oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

生身の人間がいる。映画「沈黙」

映画チラシ 沈黙 サイレンス アンドリュー・ガーフィールド

 昨日、映画「沈黙」を見てきた。若いとき、感銘をうけた小説だ。何年か前、修道士を志したマーティン・スコセッシが映画化すると聞き、面白いなあと思ってずっと待っていた。ちなみにスコセッシの映画は「タクシードライバー」と「ギャング・オブ・ニューヨーク」しか見ていない。ファンとはいえないなあ。しかし、歴史への興味が似てるんだろう。後者は、今は絶版になってる原作をがっつり読み込みました。後から来た移民が居場所を求めて、手段をえらばず闘い取っていくはなしだ。そのなかで描かれた、ニューヨークの貧民街の最下層のアイルランド系と黒人が混血して、白い人が白人として、黒い人が黒人として生きていった歴史は驚きだった。その本しか読んでないので異説もあるだろうけど、アメリカの人種間の問題の根深さなんだろうと思う。アメリカの黒人はアメリカ人なんだ。二度目に映画をみたとき、アイルランド系の敵役と娼婦を演じる黒人の目鼻立ちの白い女優さんたちの絡みがカラバッジョみたいだと思った。善悪を超えた人間の業の輝きというものだろうか、美しかった。映像で歴史を語るってこういうことだなと思った。ちなみにヒロインにキャメロン・ディアスが出ているけど、名前が示すようにヒスパニック系の白いひとなのだ。そういった人々の手段を選ばない戦い、生き残ることの切なさ、無残さが「沈黙」に通づるものかなと思う。生身の人間の尊厳があるから、そんなはなしも輝くのだ。

 「沈黙」は母が信じたキリスト教がどうにも合わないと感じた遠藤が、その布教の問題点をさぐった小説だ。その問題をスコセッシは、映像で物語る。なぜ、かつてキリスト教が定着しなかったか。そこには宣教師たちの無意識にある教化するというエリート意識の思い上がりがある。だから、まず、彼らと同じような支配層であったインテリ層に布教された。しかし、日本には強固なもともとの宗教観がある。そんな内面を見下されたことに、嫌悪感を抱いた彼らにしたたかに逆襲された。それは実はすでにヨーロッパで、アジアで、南米で問題になっていたことだった。なぜ少年たちが遣欧使節に選ばれたか。それは純粋無垢な子供扱いされた蛮族の象徴だったからだと思う。蛮族だからなにかを奪ってもいい。映画で浅野忠信演じる通詞が、捕まえた主人公の宣教師を「傲慢なやろうだ」と吐き捨てるのは印象的だ。しかし、病や貧しさから救いを求めて、心を差し出した人々は既成の社会への無言の批判者だ。それも彼らには腹たっただろうな。

 そんな善悪とか正しさとかでは割り切れない人間の生の感情をえがいた原作をスコセッシは映像のちからで美しく描いてくれた。拷問のシーンでさえ美しい。人間の命の輝きだ。塚本晋也演じるモキチの姿の神々しさよ。霧にむせぶ情緒的な映像。圧倒的な自然、厳密な時代考証、そして的確な演技指導。日本の映画界でも居場所が定まらなくなったナイーブさを持つ、窪塚洋介のキチジローはいい。キチジローは相変わらず強さや優秀さに優劣をつけて信者に求めたキリスト教に苦しんだ遠藤周作の影の自画像だと思う。卑怯でしたたかでなさけなく、そして依存的な。善悪とか裁くことよりも、あったこと、為したこと、そして内面に抱いているものが大切なんかもしれんなと思わせる映画だと感じた。

 

 追記したいことがあります。

 若いとき、キリスト教に憧れの先輩から誘われ、断ったら記憶が落ちるほどの暴言を吐かれたことがあります。しかし、今考えると彼女よりよほど辛い人生を過ごしてたと思う。彼女の実際は知らないですけど。でも確かに私は、苦労に甘えたいやなやつだったです。それを踏まえて生き続けるって悪くないです。それゆえ、「沈黙」は大切な本です。

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