎は、会社をやめ、彼が戦前発表した、「モロッコ紀行」の地を家族と放浪した。そして、作家への道に進んだ。彼はこれらの経験で、西行芭蕉もきだと同じ破綻者だと語っている。人間社会を異界をしていきるということは、とんでもないことなんだろう。そのことを心にとめて、嵐山光三郎は、今年も、芭蕉の本を出したらしい。

 三好があの本を書いたのは、晩年のあらかさまな著書の題名にあるように、「なにがなんでも作家になりたい」だったからだと思う。その罪悪感が、書かれているような、娘の許しがたい卑怯なかたちの告発も許そうとした。彼の虐待はなかったとは思えない。川の字に寝るとか、もう、大人の事情を知っている娘には、耐えがたかっただろう。なにより、ろくでもない両親に捨てられたこと、三好に小説のために利用されたことの、傷を含めてなんだろうなと思う。

 それにしても、開高健にも影響をあたえた、破綻者、きだみのる文学史上の意味は、これからも、ひそやかに伝えらていくのだろうな。なんとも、業のふかい人々のはなしだった。なんとなく、モラルってなんなんだろう。社会と反社会とのせめぎ合いを感じたから、私もこの話が心のすみっこに引っかかってたのかな。

漂流怪人・きだみのる

漂流怪人・きだみのる