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oohaman5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと、書いています。

アン・ブロンテ「アグネス・グレイ」とオースティン

 

ブロンテ姉妹 ポケットマスターピース12 (集英社文庫 ヘリテージシリーズ Z)

 

 編者の桜庭一樹さんのtwitterに惹かれて、ブロンテ姉妹の末っ子のアン・ブロンテの「アグネス・グレイ」を読んでみた。アンも小説を書いていたのは知っていたが、きちんと紹介されたのは、初めてなんじゃないだろうか。巻末の作品外題でも指摘されているが、同時代のジェーン・オースティンに似て、するどい社会批判がある。特に、「偏見と自負」のあとに描かれて、評判の悪い「マンスフィールド・パーク」に似ていると思う。どちらも最近になって再評価されたのもわかるような気がする。植民地からの富にスポイルされ、モラルが緩んでいる社会に対する疑問として書かれたんだなあと感じた。両方とも福祉にはげむ牧師との結婚という、当時としても面白くない話で終わっているので評判がわるいけれど、お金ではない価値観を求めて描かれたんだと思う。宗教に頼るのは、当時の限界かもしれない。

 貧しい中産階級に生まれて上流階級に養われた主人公ファーニーは作られたヒロインだけど、「アグネス・グレイ」は狭い範囲ながら、上流階級で家庭教師として働いたアンの実体験をそのまま描いたので、とてもリアルだ。そのなかでアンが見ただろう、 お金にスポイルされて、地位があってもろくでなしの男に平気に娘をおいやる愛情のうすい母親の姿、そして、美貌をちやほやされることに流されて、その本質的な辛さに目をつむる娘の哀れさに対するきびしさはなんだかなと思うけれど、本当によく描かれている。不幸な若い娘のアンが、世間の狭さ、生真面目さや妬み嫉みも含めて書いているのも、すごいなって思う。「マンスフィールド・パーク」も親にちゃんと教育されず、本人たちも思い上がってモラルのないことをして、不幸になるわがまま娘たちの末路が描かれているけど、その内面の幼さにまで踏み込んでない。

 当時の社会で跡継ぎになりえない女の子を産んで、夫にないがしろにされた娘の「私が女の子を育てて、なんの喜びを得られのかしら。あの子は私をどんどん越えていくでしょう。私が永久に禁じられた数々の喜びをあの子が楽しむことになるのだから」というセリフはすごいと思った。これは不幸の再生産だろうと思う。アンは貧しいアイルランド人のたたき上げの牧師の家に生まれ、教師というひとを導く仕事をしていたから、観察できたのだろうと思う。同じことをテーマにしても、成功した家に育ったオースティンはいかに勝ち抜くかの知恵の話にはなっても、敗者の救済には思い煩わない。ただただ、悲しみを感じるだけだ。そして、新しい時代の生き方の提案に目が移っていく。エンターテイメントのプロの作家だ。

 アンの小説は次作の「ワイルドフェルホールの住人」のほうが評価が高いらしい。こちらはずばりDVを受けた女性が立ち直っていく話だ。アンがまきこまれた兄の悲惨の人生を反映しているとも言われているけど、救済がテーマなんだろうと思う。主人公が、最後、身分の低い男性を結ばれるというのも面白い。たぶん、アン・ブロンテは未完で終わった才能だけれど、あの当時のインテリ女性が、社会をどう思っていたかのヒントを与えてくれるひとなんだと思う。植民地から搾取したお金で発展した社会とモラルの問題は、今日的な社会の混乱の元になっている話であるな。「ワイルドフェルホールの住人」はドラマにもなっているらしい、ちょっと見てみたい。

 

ワイルドフェル屋敷の人々 アン・ブロンテ原作 [DVD]

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