oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

まんが「とりかえばや」ふつふつとわく母系のちから

 さいとうちほのまんが「とりかえばや」を読んで、リボンの騎士、ベルばら、彼女自身の「少女革命ウテナ」をへて、平安末の院政期にかかれた原作「とりかえばや物語」に至ったのは必然だなと思った。日本はかつて、妻どいなんかをする母系社会だったけれど、中国の文化をとりいれ、少しづつ男性中心の社会になった。それが意識化されて、女は損って思うようになったころ、この原作は書かれた。紫式部清少納言が大活躍した時代のあとだ。武士という暴力集団が台頭し、あらかさまに女すっこんでろという時代になった。しかし、古代の尻尾が残ってるのが日本だ。ふつふつと古代からの女の力は動いていて、あっというところで噴き出すのである。

 でも、その女のちからの伝統は、甘えたおとこやら、母が支配しやすい無責任おとこを許しているのである。かくして今の日本のおんなは仕事ができて、家事がばりばりでという社会に悩まされようになった。保育園がないのに、子ども育てて、仕事しろとかね。実はかつて女流作家が認めらたりする社会であったことは、もろ刃の剣なんだろうと思う。

 男中心の社会がはやくにできた社会では、エリートであれば、家事なんかの男にとっての雑用をしないですむ女性が多いようだ。だから、メルケルさんとか、クリントンさんがたくさんいる。だからといって、生活のキモである家事のたいせつさがおろそかにされていいわけでもない。そして、おんなのひとが腕力でいじめられないわけではない。 守ってくれるおとこはちょっとずれると暴力おとこでもありますので、はい。日本のように古代的な母系がちらちらみえる社会ってめずらしく、そこに少女まんががあり、そして男装女子の伝統があり、魔法少女が肯定されていたりする。で、日本のBLがアメリカでひそかに受けてたりする。あれは男女が対等でありたいという、ひそかな願望のパロディだと私は思っている。

 「とりかえばや物語」は女だって政治を変えて世の中をよくしたい、男の同性愛が権力をえる手段になってるのは許せないとか、いろんな男と付き合いたいとかといった、いろいろな当時の女の欲望や夢や批判がごっちゃになった話だ。それをさいとうちほは、今のモラルに合わない部分を整理し、少女まんがの王道の純愛をまぶし、心地よく描きなおしていて読みやすい。SNSをするようになって、同世代かちょっと上の世代のまんがをよく読むようになった。近藤ようこ波津彬子、読んでなかったなあ。いや、SNSのせいではないな。子育てが思い通りにならないのにあがいていたのをあきらめて、身軽になったからだと思う。やっと、お互い背中を向けて戦っていた、同じ時代を生きてきたひとに気づいたんだと思う。うん、悔しいけど、読んでて頼もしい。

 

 

 

とりかえばや物語 (文春文庫 た 3-51)

とりかえばや物語 (文春文庫 た 3-51)