oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと、書いています。

歩くこと

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 いつから、歩くことが好きになったんだろう。田舎の朝の海岸を、母方のおじいさんとフナムシなんかを見ながら散歩した快感だらうか。かつて、朝8時の法隆寺に行った。確か、六年生ぐらい。弟も連れて行ったのだろうか。今だったら親がとめたかもしれないが、家業に忙しく、かまってられなかっただろう。そんな盗みとる時間が喜びだった。

 お堂の彫刻をみて、この世にこんな複雑でドラマチックな彫りモンがあるんだと、シーンとした朝に感心した。その後、だれもいない興福寺の汚い宝物殿で、触れそうな距離で見た、阿修羅像は忘れられない。そこで買った、土門拳の阿修羅の写真を、ずっと、べんきょう机のそばに、長い間飾っていた。そして、ゆっくりとていねいに歩くと、素敵なモンに会えると信じるようになった。

 子育てに、に詰まってたとき、神奈川県伊勢原市にある大山神社への道、大山街道の本に会い、こつこつ歩きだしたのが、長く歩くようになった、きっかけだと思います。ほんとは、山に囲まれたところに住んでるんで、登山客にあこがれてたけど、体力がなかった。あと、友だち作るのも苦手で。山って、実は女の一人歩きは危険だ。でも、町歩きだったら、旧街道は、バスもたくさん通ってて、途中で切り上げれるし。歩いていると、だんだん感覚的に4キロだと二時間ほど家事をしてる感じだと体が感じて、それからは、すごく楽に歩けるようになった。翌日、休みがあれば、体力も回復するのも実感したし。体が弱くても、年取っても、子供でも、楽しんでたら、10キロぐらい、すぐ歩けるようになる。だから、災害の時も安心してください。どうやら、人間は、潜在的に、それぐらいは歩けます。次の日、動けないことはあっても。

 アスリートの文章で読んだのですが、現役時代は練習で体力を使い果たして、省エネで車で移動していて、引退後、歩くと足も速いので、退屈でたまらなかったと。サッカー少年、野球少年も、町のウォーキングの行事に、体力があるからと呼ぶけど、途中でリタイアしてしまうって聞きましたね。歩くの退屈なんで、観察能力がひつようになる。それをみがくこと、歴史がすきになるとか、特別なお買い物を求めるとか。歩き出すと、体がよみがえってきて、自分の欲望がみえてくるのも、歩くことの快感だ。

 そういえば、ブラタモリで、タモリさんが町には記憶があるっていうけど、大山街道を歩いているとき、最初、お弁当をもってたけど、必ず一キロぐらいで、コンビニとかファミレスがあり、手ぶらで歩くようになった。かつての茶店のあとなんですね。でも、油断して、伊勢原と藤沢の一編上人ゆかりの遊行寺にいく道を歩いたときは、お店もなく、バスもなく、街中で遭難しそうになった。信仰が途絶えたこと、鉄道でさびれたこと、そして、元々は田んぼを突っ切る道だったこと、へろへろになったけど、面白かった。お寺に行けなかったんですけど。

 長い距離を歩いていると、ホントいろんなものが濃密に見えてきます。だから、遠くに行かなくても、旅はできるって実感できるし、なによりも体で考える経験って快感なんだな。

 

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