oohama5656's blog

日々の思いを言葉に出来るといいなあと思っています

姫の輝くような頰のうへに 近藤ようこ「死者の書」下巻

 近藤ようこの「死者の書」完結しました。ほぼ、折口信夫の原作にそって映像化され、読み応えありました。叙事詩のような原作の雰囲気をきちんと再現していると思います。私は後半の蓮の糸で曼荼羅をつくるにいたるのが、どうにもわからなかったのですが、読んでみて、「姫の咎は、姫が贖う」「ひめのとがはひめがあがなう」ことはこのことなんだと、感じました。どうでしょうか。私たちが今あるのは、先祖が、敗者を踏みにじって生き抜いた結果です。そのことにあった悲しみを感じ祈ることを、多くの人々と共有することが信仰なのかなと思います。その具現化として、姫の見た、二上山の太陽の化身でもある阿弥陀仏曼荼羅にあらわすことが必要だったのでしょう。そして、奈良末でも古代の信仰の形が残った当麻の地にあったのだと思います。

 中世になると継子いじめの中将姫の御伽草子に、単純化されるけれど、改めて、いにしえの古代の習俗の名残をとおして、エジプトやメソポタミアの古代を知って、再構築されたのがこの「死者の書」でありましょう。持統天皇に無実の罪で殺され、二上山の墓に埋められた大津皇子、滋賀津彦の亡霊の骨が訪れる夜の幻想が美しかったです。その誘惑の高揚感に耐えながら、色々と方法を探りながら姫は曼荼羅を織り上げ、描きあげます。そして、姫はそっと人の世から去り、何処かに行ってしまいます。去る時、原作では、「姫の輝くような頰のうへに」のあと、「細く伝うものの」と言葉で表現されていますが、美しく涙ぐむ姫の横顔で物語は終わります。

 話はずれますが、ここで出てくる蓮の布は、今でもミャンマーで糸が作られていて、それを織っている工房が静岡の富士宮にあるようです。アジアの古い染めや織物を研究していた芹沢銈介のお弟子にあたる方らしいです。今、当麻寺にある曼荼羅は唐の織物だそうですが、はすの曼荼羅はインドでは結構あったもののようです。日本で今でも、輸入した布の袈裟とか細々と使われているようですね。平織りの密ではないもので、姫が唐の絵の具で絵を描く描写は正確です。日本でもかつて、その技術は伝わっていたのでしょうか。はすはインドやこの本の背景のひとつ、死者の書が描かれたエジプトでも宗教的な意味が多い植物です。「泥中のはす」というように人間の動物性を昇華した象徴として使われてるんだと思っています。また、改めて、大阪の折口の生まれ育った四天王寺界隈を訪ねてみたいと思っています。そして、古代の大阪の名残に触れてみたいです。

 姫は、はたして滋賀津彦のもとに行ったのでしょうか。謎はなぞとして残ります。そして、現世を生きることの愛おしさを感じます。そう、いつか、どちらにしても、人は誰でもどこかにいってしまうものなのです。

 

 

 

死者の書・口ぶえ (岩波文庫)

死者の書・口ぶえ (岩波文庫)

 

 

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