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oohaman5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと、書いています。

カラバジョ展行ってきました。

 

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 カラバッジョはイタリアでは、お札になったこともある、大衆的な画家であるらしい。日本での西洋絵画の紹介は、ルネッサンス絵画と印象派にかたよっている。私は最初、デレク・ジャーマンの映画「カラバッジョ」の紹介で知ったので、彼の無頼な生涯に気がとられて、絵としての意味がわからず、食わず嫌いだった。映画もなんか高飛車だなと見なかった。

 今回、NHKでの漫画家ヤマザキマリさんのドキュメンタリーで、やっと、上野の国立西洋美術館に行ってみようと思った。「地獄の黙示録」で有名なビットリオ・ストーラロも出ていて、カラバッジョの大きなコピーを飾っていた。あの陰影のメリハリがついた撮影は、彼の影響らしい。もっとも、最近、彼のプロデュースで「カラバッジョ」の伝記ドラマがイタリアで放映されたので、はったりかましたのかもしれません。今ではありふれた表現だけれど、カラバッジョは最初に光の陰影を自由につかいこなした画家なのだ。

 はじめて展覧会でまとまった作品をみると、彼は確実に絵画史上の重要な人なんだなと感じた。一番感動したのは、思わず触りたくなるようなやわらかい動きをかんじさせる筋肉の表現だ。たとえば、「聖ヨハネ」の裸体は腹に肉がついているのにもかかわらず美しい青年像だ。しかし、みだらでありながら、等身大の人間のなかに聖なるものを感じるのだ。それは複雑な顔の表情にあるのかもしれない。その流れで、今回はじめて紹介された「法悦のマグダラのマリア」を見てみると、マリアが死の表情をしめしつつあるなかで、心臓が波打つなめらかな肉体をまとっている。そしてかすかなあたたかい光がさしていることで、絵になんともいえない希望も感じる。とても不可解な絵で美しいとはいえないけど、心に訴えてくる。

 

 一番最初に認められた「女占い師」でも、画面の二人の表情の感情が記号的でなく、複雑で人間らしい。新しかっただろうなと思う。でも、それだけでは、ルーブル美術館なんかにある、無名だけど気になる絵にすぎなかったろうと思う。やはり、人間のつごうを中心にしたプロテスタントが起こりつつあった時代の空気が、彼をカラバッジョにしたんだろう。

 バッカスの二枚の絵もきていて、最初の絵は果物とバッカスが同じようにイキイキとしていているが、二枚目は果物が朽ちてみえる。命のかがやきを写し込めたいという絵描きの執念を感じた。自分のなかをさぐっていくなかでの、暗い死にひかれる部分の展示もあって、グロテスクでリアルだった。しかし、それこそも人間のみにくさに、大衆の下世話さにこたえたいという欲望だと思った。教会とは、信仰とは、猥雑なものなのだ。たぶん、彼の絵は、光と影、生と死、俗と聖といったコントラスのある複雑な人間のなかに美をみいだすってことなんだなと思った。

 今回、いろんな関連作もきていて、面白かった。長崎の二十六聖人の絵や、画集でみたことのある煙草吸う男とかもあった。そして、なによりもこんなにまとまった数のカラバッジョの絵によって、彼の光と影の表現、描写のリアルさ、そして進化がみれてよかった。