oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

「逃げるは恥だが役にたつ」自意識のもんだい

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 ドラマ「逃げるが恥だが役にたつ」SNSで評判だったのでぼんやり見だしたのだが、これがびっくりするほど刺さったので、感想を書きたくなりました。ちょっと昔の時代劇やらに新妻ものというは結構ありましたね。かつてのお年寄りはそれに結構萌えたのだ。今の人はあほらしいって見ないかな。でも、アラブの王様に囚われた主人公がだんだんととか、少女漫画でも定番ですね。その現代版みたいな感じで見ていました。

 新味としては童貞をこじらせたっぽい星野源と、とびっきり可愛い新垣結衣が主役なことだろうぐらいだ。新垣結衣はあんまし興味がなかった。わたしの中では「恋空」っていう、トンデモ映画に主演したっていうイメージがあります。間違った努力でも熱意があれば恋に落ちるっていう幻想を主人公ふたりの可愛さでねじ切った話だ。実際このドラマでもお料理が上手で、引っ込み思案だけど、頭のいい、今の理想の女の子を演じている。守ってあげたいって感じですね。就職に向かない子が、契約結婚でお給料をもらうことを提案されるのだ。これもよく聞く話で、わたしなんかも家事やらお給料にしたらいくらと冗談で言い合ったりしたことがあります。

 それが、えっと考えさせられたのは、副主人公の風見さんが、星野源演じる、ひらまささんが、かつて付き合った初恋の人と似ていることを指摘し、新垣結衣演じる、みくりさんの恋心を認めて、彼女をあきらめる9回だった。そうなのだ、狙っている女の子が許してくれるだろう理想の女の子に、風見さんの彼女は負けたのだ。彼女は風見さんのそのままの彼女でいいという気持ちに気づかず、自分がどう見られるかのほうが大切だったのだ。それって、いじらしいと思うけど、自分のことしか考えていない。たぶん、ひととは違うことを肯定できなくって、ひとに深入りできないひと多いと思う。はたから見ると、ちょっとしたことなんですけどね。それじゃいけないっというのがこの話のキモなんだなと、すごく面白く感じた。それ自体はそんなに新しい話じゃない。原作のひとが前作で鎌倉時代後期の「とはずがたり」を漫画化してるのってヒントだな。古典に多い身分違いの恋というのは、深く探っていくと自意識のもんだいにつき当たるのだ。だから今でも考えさせられませんか。

 周りに承認されることを求めるあまり、相手を受け入れることがみえなくなる。ひらまさくんが恋愛が成就したあと、迷走してしまったのもそうですね。養うのが男っていう社会由来の幻想に目が眩んで、相手がみえなくなる。でも、みくりにも問題があって、雇用ってお手伝いであって、相手に従うことでも依存することでもない。だから、結婚で給料がなくなることは愛の搾取って思うのは、それは元々対等でないからと思い込んでたから。どっちもどっち。夫婦って共同経営者なんですよ。本来。それは社長を実は社員が養っているのと一緒で、社員が気持ちよく働いてくれなければ会社は動かない。確かに社長さんの夢を実現するため、利益を上げるために会社はあるとしても、手伝いがないと動かないっていう意味では対等なんじゃないか。そんなことも考えてしまった。まあ、そんな簡単なことではない、社長さんになれるのは元々お金持ちで、社員さんにお金があげられってこと多し、人脈もある人多しで特別なひとっぽいしで、簡単ではないですけど、でも本来、上下があるわけではない、役割があるだけだ。なぜなら、ひとはひとりで何もなせないから。って脱線してしまったけど。

 つまり、限界のある別なひとたちが、一緒に生きたいから夫婦になるんです。だから、プールされたお金から、本来は堂々とお互い、お小遣いと休暇を請求できるしです。そして、どちらかが倒れても、そこに信頼と愛情の実績があれば、なんとかしようって思うはずだなんて、理屈っぽく考えてしまいました。うん、たかだかドラマで熱くなってしまった。新垣結衣ってコメディうまいって思って、初めていいと思ったし、星野源は感じいいし、恋ダンスは可愛いし、石田ゆり子はさすがだし、気楽に今の感じを楽しめばいいんだけど。

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