真田丸の第18回をみて、主人公の行方不明の姉おまつが家族と再会する場面の間の抜けたセリフを聞いていると、主演の三人、草刈正雄、大泉洋、堺雅人は、コメディの達者な俳優さんだったんだなと思い出した。コメディにすると、大概の悲劇への視線が遠くなる。なぜなら、見ている人が日常を思い出すからだ。そうなんだ、どんな辛いときでも、人はご飯を食べ、美味しいとか、まずいとか感じる。そんななかで、人生はどんどん気の毒な話を展開していくわけである。ドラマは第19回の茶々さまと信繁の恋も怖かったけど、次回予告も怖いな。
わざわざ、公家の娘さんらしいひとを嫁にもらう都会コンプレックスな真田家なので、今でいえば田舎のがんばっている中小企業みたいなもんだ。でも、これでは、格好いい一族のはなしは破綻するわけで、いいところも、俗な恥ずかしいところも、コメディというと両方描けるわけである。
さすがに信繁と茶々の恋愛はないと思うが、二十代前半ごろの若いときの刺激的な大阪城の毎日が、信繁を大阪入城という勝ち目のない戦いに誘ったのだろう。怖いこともあっただろうが、美味しいものを知り、一流の人の面白い話を聞き、最先端のアートを見る。毎日が夢のようであったろうな。日本を動かす政治の場にいたのだ。
らい病になった大谷刑部のむすめを正室にもらい、秀次のむすめを側室にするぐらいだから、かなり、内情に取り込まれている。三成派の幹部候補だったんだと思うなあ。そうった意味では、秀吉の側室になることで近江派の人々を巻き込んでしまった茶々は、信繁にとっての運命の女、ファム・ファタールであったことは間違いない。
今までの大河では、成り上がることが大衆の夢だった「太閤記」をふまえて、秀吉は英雄で明るく前向きなので、ねねをいじめる茶々はあっても、秀頼の父についてまで踏み込めなかった。だから、全くのスピンオフとして、かつて民放の「大阪城の女」とかあってだな、側室たちをいじめる悪役然とした秀吉夫婦のはなしがあったりした。戦後すぐの母もので有名な三益愛子の、跡取りにこだわる姑みたいなねねが怖かった。今の韓流ドラマみたいなノリの女の人向けのホラーみたいだった。しかし、ドラマにするなら、壊れていく秀吉とうそつきだったかもしれない茶々はみてみたいものである。そのキワモノみたいなものを取り込みつつ、NHK頑張ってるなと思う。しかし、日曜日の8時にそれを描くって、今はコメディのセンスなんですね。
ユダヤ人の悲劇を背景にした映画。つらいことは笑ってしまうしかないなあ。