oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと、書いています。

寺山修司がわからない

  深夜、テレビをつけると増田セバスチャンと平井堅の対談をやっていた。寺山修司が好きでアートのせかいに入ったと知ってから、気になる存在だ。だから、大体そうだろうなと思いつつも、自伝の「家系図カッター」も読んだ。親と問題があるひとは、総括すべきっていうのはこたえるのですよ。女の人は産みたい本能にふりまわされて、あいまいな形で家庭をつくることが多い。私もその一人だったからだ。

 大好きな山田太一が、寺山修司と早稲田で同級生で、濃密な人間関係をむすんだ時期があると知った。代表作の「早春スケッチブック」はその関係が色濃く反映されていると思うのだ。そして、愛読している田口ランディ星野博美が、わかいとき、寺山修司にわざわざ会いに行ったことも知った。彼に会って、彼女らは自分なりの目的を無意識から引き寄せたようだった。私にとって、寺山修司は謎になった。思えば、寺山修司の周辺にいたひとの作品が、気になっていたからだ。

 私が寺山修司にふれたとしたら、学生時代の部活のイベントで彼の元妻、九條今日子をちらっとみたときだ。先輩があの方が九條今日子さんよって、ささやいた。なんてことない、平凡な後ろ姿だった。彼のことは、前衛演劇をしている不可解なひとってかんじで、名前だけは知っていた。奥さんのことなんか、知らなかった。あれは誰だったんだろうか。あの頃の私はずいぶんと子供で、心閉ざしていて、恋愛や人生になやんでいる彼女たちにたいして、鈍感だったんだろうと思う。ときどき、部活の同窓会のお誘いがあるが、行けてない。どうふるまっていいかわからないからだ。

 あそびの集合の時間は守らない、すっぽかす、そして、交通費の小銭を借りて返さない、嫌われていたのは当たり前だった。そんなこともわからなかった。自分の環境が社会からずれていたのに、気がつかなかったのだ。幸い、卒業してすぐ、そこのところは気づいたので、助かった。よく寛容に付き合ってくれたと思うし、無視されていたとも思う。どうしたら私に届くか、かれらはわからなかったのだろう。そんな悔しさといっしょに思い出すのが、あのささやきだ。かつて、青森県立美術館にいったとき、ギフトショップのおみやげに、寺山修司の著書「書を捨てよ、町に出よう」選んだ。青森に行ったのは、寺山修司の故郷であったこともあったのだと思った。

 増田セバスチャンの世界は、なぜかなつかしい。かつてあった幼児のきもちをブックマークしたような感じだ。本を読んでいて、かつて篠原ともえが、彼の店に出入りしていたことも知った。あのころ、彼女は礼儀正しいのに、芸能界のおっさん社会に徹底的に嫌われていたなあ。テレビを見ながら、そんな混沌としたきもちが湧いた。

 

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

 

 

 

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