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oohaman5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと、書いています。

マンガと映画

 

 日本映画が流行らないのは、漫画があるからだとこのごろ思う。漫画の編集の世界を描いたドラマの「重版出来」を見ていると、しきりにネームの話が出てくる。ネームとは、漫画の画面構成とセリフを下書きをしたもので、映画でいうところの絵コンテになるものらしい。絵コンテとは映画の画面の構成とシナリオの流れを絵で表したものである。映画の世界は総合芸術で、優秀な撮影監督がいるので、必ずしも絵コンテを切らなくてもいい。特に、テレビドラマはないらしい。アメリカのドラマでも「奥様は魔女」なんか舞台のようだった。日本だと舞台演出家出身の石井ふく子さんの作品がそうだ。だから、ほとんど、舞台の実況のような画面構成をささえるため、橋田壽賀子の膨大な長ゼリフが必要なのだ。私、橋田ドラマ苦手。まるで、かつて関西であった、吉本の昼の新喜劇の中継を見てる気分になる。役者の演技を観るタイプのもんだろうけど、映像的な興奮がないのだ。

 戦前の「メトロポリス」や「イントレランス」といった前衛映画に影響を受けて、手塚治虫は絵コンテを切るように漫画の画面を作った。天才的な画力とシナリオ力を持っていたが、オタクな彼はひとを使いこなす力が必要な映画監督に向いておらず、ひとりで宇宙から戦場まで描ける力をもって、新しい漫画の世界を切り開いた。そういった資質のあるひとは彼を目標に漫画の新しい荒野をめざしたわけである。まあ、ペン一本で世界が描けるスタイルが終戦後の極貧の日本にあってたのってあると思う。

 まだ、テレビがなかった時代、漫画を知らない世代が多かった時代、映画は儲かる産業だった。東映京都を描いた春日太一の「あかんやつら」を読んでると、言い方が悪いが、儲かる産業だった映画にたかった世間をよく知った人たちと映像作家でありたい監督たちとの凄まじい戦いがあって、面白い深みのある娯楽作が作り上げられたようだ。女の裸をみせたら儲かるといったみもふたもない提案と戦うということは、普通の人たちにいかに自分の表現をみせるかということだったんだろうと思う。また、彼らのシステムの保護の下で手塚治虫的なオタクなひとも、スタッフに舐められながらも、いい映画を撮れたんだと思う。

 今、儲かる産業である漫画は、編集の人たちが、漫画家と戦っている。編集のひとは漫画を描いたことのないひとなので、時にとんでもないことも言ったりしているらしい。ひと昔前の少女漫画家は、たいてい一度は編集さんと恋愛関係になったり結婚したりして、読者である私をやきもきさせたものだ。まだ、マッチョな時代で、マンツーマンで仕事をするうちにできてしまい、仕事を辞めさせられたり、ヒモになられたり、蹴りを入れられたと伝え聞く。編集長が同世代の女の子の感性が商売だと言い切ってるのを読んだりもした。彼女らがアイドルのように感性だけで漫画を描いて消耗してく姿は悲しかった。まあ、男だって以前のジャンプもひどく、娯楽の世界ってそういうところがあるのだろう。「重版出来」を見てると、今はもっとお仕事で、プロフェショナルな世界になっているんだな。漫画の世界も個人でSNSの世界で発表されたり、コミケで発表できるようになってそういった弊害が少なくなった。でも、作家性に偏らないように、読者と作家をつなぎ合わせる客感的な存在がより大切になってきたんだと思う。

 たぶん映画の世界に今ないのは、こういった良い意味での葛藤なんである。それでは、日本ではものすごい映像とシナリオを書く才能が集まる漫画の世界にお客がが取られてしまうのは当たり前かなと思う。最近、日本の漫画の影響をうけたヨーロッパの漫画の世界のひとが、映画をとるようになったようだ。フランスの「ペルセポリス」のマルジャン・サトラビとか、最近上映されたスペインの「マジカルガール」のカルロス・ベルムトか。漫画と映画の才能はものすごく近しい。なんか、その辺り、面白いと思う。

 

 

 

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