oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

善意こそがひとをそこなう「みんな彗星をみていた」

  遠藤周作の「沈黙」は私の好きな小説のひとつだけれど、いまいち背景がわからなかった。そういった悶々に答えてくれたのが、星野博美さんのノンフィクション「みんな彗星を見ていた」だ。このなかで星野さんがカトリックの世界への宣教は最古のグローバル企業で、マグドナルドみたいなものらしいと書いている。読んでて、彼女のインタビューにもあるが、どうやら、今、世界は、そのころの罪悪の清算をしているということにしみじみ共感した。そこにある、善をなそうとすることに、ひとは追い詰められるのだ。

 日本布教の頃、ヨーロッパではカトリックが、科学の発展や新しい新教、そして新大陸の富による腐敗で追い詰められていた。そこで、折しも始まった大航海時代、新しい土地、東洋への布教が決心されたらしい。そして、選りすぐりの優秀な人たち、家柄もいい、街の誇りのような若者が、宣教師として、各地に送られた。海を乗り越え、苦難を制した、筋金入りの人たちだ。そこへ既成の宗教に飽き足らない、心病んだ戦国時代の日本の人々が群がったようだ。最初にはいったイエズス会では、日本の高僧の行いを参考に、潔癖な日本人に合わせたマニュアルまであったらしい。

 そんな、深く日本人の心を取り込む様子を恐怖して始まった、キリシタンの弾圧は、元々、過激な浄土真宗からの転向が多かったりの深く傷ついた人々を追い詰め、そして、その人たちに共感し、居残った宣教師たちに、残酷な殉教を強いることになった。そして、信者たちはいつしか、殉教した人々の遺体につよく執着し、死を望むようになり、いよいよ邪教として扱われた。どうしてこんなことが起こったか、星野さんは、先祖の地にあった難破した南蛮船との交流の記憶にみちびかれ、中世の楽器リュートを学び、キリシタンの遺跡をめぐり、宣教師たちの文章をよみ、彼らの心を探っていく。

 彼女は、キリシタン迫害の現場、長崎の片隅に残された最初の殉教者を祀った教会の跡地、宣教師たちがほぼいなくなって、教義が土俗化して追い詰められた人々がこもった島原などをめぐっていく。それらは、今も世俗の権力に逆らっため、教会にも、日本にも無視されている。彼女は、権力者の感情的な行為、ローマの冷たさ、そんなことを見なかったことにして、長崎の教会遺産とはばかばかしいなあと、本のなかで疑問をもっている。それは、キリスト教系の学校で学んだとき感じた違和感でもあるらしい。

 そんな残酷な人間の現実をよそに、その当時でも、ヨーロッパでは、すぐさま、日本で起こった殉教が、熱狂的に絵画や演劇にされ、日本人の残酷さが強調されたらしい。ヨーロッパは日本を凝視していたのだ。そして、それは、ある意味、世俗化する前のカトリックが最後の輝きをもった、日本への布教の興奮だったのだ。そのなかで、「沈黙」で描かれる、上流階級出身者が多い、イエズス会のリーダーのひとりフェレイラがころんだのは、衝撃的なことだったらしいことも納得できる。

 しかし、それでも、大概の現実的な選択をしたなかで、一部の宣教師たちが、その殉教を引き受けたのか。それは、海を越えてまで、悩む人々に真摯に耳を傾けた、彼らへの尊敬と、そのひとたちを一途に信頼し、正しく生きようとする信徒たちへの宣教師の尊敬が起こしたことなのだ。結局は、ひとはひとを切実に必要としている。実に人間くさいことなのだ。たぶん、その後の植民地などで行われてた営みなのだろう。それが文化や秩序の破壊、そして搾取につながっとしても。愛というのは厄介なものだ。

 星野さんは最後、殉教者の故郷スペインを訪ねる。そこでは、バスクの首都とも言える大都市の教会が軽侮され、信者が集まらない。そこの信徒だった、びっくりするほど優しい男は忘れられていた。そして、最後に訪ねた小さな町の教会では、なり手が無く、コンゴ人の牧師が支えているありさまだ。そのなかでも、町のほこりである殉教者を忘れない人々がいる。彼はただ、日本のカトリックの歴史を報告しただけのひとだ。しかし、町のほこりだった青年だった。そして、彼が40万人もの日本人信者のために戦い、そして幾人もの同士ともに死んだことに初めて知り、彼らは涙する。そんな宗教とはなにか、日本人になにをカトリックがもたらしたか、人間とは何かを求める旅が記されている。

 

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 今のカトリックの現実